自分が変わること

月刊「点字ジャーナル」連載コラム

高みから見下ろす自分

2018年11月号掲載

毎日新聞夕刊報道グループ記者(当時)/藤原章生

 

 記憶の中でも特によく覚えている光景がある。何度も思い出すたびに残像はより強くなり、元の型は多少変わるだろうが、忘れがたい記憶となっていく。

 そんな中の一つにこんなものがある。

 中米のグアテマラシティーの路上を歩いている自分の後ろ姿だ。幅3mほどの石畳の道の両脇で赤っぽい民族衣装を着た先住民の女性たちが花や陶器、腕輪などの工芸品を売っている。道はひどく混んでいて、その中を、青い薄手のジャンパーを着た自分がやや肩をいからせて歩いている。

 ただ、それだけのなんの変哲もない記憶だ。25歳の夏のことで、安宿で寝入り端、その日の自分の行程をなんとなく振り返っているときに出てきた映像だった。

 そこにあるものに特別なものは何もないが、おかしいのは、後方から自分の背中や横顔を見ていることだ。距離も高さも2、3mほどから自分を見下ろしている。

 最近のシミュレーションゲームと同じで、少し高みから、まるでドローン撮影のように、自分の姿とこれから向かう先を見ているという構図だ。

 それを見ているのはどう考えても自分であり、前を歩いているのもやはり自分だ。哲学や脳科学の文献を読むと「メタ化」と呼ばれるらしい。自分の振る舞いや考えていることを認識することが意識だとすれば、それは通常、自分の中に留まっている。しかし、このグアテマラでの記憶の場合、自分の体から離れ自分を見ているわけだから、それも意識だとすれば、一段上の意識という感じがする。

 そのとき自分を見ている自分はこんな風に考えていた。その歩いている自分を自分だとわかっていながら、その行動に影響は与えられない。何かを指導したり助言したりすることもできない。その立場をわきまえていて、ただ傍観している。うん、頑張ってるなあ、一人でちゃんとやっているなあといった感慨、親近感を込めて後を追っているという構えなのだ。妙に達観した自分。

 こうした視線は夢の中ではよくあるが、覚醒時には滅多にない。現在進行形ではまずなく、いつも直後の記憶として残る。そんな話を周囲にしてみると、夢の中でも見たことはないなあ、という人が多数を占める。きちっと調査をしていないが、結構稀な現象であることは確かだ。

 グアテマラシティーの記憶より10年以上前、やはり同じような形で記憶の映像が残ったことがある。

 中学一年の冬、山梨県乾徳山に行ったときのことだ。大きな岩がゴロゴロと鎮座している、だだっ広い広場のような地形があり、岩を除いた一面が雪で覆われていた。快晴の朝で、それまで見たこともない濃い青空が広がっていた。グアテマラのときほどはっきりとはしていないが、そのときも短時間だが少し上から自分を見下ろしている映像が残った。

 離人症なのだろうか。

 ウィキペディアによれば、離人症は<自分が心や体から離れたり、また自身の観察者になったように感じる症状で、その被験者は自分が変化し、世界があいまいになり、現実感を喪失し、その意味合いを失ったと感じる>状態を指す。

 <一時的な不安やストレスなどによって誰にでも起こり得るものである。慢性的な離人症は、重度の精神的外傷、長期持続したストレス・不安などに関係している>。

 ただし、私の場合、そのときの自分も、またそれを傍観している自分も、不安やストレスなど否定的なものを抱えてはいなかった。むしろかなり肯定的に明るい気持ちの中にいた。ただ、後ろの方の自分はそれを「人生の一コマ」のような、すでに未来を見通したような気分で光景全体を眺めていて、後々この場面が深い記憶として残ることもわかっている。

 最近になるまで、この記憶の意味について考えることはなかった。

 だが、この夏、冒険家の角幡唯介さんからドイツの哲学者マルティン・ハイデガー(1889〜1976)の話を聞き、『存在と時間』という本を読むうちに、そんなことを考えるようになった。人が死をどう受け止めるかについての論考があったからだ。

 簡単に翻訳すれば、人間は生まれた瞬間からすでに死に向かっており、死を意識している。だが、それを真正面から受け入れることはあまりない。ところが、「自分」がいずれ死ぬものだとはっきりと悟ったときはじめて、「真の自分」に到達する。それを踏まえ「真の自分」は日常の中で再び「自分」に立ち返り、その「自分」を引き受け直すという作業をする。それが「死を先取り」することなのだ ——。

 ハイデガーの造語が難解なので間違っているかもしれないが、少なくとも、私はそう読んだ。

 「真の自分」と「自分」の二つがあるという前提は、私の記憶と重なる。目の前を歩いているのは「自分」でそれを後ろから見ているのが「真の自分」と考えればしっくりくる。

 でも、常にその状態にあるわけではない。ごくごく稀にそういうことが「あった」ということで、これから先にまた起きるとは言えない。

 ではなぜ、そのとき、そんな風になったのか。それは偶然かもしれないが、中学1年の冬の場合、その半年前、海で溺れて死にかけ、脳内がパニック状態になる経験を私はしていた。そしてグアテマラの場合、前の年にヒマラヤで高度障害に陥り死にかけている。

 死にかけたことは、今から思えばかなりの精神的外傷だったはずだが、当時の「自分」は深く考えず「過ぎたこと、恥ずかしいこと」とみなし、記憶を封印していた。

 もし、高みから自分を見下ろす映像が離人症だったとすれば、その瀕死体験での精神的外傷が引き起こしたとも言えそうだ。

 私の場合、うまい具合にその症状は続かず、ハイデガーの言うように、一度死を引き受けた上で「自分」に立ち返ることができた、ということなのかもしれない。

 だが、どうなのか。

 死は怖い。けれども、前ほど怖くはない。その後も、それに近い体験はしたが、割と余裕を持って身構えていた。でも、もっと死に近づいたら再びパニックに陥るはずだ。それを経たとき、再び高みから「自分」を見下ろす「真の自分」が現れてくるのだろうか、最後の最後に。

 

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