自分が変わること

月刊「点字ジャーナル」連載コラム

富士のお鉢の中で

2018年6月号掲載

毎日新聞夕刊報道グループ記者(当時)/藤原章生

 

 私はうとうと昼寝をするのが大好きだ。別に昼でなくてもいい。夜でもいい。
ふと眠り落ちてしまう、うたた寝が好きなのだ。十中八九、何もないが、ごく稀にこんなことがある。
 高校生1年のころ、私は家の台所の椅子でテレビの深夜映画を見ていた。あまり面白くなかったのだろう。椅子に座りながら眠ってしまった。5分ほどのことだ。私は椅子からずり落ちそうになり目が覚めた。そのとき、ここはどこ? 私は誰? という呆けた状態になった。
 すぐに自分は高校生で、自宅で映画を見ていたとさとったが、一瞬、我を忘れたのは、夢のせいだった。
 わずか5分の間に壮大な夢を見た。宇宙空間をひとり遊泳していると、ふとした瞬間、私の体はどんどんと地球に向け落下していた。大気圏に突入すると体が燃えるのではないかというものすごいスピードになり、最後はどこかの大陸の森林へ落下し「わーっ」と叫びながら滑り降りた瞬間、目が覚めた。
 うたた寝で椅子から滑り落ちる一瞬の体の無重力感、不安定な感覚がこの夢を脳内にもたらしたのか。それとも、壮大な夢の結果として、体が椅子からずり落ちたのか。答えはわからないが、目覚めた後、一瞬感じた、自分という存在の不確かさがちょっと特別だった。
 そんな感覚をこの前、久しぶりに味わった。富士山のお鉢の中でのことだった。
 4月28日、私は郡山の山岳会の仲間3人と東京で落ち合い、彼らの車で富士山に向かった。この季節は6合目まで雪があるので、頂上からスキーで滑る計画だった。
 その晩は河口湖の近くの公園の駐車場にテントを張り、翌朝早く、富士スバルラインで五合目の吉田口まで登り、そこから歩き始めた。暑い日だった。スキーをリュックの両脇につけ、ビールを3缶、焼酎1リットルの他、共同の装備や食料も持たされ、ヒーヒー言って登った。
 6合目でスキーを履いて登り始めたが、標高が3000メートルを超えたあたりからみな突然遅くなり、結局「本(ほん)7合目」と呼ばれる標高3190メートルにテントを貼ることになった。
 夕暮れの中、緩んだ雪の大斜面を2人のスキーヤーが雪煙をあげながら下っていくのが見えた。見事なシュプールだ。私は富士山が嫌いだが、こんな大雪面、日本ではどこにもない、横幅だけで1キロはありそうな急斜面を滑るのは快感だろうと思った。
 富士山は23歳のときに一度登っている。ヒマラヤに行く前、高度訓練のため、雨の中を駆け上がった。6合目あたりからはほとんど植物もない上、火山独特の単調な登りが延々と続くつまらない山だ。遠くから見て「でかいなあ」とは思っても、決して登りたい山ではない。
 翌朝、ネガティブな夢を見て目が覚めた。原稿のこと、私生活のことなどいろいろな要素が絡まった自己嫌悪の黒い波の中で私はもがいていた。
 早朝、雪面は凍っており、仕方なくアイゼンを履き、スキーを担いで頂上を目指す。高さに体も慣れたのだろう、急な雪面を2時間ほど上り詰めると、ぽんと頂上に出た。 
 一人は高度障害からか具合が悪いと言いだし、テントで待機をしているので、頂上に着いたのは私と同じ50代のアキラさんと30代のヒラヤマ君だ。記念撮影をして、火口を一周するつもりだったが、風があまりに強く、背中のスキーがあおられ、吹き飛ばされそうになるので、滑り始める地点まで這うように向かう。
 見ると雪はガリガリに硬く、ところどころ完全に凍っている。グラスに入れる氷のように透明だ。
 これでは降りられない。スキーで転んだら、下まで一気に滑落してしまい、岩にでも激突すれば頭がかち割れ、即死である。
 「雪が緩むまで待とう」と私たちはお鉢の中へ誘われるように入っていった。富士の火口は文字通り「お鉢」である。大きなどんぶりのふちが頂上で、どんぶりの底までは標高差で140メートルほどあり、途中の壁を綺麗な岩と雪が覆っている。
 ビンビンに風が吹く、どんぶりのふちから少し降りた平地状のところで休むことにした。あたりをスキーで滑ってみても、まだガリガリに凍っている。
 お鉢の中は気持ちが良かった。時折一陣の風が吹くが、ほとんど無風状態。空はほぼ快晴である。
 アキラさんと「60になるまでに、8000メートルをやりたいねえ」「仕事はやめてもいいしな」などと好き勝手な夢を語り合ううち、私はリュックを背に眠りに落ちた。30分ほどだった。
 「フジワラさん、そろそろ行かないと」
 アキラさんの声で目が覚めた。「雲が出てきたから、一気に崩れますよ。降りた方がいい」と声がする。
 ここはどこ? ああ、富士のお鉢だ。私は朝方とは打って変わったとてもポジティブな夢を見ていた。
 私は誰? ああ、俺は新聞の仕事をしている人間だった。そうだった。原稿を書いている人間だった。
 夢の中で全く違う別の人生を終えたような感覚だった。
 お鉢の魔力だろうか。そうか、富士は嫌だけど、お鉢はいい。 
 「じゃあ、行きましょう」。身支度を済ませると私たちは、ものすごい風が吹いている下降点に立った。標高3770メートルあまり。ここから一気に下るのだ。
 「うわー、ガリガリ、全然溶けてませんよ」。アキラさんがそう言いながらゆっくり斜滑降で降りて行き、ヒラヤマ君が続く。
 「転んだら終わりだな。よし、死んでもいいや」
 そう心で思った私はガリガリガリと音をたてながら、一気に氷の大雪面へ入っていった。

 

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