2024-01-01から1年間の記事一覧
2022年6月号掲載 毎日新聞契約記者/藤原章生 私が小学校に入ったころだから1968年の夏、「ピンキーとキラーズ」というグループの歌「恋の季節」が大ヒットした。「忘れられないの/あの人が好きよ/青いシャツ着てさ/海を見てたわ」と歌う女性、ピンキーを…
2022年5月号掲載 毎日新聞契約記者/藤原章生 チリに来て、そろそろ1カ月。ロサンゼルス経由でサンチャゴに着いたのが3月8日の朝で、心配していたPCR検査も難なくクリアーした。40年もこの地に暮らす学生時代の先輩、堤亮(つつみまこと)さんに会い、…
2022年4月号掲載 毎日新聞契約記者/藤原章生 報道の仕事をしていると、ウクライナ侵攻といった大きなニュースがあると少し後ろめたくなる。特派員時代、戦争というと自分の領域以外のところにもよく現場取材に行っていたので、申しわけない気になるのだ。そ…
2022年3月号掲載 毎日新聞契約記者/藤原章生 この1月、うれしいことがあった。小学校4、5年の担任だったN先生と連絡がとれた。1978年正月にもらった賀状の住所に、「お元気ですか、本当にお世話になりました」と書いて年賀状を送ったら、もうおられない…
2022年2月号掲載 毎日新聞契約記者/藤原章生 年末の3日間、雪の中を歩いていた。何も考えないようにしていても、いろんな思いがよぎっていく。あまりに雪が深いので、ときどき、歌も流れ出す。中学生のときに見 た映画「八甲田山死の彷徨」で歌われた「雪…
2022年1月号掲載 毎日新聞契約記者/藤原章生 墓参りに行ってきた。都立八柱霊園というところだが、都立と言っても、千葉県の松戸市にある。快晴の少し寒い日曜日、東京南西部の家から車で首都高を通り、かつて暮らした千葉県に入り、空が広いな、と思ったら…
2021年12月号掲載 毎日新聞契約記者(当時)/藤原章生 コロナが下火になって少しずつ、いろいろな会合に出向くようになった。その中の一つで久しぶりに会った80代の女性にこう言われた。「あなたは本当に書くことが好きなのね。それと読むことも好きなのね…
2021年11月号掲載 毎日新聞契約記者(当時)/藤原章生 先日、65歳の友人に誘われ、尾瀬近辺の沢を3日かけて登ってきた。彼が山登りを始めた高校生のころの思い出の場所のようで、彼が「泊まりがけの沢登りから引退する記念山行」として誘ってきた。メンバ…
2021年10月号掲載 毎日新聞契約記者(当時)/藤原章生 どんなふうに書き始めようか。私にとっては今が、新しい連載を始める前がもっとも贅沢でうれしいとき、という気がする。 毎日新聞のサイトにある「医療プレミア」で2020年2月から7月まで連載し、「紙…
2021年9月号掲載 毎日新聞契約記者(当時)/藤原章生 ゴルフって意外に面白いな。日曜日の午後、テレビをつけたらNHKで東京オリピックの男子ゴルフを放送していた。埼玉県の霞ヶ関カンツリー倶楽部を会場に、日米欧やラテンアメリカのプレイヤーたちが18ホ…
2021年8月号掲載 毎日新聞契約記者(当時)/藤原章生 老子の言葉を8年ぶりに読んだ。最近、ある勉強会の講師が親鸞を語る際、老子の言う「無為」に触れた。この無為という考えが仏教家の親鸞から哲学者スピノザ、そして親鸞を書いた評論家、吉本隆明にまで…
2021年7月号掲載 毎日新聞契約記者(当時)/藤原章生 別に還暦になったからと言って、59歳が60歳になっただけの話。何が変わるでもなし。ひとまわりして赤ちゃんになるでもなし。迷信、迷信と思っていたら、バチが当たったのか、4月27日、60歳の誕生日、私…
2021年5月号掲載 毎日新聞契約記者(当時)/藤原章生 あれは私が中一の冬だから、1975年の1月か2月の事だ。私の二歳上の兄と父親が取っ組み合いのけんかをした。父は時折、どうにも耐えられないという風にうなり声のような怒声を上げることがあったが、妻…
2021年4月号掲載 毎日新聞夕刊報道グループ記者(当時)/藤原章生 先日、ローマに暮らす作家、塩野七生さんと電話で話していたら、イタリア語の「インヴェッキアート・ベーネ」という表現に行きついた。直訳すれば「良く老いた」ということになるが、もう少…
2021年3月号掲載 毎日新聞夕刊報道グループ記者(当時)/藤原章生 先日、書店のトークイベントでギニア人のタレント、オスマン・サンコンさんと「アフリカの豊かさ」についておしゃべりする機会があった。お会いするのは3度目だが、初めて聞く話がいろいろ…
2021年2月号掲載 毎日新聞夕刊報道グループ記者(当時)/藤原章生 正月、フェイスブックを開いたら、知らない人から友達リクエストが来ていた。投稿を見てみると、指揮者、小澤征爾さんの映像が出てきた。ベートーベンの第九だった。闘病のせいか第三、第四…
2020年11月号掲載 毎日新聞夕刊報道グループ記者(当時)/藤原章生 黒澤明の映画「七人の侍」のラストシーンに長く「偏見」を抱いていた。 平和が戻り、嬉しそうに歌いながら田植えをする百姓を眺めながら、野武士との戦いに生き残った侍がこう語る。 「勝…
2020年10月号掲載 毎日新聞夕刊報道グループ記者(当時)/藤原章生 永田東一郎という人がいた。3つ年上だった。私が都立上野高校に入った年、彼は卒業し、私が高校2年になり山岳部に入った春、彼は東大の理科一類に入った。山岳部の別の先輩が「永田さん…
2020年9月号掲載 毎日新聞夕刊報道グループ記者(当時)/藤原章生 マイナーとメジャーとはどう違うのか。野球なら簡単だが、テーマとなるとそう簡単に切り分けられない。 先日、かれこれ十五年ほどつき合いのある編集者の女性から「藤原さんって、本当にマ…
2020年8月号掲載 毎日新聞夕刊報道グループ記者(当時)/藤原章生 新聞記者は単純なもので、自分の原稿が大きく載ればうれしいが、ようやく出たかと思えば小さな扱いだと、いまいましい気分になる。最近、そんないまいましさを思い出した。 特派員としてア…
2020年7月号掲載 毎日新聞夕刊報道グループ記者(当時)/藤原章生 私の中のもやもやが少し晴れてきた。最近、アフリカのことをよく考えるからだ。 4月20日、ルワンダ人のモーリスから連絡があった。彼は妻と10代の娘2人と妻の実家があるベルギーの街に暮ら…
2020年6月号掲載 毎日新聞夕刊報道グループ記者(当時)/藤原章生 ちょっと不思議なことがあった。 今年の正月、私はかなり具体的な初夢をみた。起きてからしばらく残っていたので、私はそれを、フェイスブックに投稿した。 夢をソーシャルメディアで書くこ…
2020年5月号掲載 毎日新聞夕刊報道グループ記者(当時)/藤原章生 ほとんどを家で過ごす巣ごもりを終えたとき、私はどんな日常を望むのか。 まず、私の生活は前とさほど変わっていない。還暦間際の夫婦と大学生の次男の3人で暮らし、ほとんど自炊なので店…
2020年4月号掲載 毎日新聞夕刊報道グループ記者(当時)/藤原章生 「セルフ特派員になろうかと」。先日、高校の山岳部の先輩と会ったとき、そんなことを口にした。これは自分の造語だ。それまでこんな言い方はしなかったのに、リタイアしたあとのことを問わ…
2020年3月号掲載 毎日新聞夕刊報道グループ記者(当時)/藤原章生 「お寺に入ってから、一切の比較対象から下りる、というふうになりました」 先日、長野市で再会した小山さんがぽろっとそんなことを言った。何度か挨拶したことはあるが、じっくり話すのは…
2020年2月号掲載 毎日新聞夕刊報道グループ記者(当時)/藤原章生 「高校生のときの自分と今の自分、どっちが大人なんだろう」。知り合いの女性の言葉だ。どういう文脈だったのか。その人はそのころ30歳を回ったくらいで、バーのカウンターで自分の家族のこ…
2020年1月号掲載 毎日新聞夕刊報道グループ記者(当時)/藤原章生 12月1日、日和が悪かったわけでもないのだが、私は朝からあまり機嫌が良くなかった。 道すがらこんなことがあった。家族で駅に向かい、廃墟となった都営住宅の脇を通りかかったとき、27歳の…
2019年12月号掲載 毎日新聞夕刊報道グループ記者(当時)/藤原章生 入山から25日目、私たちはようやく第3キャンプに入ることができた。標高7,300㍍の急斜面をスコップで切り開き、3人用のテントに5人が膝を抱えてなんとか収まった。ここで3時間休み、い…
2019年11月号掲載 毎日新聞夕刊報道グループ記者(当時)/藤原章生 この秋、2カ月の長期休暇をとり、ネパール・ヒマラヤのダウラギリ1峰(8,167m)に登りに行くことにした。といってもどこまで登れるのか。かなり難しそうだが、目指せるところまで目指そう…
2019年9月号掲載 毎日新聞夕刊報道グループ記者(当時)/藤原章生 この夏、長期入院を経験した。といっても6泊7日なのだが、こんなに長いこと病院にいたのは初めてなので、つい「長期」と言いたくなる。副鼻腔炎と鼻中隔湾曲症の手術。要は鼻で呼吸ができ…