自分が変わること

月刊「点字ジャーナル」連載コラム

シャーマンをどう書くか

2025年7月号掲載

毎日新聞契約記者/藤原章生

 

 私は何をすべきなのか。南アフリカのシャーマン、クレド・ムトゥワのことだ。南アの古い友人から「お前は一度彼に会っている」と断言されながら、私は彼とのことが全く記憶になく、現時点でその証拠もつかんでいない。なのに、あるいは、だからなのか、私はムトゥワのために何かしなくてはならないと直感した。それはなんなのか。

 彼の思想を日本語で伝えるのが使命なのか。そのためには彼の大著『インダバ・マイ・チルドレン(子供たち、物語だ)』(1968年)をまずは訳すべきなのか。

 1921年南アフリカに生まれ、艱難辛苦の末、娘によれば、自分の教えや予言に対する人々の無理解に嫌気がさし「もうこの世にいたくない」と2020年に自ら亡くなったムトゥワ。98歳だったため老衰と伝えられたが、まだ生きることはできたと妻のママ・バージニアも私に語った。この世の人々を見限って天界に去ったが、それ一つとっても確証はない。

 3月に南アから帰国した私は雑用(世田谷市民大学での週1度のおしゃべり「半径5mから世界を書く」や原稿書き)と、お稽古事(クライミング、空手、チェロ、ズールー語、麻雀)、そして友人たちとの飲み会で、気づくと2カ月半が過ぎてしまっていた。  すぐに始めるつもりだったムトゥワの背景取材にまだ手をつけていない。南アでは関係者や彼のゆかりの地を訪ねたが、彼について語られる研究者の論文を読んでいないし、ネットに散らばる彼の言葉をすべて拾ったわけではない。全集に例えればまだ第1巻の序文しかかじっていないのだ。

 集英社インターナショナルに「インダバ」の翻訳を売り込んだが、「翻訳本は売れないし、一般書も売れ行きが急激に落ちているので」と興味を示さなかった。著作を訳すとなると相当な年月を要する。翻訳本を出したことのない私にそれに耐える胆力があるのか。それも自信がない。

 やはり、私ができる唯一のこと、書くことしかないだろうと、まずは連載を始めることにした。締め切りが設定されれば、取材せざるを得ず、それがもっとも私らしい貢献と考えたからだ。

 仮のタイトルを「アフリカのシャーマン」、副題を「クレド・ムトゥワと神様」にし、書く場をいろいろ考えたが、結局、来春まで契約記者をつづける新聞でやることにした。分量に自由が効く各社のウェブページも考えたが、ムトゥワを日本人に広く知ってもらうには、読者数が減っているとはいえ、天皇家から刑務所の受刑者、精神病院でリハビリをつづける人まで、あらゆる層が読んでいる新聞が適していると判断したからだ。

 『毎日新聞』に打診するとその場で「やってほしい」と言ってくれた。そこで過去5年、長期連載をつづけてきた「夕刊特集ワイド面」に78月から月1ペースで書くことに決めた。

 これまでの連載のように週1回書くことも考えたが、ムトゥワの言葉の真偽や意味を、学術的に補強した方がいいと思い、アフリカ史を洗い直す必要があるからだ。それに加え、私は日本にいる以上、インタビューや映画、本の紹介など他の話題も書きたいため、月1本にした方が時間に余裕がある。

 問題はどう書くかだ。

 ムトゥワはズールー族出身でアフリカの信仰を司る神官だ。現地でサンゴーマと呼ばれる。サンゴーマは南アの町や村の丁目ごとに1人はいる医師のような役割で、西洋医学とは別の伝統的な手法で住民の病いや悩みを癒やす。

 若いころ、全身を蝕む病で苦しんだムトゥワは、父親が狂信的なキリスト教徒だったため西洋医学の医師に診てもらうが一向に治らず、最後は母親の身内のサンゴーマの手で完治した。

 それを機にムトゥワは20代でサンゴーマとなり、のちにその治癒力、予言の確かさが並外れていたため、アフリカに数人しかいない称号サヌーシをサンゴーマの長たちから与えられた。

 宗教がらみの話を書くのは難しい。キリスト教イスラム教も、仏教、神道もそうだが、何事も裏づけされた事実を書くのを前提としている新聞の場合、書き方が容易でない。

 しかも、アフリカの信仰となると、どうしても偏見がつきまとう。

 例えば聖書で描かれる奇跡やキリストの行いが、魔術と書かれるのは稀だ。対してアフリカや中南米の先住民の場合、ついこの前までの私もそうだが、土着や呪術、祈祷、精霊などの言葉が使われることが多い。

 西洋中心の視点が私たち日本人にも長く定着しているためだ。

 タイトルにしようとしているシャーマンもグーグルで真っ先に出てくるAIによる定義はこうだ。「超自然的存在(神や精霊など)と直接交流し、その力を得る呪術的・宗教的職能者のこと」。

 つまりアフリカの信仰について書くだけで、神道以上の禍々しさ、怪しさ、ひいては前近代的な遅れたものといった偏見がつきまとう。これをどう克服するかが難題だ。  私はアフリカの信仰を丸ごと信じているわけではない。ただし、全面否定するいわゆる「科学原理主義者」ではなく、わからないことはあるかもしれない、という不可知論者の立場にある。

 その立場で読者をどう引き込むかも、書く上では大きな課題になるだろう。 私はこの夏、新たな文体、書き方に挑戦することとなる。結構緊張しているが、それは大いなる楽しみでもある。

 

●近著

『差別の教室』(2023年5月17日発売、税込1,100円、集英社新書)