2022年1月号掲載
墓参りに行ってきた。都立八柱霊園というところだが、都立と言っても、千葉県の松戸市にある。快晴の少し寒い日曜日、東京南西部の家から車で首都高を通り、かつて暮らした千葉県に入り、空が広いな、と思ったらもう着いていた。途中、少し渋滞があり、1時間半ほどのドライブだ。
霊園に着く前、花屋や墓石屋が並ぶ通りは、「まつ家」といったひらがな混じりの屋号や古ぼけた看板や緑やねずみ色を基調とした地味な色合いが、落ち葉並木とうまく重なり、昭和の、しかもかなり深い昭和、40年代あたりを思わせた。「いいな」と思って車を進め、霊園にぶち当たったが、駐車場らしきものが見当たらない。さらに進むと「南門」という表示があり、そのまま入るともう霊園の中だった。広々とした霊園は中を車で回れるらしく、何台かの車が前を走っていた。ところどころに車がとまっているので、自分の目当ての墓地の脇にとめてお参りするのだと気づいた。
都立霊園なのできっと大きく、端の駐車場から歩いて歩いてお墓に行くものと想像して、いい散歩になると思っていたが、そんなのはただのイメージだった。確かに車で乗り入れられるほうがお年寄りも楽だし、これほどの巨大な墓場を歩くだけでも大変である。理にかなってはいるのだが、せっかく来たのに、なんだか残念である。
墓のあるじは今、新聞で連載している「酔いどれクライマー 永田東一郎伝」の主人公だ。息子さんにインタビューしたとき、墓の番号を聞いていたので、一度、お参りしようと思っていた。ちょっとは歩きたいので少し遠くにとめて、看板地図で「9区2種号」という位置を調べ、お寺にあるような背丈くらいの高さの割と普通っぽいお墓が並ぶ小道を歩いていると、墓石の背に「永田東一郎建立」という文字が目に入った。ずいぶんとあっさり見つかってしまったので少し残念に思って表側に回ると、枯れた花も、線香あとも何もないすっきりした状態だった。人が何かを備えた気配はないが、全体にきれいなので、そうじはされているようだ。周りには、立派な大きな墓石なのに明らかにうち捨てられたような状態のお墓がかなりあった。
そこにワンカップの安い焼酎とストローで飲むタイプのパック入りの日本酒とお花を供え、持ってきた線香に火をつけ、しばらく祈った。「永田さんのこと、書いてますよ。永田さん、最後のころ、会えなくてごめんなさい。最後に会ったとき、あんな別れ方をして残念でした」。そこまで念じたが、その先が続かない。ご冥福をとか、安らかにとかいう言い方があるが、そのどちらも信じていない。そもそもこのお墓に永田さんはいるのだろうか。魂があるとすれば、その魂は永田さんの骨のそばにいつまでも残っているのだろうか。いや、魂などあるのだろうか。仮にあるとして、それはお墓に? 仏壇に? どこにあるのか。そんなもの関係なく、異次元の世界からこちらを見ているのか。だとしたら、何も墓でその人に手を合わせなくても、普段、コーヒーを飲みながらその人のことを思っていても、その異次元の魂はそれを感じ取ることができるはずではないか。こんな三次元の狭い世界で、わざわざ首都高に乗って来て、手を合わせたからと言って、「おお、藤原か、よく来てくれたな、お前」って思ってくれるだろうか。
先ごろ亡くなった作家の新井満さんが訳した米国に伝わる作者不詳の詩「ア・サウザンド・ウインズ(千の風になって)」でも、「私のお墓の前で 泣かないでください/そこに私はいません 眠ってなんかいません」と言っているではないか。
せっかく来たので、広い霊園を見て回った。火の見櫓のような高いコンクリート塔があったので、あそこに登ったら見渡せると思ったが、やはり、鍵がかかっていてはしごは登れないようだった。
他の墓を見ていると、昭和30年代に母ひとりが31歳で亡くなり、つい最近になって息子二人がそれぞれ90歳、91歳で亡くなり、その3人が収まっている墓があった。母子家庭だったのだろうか。お母さんは早死になのに、男の子二人は長生きしたんだなあ、などと思った。でも、男二人は生涯独身だったのか。この3人だけが収まっているのはどういうことだろうか。分骨だろうか、などと考えてしまう。
在日韓国人の家族の墓も時折目にした。名字ではなく「わが家」と大きく彫られた墓もある。「和賀さん」という人のジョークかなと思ったら、別の名字の一族だった。そのときの流行でこうしたのだろうか。ぱっと見ると、一瞬、びっくりする。墓の隣にものすごく立派な石碑があるので、なんだろうと見てみると書道の先生の弟子一堂が寄贈したもののようだった。
それにしてもうち捨てられた墓が多く、まるで東京郊外のニュータウンの古い団地をそのまま墓にしたような感じもした。そんな中でも時折、酒が置いてあるので、見てみると、どれもフタを取ってある。そうか、誰かホームレスの人が飲めるようにとフタをしたままにしていたが、そういうせこいことを考えてはいけないのだ。「なんだよ、開かねえぞ」と永田さんががっかりしているイメージが浮かび、すぐにとって返し、フタを開けた。
午後3時、車に戻り出口に向かうと、同行の妻が言った。「お墓に来ると、寂しくなるよね」。そうかなあ。私は永田さんの原稿を書く上で、何かインスピレーションでも起きないかと期待していたが、割と淡々としていたので、寂しいとは思わなかったが、一応、「そうだね」と返事した。
「こんなに広いお墓来たの初めてだからか、うち捨てられて、無縁仏みたいになっているのが、たくさんあったからかな」「まあ、死んだらそれまでだからね」「うん」「でも、みんな死ぬからね。思い出の中にはずっと残るけどね。体は死ぬから」
私たちはさして年寄りではないが、日々老けていき、二人して年寄り合戦をしているようなところがある。どのみち、どっちかが先に死ぬので、いずれはお別れである。夫婦だけじゃない。親も子も、友達も先生も、みな、ほどなくお別れである。
寂しさを感じるのは、そんな思いが湧くからなのか。お墓はそれを知らせる場所という意味もあるのだろう。死者を思うと同時に、自分も含め、みな死ぬということを知るための場。そう思えば、こじんまりとしたお寺より、こうした荒涼とした都立霊園の方がぴったりくる。
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