自分が変わること

月刊「点字ジャーナル」連載コラム

近未来が見えない(その2)

2012年1月号掲載

毎日新聞ローマ支局長/藤原章生(当時)

 

 「社会の無意識」という言葉を最近思いついた。と、ここまで書いて、そんな言葉はもう常識のようにあるのかも知れないと思って、ネットで調べてみたが、私が思いついた感じのものは、調べた範囲では出てこない。精神分析学者のユングが「集合的無意識」という言葉を使ってはいるが、これは例えばどの民族もみな神や霊的な存在を太古から知らず知らずに感じてきたといった、人類共通の原初的な無意識というニュアンスなので、私が考えているものとは少し違う。
 私の考えはざっとこんなところだ。
 誰でも、意識している自分がいる。私は私だと思っている自分。でも、自分でもよくわからないもう一人の自分、時折夢に出てきたり、日ごろの生活でも、なんでこんなことをしてしまったのか、と思うような行動をしてしまう自分がいる。これをよく「無意識でやってしまった」などと言うが、自分でもうまく説明できない自分、もう一人の自分が、無意識の自分だ。
 この脳科学でもまだ解明されていない無意識が1人の人間にあるのなら、人間の集合体である社会にも、時代や世代に応じて共有している無意識があってもいいのではないか、と私は思ったのだ。イタリアの90年代の無意識とか、日本の70年代の無意識というように。
 そう思ったのは、妻がたまたま、イタリアのファッション雑誌『スティレ(スタイルという意味)』に載っていたデイヴィッド・イーグルマン(注1)というアメリカの脳神経学者の話を始めたからだ。
 この人の本は日本語にも何冊か翻訳されているらしいが、私には初耳だった。妻はそれに目を通し、「やっぱり、いまの若者たちは脳の仕組みが違うみたいね」と言った。
 その雑誌を手にしてみるとこんな見出しが目に入ってきた。「私たちの息子たち? 情報を取るのは常に速いけど、記憶する能力がない。集中力のある人なら(彼らに)勝てるよ」
 いまの若者たち、例えば私の息子の世代は、物ごころついたころからパソコンが身近にあり、ネットで何でも情報を得られる環境に育っている。だから、図書館に行かずとも、人に話を聞かなくても大体のことはネットでわかってしまう。ところが、ネットにいつでもアクセスできるため、それを記憶して頭の中にためておく必要がない。だから、記憶力が弱くなっていく。そして、ネットを使ったことのある人ならわかると思うが、一つのことに集中する習慣がなくなる。何かしながら、他のことをする、そしてまた別のことを、とネットであらゆるページを開いていくように、注目する対象が秒刻みで変わり、集中力は落ちていく。
 私はそのイーグルマンの話を妻に聞いたとき、2011年11月に辞任したイタリアの前首相、シルヴィオ・ベルルスコーニ(注2)をめぐるイタリア人の反応について、せわしなく考えをめぐらせていた。
 そして、無意識という言葉がそこに重なり、そうか、と思いついたのだ。
 ベルルスコーニはイタリア人のイタリア社会の一つの時代の無意識に支えられていたのではないかと。ある人を意識の上で「あいつはどうしようもない」と嫌っていても、無意識にひかれていることがある。それが社会にまで広がった現象が、ベルルスコーニが長年人気を保った原因なのではないかと思ったのだ。
 イーグルマンのことを調べてみたら、こんな言葉が出てきた。
 「あなたの意識とは、大海原を渡る蒸気船に乗った密航者のようなもの。足元に巨大なエンジンがあることなど認めず、自分一人で旅をしていると思っている」
 意識を動かしているのは、その下にある途轍もなく大きな無意識なのに、意識の方はそれに気づいていない。彼は意識を「氷山の一角」にたとえている。
 そこまで読み、私はその通りだと、直感的にわかった気がした。だが、直感的な発想というのも、彼に言わせれば、実は、無意識の部分が、新たに入り込んできた情報を、それまで無意識に収まっていた情報とつなぎ合わせ、うまく関係づけたにすぎない、という。
 「お、これは偶然だ」「斬新な発想だ」と自分で思ってみても、それは単に、長い経験から無意識の中にたまっていたものが、外の刺激でうまく表に顔を出したにすぎないということだ。もともと自分の脳の中に準備されており、外に出る寸前のものとも言えそうだ。
 そんな彼が、いまの若者は記憶力が弱いと断言する。記憶力が弱ければ、過去は遠くに消え、歴史をあまり意識しなくなる。歴史を意識しなければ未来も意識しないだろう。大事なのは、目の前にある現在だけとなる。
 いまだけ、この瞬間にだけに目を向けるのは、ネットに向かうときの姿勢や考えに通じる気がする。
 それを前提とすれば、私の息子たちの世代は、私の世代よりも将来や世界の未来を見ようとはしないため、それについてもさほど心配しないのではないだろうか。
 記憶を軽視するため、過去と比べることも私たちほど強くはない。だとすれば、さほど不幸な世代とも言えないのではないだろうか。と、そんなふうにも思えてきた。


 (注1)David Eagleman(1971~):米・テキサス州ヒューストンにあるベイラー医科大学の脳神経学者
 (注2)Silvio Berlusconi(1936~):60~80年代にかけて建設業と放送事業で財を成したイタリア共和国の実業家で政治家、9年間にわたり首相を務めた。

(この項つづく)
 

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