自分が変わること

月刊「点字ジャーナル」連載コラム

残るもの、残らないもの

2020年5月号掲載

 毎日新聞夕刊報道グループ記者(当時)/藤原章生

 

 ほとんどを家で過ごす巣ごもりを終えたとき、私はどんな日常を望むのか。

 まず、私の生活は前とさほど変わっていない。還暦間際の夫婦と大学生の次男の3人で暮らし、ほとんど自炊なので店が開いている限り食事には困らない。普段はごくたまに「キリンシティ」でビールを飲むくらいで、外食はほとんどしない。うまい黒ビールが飲みたいだけの話で、さほど未練はない。

 料理は夫婦のどちらかが作ったものを3人で食べ、夜は仕事を終えた10時ごろから白ワインを飲む。銘柄はまいばすけっとで売っているラポサの白で税込で603円。安くて意外に飽きないし、防腐剤が控えめで頭が痛くならない。千円クラスも試してはきたが大方はダメで、二千円以上出せばうまいのだろうが、そんな無駄遣いをする気はない。

 習慣のように飲んでいるが、朝になると必ず「もうやめよう」と反省している。どこかで脳に悪いと思っており、飲んだときにピーナッツを結構食べ、それが肥満の一因だからだ。なければないで済むものだと思っている。

 食事の方は玄米かスパゲティーがあれば味つけはいたってシンプルで、同じものを毎日食べても飽きないし、空腹が何よりのご馳走になる。最終的に政府による食材配給になっても我慢できるだろう。

 家は狭いボロ家だが全く関心がなく、服はこぎれいな1軍から少し落ちる2軍、近所を歩ける3軍、家で着る戦力外、寝間着の5種をこまめに替えるので長持ちし、年に2着も買えばいい方だ。おしゃれを侮っているので、今もっている服、靴で死ぬまで暮らしていけるだろう。

 贅沢品は8年前に新車で買った日産キューブがあるがこれは山登りに行くとき以外はほとんど使わないので、車検代が惜しくなれば簡単に手放せる。

 趣味の登山も例えば丹沢の麓まではゆっくり2日かけてたどりつき、山登りを1日楽しんで、再び2日かけて帰ってくるというふうにもできる。そう考えれば、都心に住むのがばからしくなり、コロナが去るか一時的に収まった時点で長野か福島、あるいはもっと遠くに引っ越すこともあり得る。全国民に与えられる最低限の配給食料を届けてくれるなら、打ち捨てられた別荘地でもいい。

 仕事はどうだろう。自宅ですることが多いので、巣ごもりとさほど変わらない。通勤は今年から雨の日でなければ40分かけて自転車で、あるいは2時間かけて歩くので、電車はいらない。

 職場の企画会議に出て、同僚と昼飯を食べる習わしがあるが、これは親睦であり、なくても困らない。インタビューはパソコンや電話でできるが、やはり体温を感じられるくらいの対面であるに越したことはない。それでもこれまで海外の人を取材するときはそうしてきたので、オンラインに慣れるだろう。

 物書きは職人である。山で木を拾い、削って調度品をつくる木工職人と変わらない。媒体の縮小で仕事は減り、収入は激減するが細々となら続けられる。

 身近なところを見ていくと、新聞社でデスクと呼ばれる編集者も今は自宅のパソコンで仕事をこなしている。届いた原稿を直して製品に仕上げる職人なので書き手と同じように仕事はなくならない。原稿をチェックする校閲も、記事の見出しや大きさを決める整理記者も自宅勤務が日常になるだろう。問題は商品を印刷する技術屋や職人、配達や販売の人だが、これは自宅ではできない。今も流通部門と同じで、唯一外回りが許される業務となるだろう。

 でも、突き詰めていけば、紙で新聞など出版物を読むのはごく一部の贅沢になり、コロナは結果的にオンライン版への切り替えを早めることになる。

 問題は管理職、マネジメント業だ。経費の決済や会議は自宅でできるが、技術者集団のグーグルが数年前に管理職をゼロに近づけたように、管理職は今ほどいらないということに多くの企業が気づくのに時間はかからないだろう。

 新聞社では毎日、管理職が集まって旧態依然とした編集会議を続けてきたが、コロナのせいでないも同然となったが、困ったことにはなっていない。

 絶滅はしないだろうが、課長や部長、次長といったポストは今ほどなくてもいいんじゃないかと、古い体質の会社も組織機構を見直すことになるように思う。取締役も社長も会長も同じことだ。

 サービス業を中心に失業者が増えるように、コロナを機に管理職が一気に減るかもしれない。その場合、食料配給と同じように、全員に最低限のお金を配るベーシックインカムが検討されていくのではないだろうか。そこへ向かう移行期間は大混乱になるだろうが、今の資本主義の形が幾分かは変わる、一つのきっかけになるかもしれない。

 政治の世界では、例えば先ごろサミットの首脳会議がオンラインで開かれ、なんの支障もなかった。首脳陣が一箇所に集まり警備費から随行員の旅費まで無駄な金をわざわざ使わずとも世界はまわると、多くの人が知ったわけだ。

 それでも、コロナが過ぎれば、既得権益のように再びお祭り騒ぎが始まるのだろうか。同じように、管理職たちもコロナ後にうまく巻き返し、元の木阿弥になるのかもしれない。

 いずれにしても、巣ごもりのおかげで、私たちは最低限必要なものと、そうでないものがわかってくるはずだ。

 

●近著

『差別の教室』(2023年5月17日発売、税込1,100円、集英社新書)