自分が変わること

月刊「点字ジャーナル」連載コラム

親から子に何かが伝わる、どうしようもなさ

2019年5月号掲載

毎日新聞夕刊報道グループ記者(当時)/藤原章生

 

 前回、次男の留年について書いたが、結局、新しい道に進む勇気はないようで、再び3年生を続けることになった。

 そんな折でも、私は原稿書きを続けている。今やっているのは「残すべき東京の風景」「恋愛とデモクラシー」と、自分の趣味からきている面もあるが、抽象的、観念的なものが多く、切り口でどうにでも内容が変わってしまう話だ。

 日々何をしているかというと、まず企画会議でテーマが決まった時点でぼんやりとだがお話を考える。そして次は図書館に行き文献に当たる。例えば「東京の風景」については30冊には目を通し、その中から面白いことを言っている本を2、3冊探す。そして、著者たちの別の本を何冊か読み込んだ上で、インタビューを申し込み、締め切り当日に4時間ほどかけて一本の原稿にする。

 読んでいる時間がおそらく8割、インタビューやテープ起こしに1.5割、原稿書きに0.5割という配分になる。仕事のほとんどは読む時間だが、それは取材であると同時に、自分の思いつきと同じことを専門家が言っていないかを確かめる作業でもある。

 自分の原稿に新しさ、独自性がなければそれは作品と言えない。だから、多くの人間が取り組んでいながら、まだ誰も書いていないことを一行でも入れなければ意味がないと私は思っている。別の人がすでに言っている話を知らずに書いてしまうこともあるので、それを避けるためにあらゆるものを読み漁るわけだ。

 そんな作業中、仕事にはつながらないのに、つい読みふけってしまう本が時折ある。最近では作家、長山靖生さんの「若者はなぜ決められないのか」という新書だった。

 あるフリーターの若者のこんな話が出てくる。彼の父は大手企業の重役を務めるエリートサラリーマンで、多忙なころ「俺がこんなに苦労しているのにお前たちは」と妻や子供達に厳しく当たったという。それを見ていた息子は「自分が父と同じことをしたら、父よりも悪い父になってしまう」と思い、フリーターの道を選んだ。この若者は「今でも父のことは好きだ」と話している。

 父と息子の話だが、これが私には実感としてよくわかった。

 私の父は41歳で独立した。私が9歳のときだった。エンジニアだった父は炭鉱や身内が経営する中小の製線企業、針金に模様を入れる会社に勤めた後、自作の機械を武器に独立を果たした。東京の上板橋の家が手狭になり、足立区の古千谷という地に工場を建て移り住んだのが翌年だった。のちにそういう言い方を私もするようになるが、父はいわゆる「脱サラ」だった。

 ところが、その期間はわずか3年ほどで、彼は叔母に三つ指つかれて頼まれ、彼女が経営する製線企業に役員として呼び戻された。以後、それなりに働いてきたが、私の目から見ると、父がその人生で最も輝いていたのは41歳から44歳までの「脱サラ」の時期だった。

 父が「脱サラ」をやめたころ、うちに出入りしていた岡山出身のいとこがちょうど就職した。東大法学部を卒業し、そのころ初任給が一番高く人気のあった「東京海上」に入ることに決まった日のことだった。お祝いで鍋を囲んでいたとき、彼が父にこんなことを言った。

 「おじさん、やっぱり東大じゃないと。早稲田慶応じゃダメだよ。最初から部屋が違うんだ」。試験会場に集まった学生を大学ごとに分ける様子を得意げに語っていた。このいとこは何かと東大を鼻にかける恥ずかしい人間で、常日頃「東大が、東大が」と言っては失笑を買っていた。このときは早稲田出身の父に対する嫌味をまじえていたようで、父は「あ、そうかい」と笑って応じていたが、私は「こいつはバカじゃないか」と心の中で反発したのをよく覚えている。

 子供の頃から私が「サラリーマンには絶対になるまい」と思ってきたのは、父やいとこのことが影響したのかもしれない(結局、なってはしまったが)。

 と、私は長山さんの本の一節からそこまで考えを進めた。

 結局、このいとこは東京海上でスイス勤務などもしたが、東大を自慢するような情けない人格がたたったのか、大して出世もできず、関連会社で定年を迎え、間もなく70を数え、今は重い病で療養中だ。数年前、彼が父について「あんなにいい人はいなかったなあ」とポツリと言ったとき、私は少し溜飲を下げる思いがしたものだが、「サラリーマンではなかった父」に対し、私なりに思い入れがあったのだと、年をとるほどに感じるようになった。

 だとすれば、いま息子が留年をして、春はいつも元気がいいのに、秋口になると大学に行かなくなるということを繰り返しているのも、陰に陽に、父親である私が影響していないとも言えない。

 「自分が一番面白いと思うことをやれ」などと子供の頃から言ってはきたが、子供は子供で日々の私の仕事ぶり、喜怒哀楽を見ながら、きっと何かを学習しているのだろう。それが、就職など二の次で、今、このときをとりあえず楽しく過ごすことへと傾注させているのかもしれない。

 親から子へと何かが伝わっていく。こればかりはどうしようもないもの、という気がしてくる。

 

●近著

『差別の教室』(2023年5月17日発売、税込1,100円、集英社新書)