自分が変わること

月刊「点字ジャーナル」連載コラム

近代化されていない日本人 

2019年2月号掲載

毎日新聞夕刊報道グループ記者(当時)/藤原章生

 

 若槻泰雄さんが亡くなった。海外への移民や引き揚げ者の問題をめぐって政府を厳しく批判し、日本人とは何かを問うてきた大人(たいじん)だ。国家賠償訴訟にも積極的に関わってきたため、政府にすり寄る御用学者とは全く逆で、長く執筆を歓迎される立場にはなかった。この人の著作が忘れられ、消えていくのが私は残念でならない。

 最初にお目にかかったのは2001年の8月だった。若槻さんは「外務省に消された日本人」という本を毎日新聞社から出版したばかりで、私はご自宅で初めてインタビューした。記事は短いものだったが、当時77歳の若槻さんの甲高い熱っぽい声がいつまでも耳に残った。

 「私がボリビアに駐在していたとき、日本から出張してきた外交官を案内し、移民と同じ船に乗せたんです。すると、外交官は激高して、こう怒鳴ったんです。『いやしくもこのキャリアに、移民と接触する下賤(げせん)な仕事をさせるとは、何事か』」

 若槻さんは医師だった父の仕事の関係で、1924年に中国・青島(チンタオ)に生まれた。大陸育ちのため、植民地で威張り散らす役人、軍人を見て育ち、これが役人嫌いの原点となった。12歳で帰国し、大学に入る直前、20歳の時に召集され、陸軍二等兵として中国戦線で死に目に遭い、新兵いじめで毎日のように意味もなく殴られた。「敗戦を知ったときは、これで日本の理性なき文化が終わると思い、心から感謝した」が、民族性はそう簡単に変わるものではない。

 戦後、東大を出た後、農林中金を経て移民を送り出す外務省の外郭団体に入り、ボリビア事務所長に志願した。米大陸で見た外交官たちは不勉強な上、横柄で「日系2世が翻訳した現地の新聞を日本にたれ流し、後はゴルフ、マージャンざんまい。日本人としか付き合おうとしない人たちだった」。

 無能さの裏返しなのか、官僚は現地に移住した日本人を見捨てられた民と見下した。その差別を若槻さんは「民主主義の未成熟からくる官僚の特権意識が、一般国民の目の行き届かない海外で極端に表れたもの」とみていた。

 私が若槻さんにひかれたのは、強い語調ながら、決して威張らず、ときにユーモアを交えたその人柄が大きかった。役人に対する怒りを原動力に、書かざるを得ないという彼の使命感も私にはまぶしく見えた。それにもまして大きかったのは、5年半の南アフリカ駐在を終えたばかりの私自身が外交官について彼と同じ印象を抱いていた点だ。

 詳述に値しないし、例外は常にあるものの、私がアフリカ各国で目にした外交官や、「骨休み」に大使館に派遣されてくる各省庁の官僚たちは本当にダメな人が多かった。民間企業の人や非政府組織、商売人に比べ、現状把握能力、人脈、親和力などあらゆる点で劣っていた。

 若槻さんとは2006年6月に東京地裁で「時効」を理由に却下されたドミニカ移民訴訟をめぐり、何度かお目にかかった。カリブ海ドミニカ共和国のひどい土地に移住させられた移民たち原告団を長く支援していた。

 外務省がまともに情報もないまま移住希望者を放り出しただけなら、単にダメな官僚たちだったというだけの話だ。だが、問題は、自分たちの非を隠し謝罪せず、ドミニカ政府が一方的に悪い形に粉飾し、裏で政府を動かし新たな土地を移民に与える――というやり方だ。

 日本大使は原告団の移民にこう言ったそうだ。「今度の土地は何でもよく育つ所ですよ」

 「大使はいつご覧になったんですか」と聞くと、「2、3日前なんですが、JICA(国際協力機構)の専門家がそう言っておりますので」と答えた。

 移民の男性はその時の怒りを忘れられないと私に言った。「この人たちは、いまだにわれわれの気持ちが分かっていない。非があると思うのなら、なぜ私たちに謝らないのか。なぜドミニカ政府を使い、ドミニカに不手際があったような芝居をするのか」

 一言で言えば、卑怯なのだが、それ以前に人間性の欠如を感じざるを得ない。共感という言葉がはやりだが、目の前で、苦しんでいる人がどんな気持ちでいるのかを察する力がないから、「今度の土地は何でもよく育つ」などと平然と言えるのだろう。その大使の言葉からは、その国を知り尽くしている移民から何かを学ぼうという姿勢が全く感じられない。

 晩年、病床にいた若槻さんとは会えずじまいだったが、昨年、満州からの引き揚げ者について調べる中で、彼の著者を熟読する機会があった。大著「戦後引揚げの記録」の末尾に彼が書いた渾身の言葉が、今の日本の日常から政府の態度まで全てに通じるように思えた。

 <(戦時中)日ソ両国が国際法をじゅうりんしたのは、両国民が近代国家でないところからきているに違いない。この二つの国の共通点は、ルネッサンスも、宗教改革も、啓蒙時代も経ておらず、外見だけは、急速に近代産業国家、一大軍事国家になったのだが、近代のヒューマニズムが身についていないということだ>。

 <昭和の日本は明らかに明治以前に逆戻りした。近代化80年の付け焼き刃がはがれた>時期で、<日本が世界で特異の国といわれるのも、その内容をよく考究すれば、大部分は前近代的なものの残滓であるように思われる。そして真の近代化は50年や100年では完成しない遠い道のりなのであろう>

 この先も、若槻さんの偉業を広め続けたいと痛切に思う。

 

●近著

『差別の教室』(2023年5月17日発売、税込1,100円、集英社新書)