自分が変わること

月刊「点字ジャーナル」連載コラム

白虎隊を尊べるか

2018年月3号掲載

毎日新聞夕刊報道グループ記者(当時)/藤原章生

 

 「お前は何もわかってないんだよ。だいたい、朝日や毎日みたいな左巻きの連中がいかにも言いそうなことじゃねえか、え? いつもの『軍靴の足音が聞こえてくる』だろ? そんな連中と働いてっから、腑抜けになるんだよお、おめえは。国のために死ぬのが日本人精神なんだよ。それがわからねえのかなあ・・・」

 群馬県在住の山登りの先輩、Sさんとはよく「うるせえってんだ、この野郎」「口が減らねえ野郎だ」といった罵倒を挟みながらの言い合いになる。半ば冗談なのだが、周りに他のメンバーがいるときはギャラリーを意識し、よりエスカレートする。この日は山スキーで難所も終えて、あとは下山するだけというところで言い合いが始まった。

 遅れている一人を待っている間に、上州の話になり、そこから会津街道戊辰戦争、そして会津人の長州への怨念へと話が飛んだ。

 そこでボケ役の私が素朴な疑問を彼にぶつけた。

 「白虎隊の悲劇の責任は誰にあるんですかねえ。長州じゃないですよね。(会津城主)松平の容保じゃないっすか?」

 「容保? 容保は養子だったんだよ。だから、会津の教えにあそこまで忠実でならなきゃなんなかったんだ。容保は悪くねえよ」

 「じゃあ、責任者なしですか。でも、少年たちが集団自殺した白虎隊まで持ち出して会津人が長州を恨むってのは・・・」

 「お前、アフリカの内戦とか取材したんだろ。敵に攻め込まれたら、女はみんな犯されて、子供達は皆殺しなんだよ。白虎隊は殿様のため、国のために死ぬしかなかったんだ、捕虜の辱めを受けるより、死を選ぶ。それが日本人の精神だろ」

 「でも、美化する話じゃないな。無垢なるかわいそうな少年たち、そんな時代もあったなってことにはなっても、今の人間が尊ぶ相手ではないでしょ。それにアフリカの内戦だったら、民はとにかく逃げる、あらゆる手を尽くして逃げますよ。敵が来る前に集団自殺するなんてことなない」

 「馬鹿野郎、アフリカ人と一緒にすんな」

 「自分で言い出したんじゃないですか。アフリカ人もそうだろうって」

 「とにかく、国の為に死ぬことこそ義だってのが日本人の精神なんだ」

 「馬鹿らしい、国のためになんか絶対に死にませんよ」

 とここまできて、冒頭のSさんのセリフになった。

 安倍政権を強く支持しているSさんだが、何も政権のために死ねと言っているのではない。それを言うなら、民主党政権時代でも死ななきゃならない。天皇のために死ぬと言うことを指しているのだが、実際に死ねという話ではもちろんない。ただ、そこまで勤皇の精神を持てということだ。Sさんの場合、20代から群馬県を舞台にいろいろと事業で大変な思いをし、誰かの影響もあったのだろう。また趣味の近代史研究にはまるうち、日本の精神の拠り所は天皇しかないという結論に行き着いたのか、50代を超えたころから随分と国粋主義を強めた。

 「天皇ったって次の天皇浩宮でしょ」などと私が言うと、「馬鹿野郎、殿下と呼べ、殿下と」などと言う。

 白虎隊の惨劇は150年前のことだが、私はどうしても、太平洋戦争下の国家総動員法の時代を連想してしまう。最後の一人まで戦うという非合理を。実際に白虎隊は当時のイタリアのファシズム政権、ドイツのナチズム政権から「国のために自決した」点を讃えられた。会津には両国寄贈の顕彰碑もある。日本でも白虎隊に象徴される会津武士は徳富蘇峰らの演説で戦時下、「日本の優等生」とみなされた。

 「隊士の心は既に君国と一体不可分のものであり、君国亡びて自己なしとの精神は(略)皇国民錬成の根本精神である」。会津国民学校長などをつとめた地元の名士、目黒栄が戦時中の1942年(昭和17年)に記した言葉だ。

 こうした考えも含め、史実を嘆くことはできても、それを尊ぶことは私にはできない。空想にすぎないが、その時代に自分がいたら、自己犠牲による死など耐えられない。

 例えば、徴兵された息子をひたすらかくまい、逃がそうとした詩人の金子光晴には共感できる。自分がその状況にあったら、おそらく大勢に負け、自身もあるいは息子たちをも戦地に向かわせたかもしれないが、金子の行動がやはり理想だと素直に思う。

 だから「会津魂が日本魂である」といった風にはとても考えられない。それは今だから言えるのだろう、と言われればそうだろう。だが、歴史を理解するのはあくまでも今の自分だ。そして今の自分がその史実を単にわかることと、尊ぶことは別の話だ。私の場合、どういうわけか自分に引きつけて考えてみないと何事も納得できないようにできている。納得できなければ尊ぶことはできない。

 だから、白虎隊の話も、賊軍と言われながらひどい目にあった会津の人たちの境涯は理解できるが、彼らがのちに皇室に迎えられることで、つまり、天皇に近い側にいったことで名誉を回復し、そして彼らの精神こそが日本の精神であるといった言い分には納得できない。

 「お前は外国暮らしが長いから、そんな風に日本のことを突き放すんだ。天皇制がなかったら、天皇のためにという気持ちがなかったら、日本には何も残らないぞ」

 Sさんはそう言うが、少なくともこれまでの、そして今の私はそんな風に考えることができない。

 

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