自分が変わること

月刊「点字ジャーナル」連載コラム

菅平、追想と欲望と

2025年9月号掲載

毎日新聞契約記者/藤原章生

 

 この7月初め、浅間山近くの山に登った帰り、長野市の友人に会いに行った。車をとめた地蔵峠から南に行き、関越道に乗っても良かったが、同じ時間なので北の道を選んだ。ナビゲーションに従い車を走らせると、しばらくして見覚えのある山が現れた。どっしりとした根子岳と四阿(あずま)山だ。大きな耳を持った二つの山。その麓に広がる高原は菅平の町だ。

 そのまま通りすぎても良かったが、風景に引き戻されるように路肩に車をとめた。午後3時、昼を食べていなかったので、きた道を戻り、昔からありそうな、川べりの木陰の定食屋に入った。

 平日の暑い日でもあり、あたりには道路工事の作業員のほか人影はなく、全体に寂れて見えた。

 高原を懐かしく感じたのは、かれこれ35年ぶりにきたからだとそのとき気づいた。 1989年4月、28歳になる前に、私は毎日新聞の長野支局に新人記者として赴任した。そのころ、週末になると上田通信部の記者、上島(うえしま)義弘さんがデスクとして席についていた。上島さんは、菅平でペンション経営を始めたばかりで、私はそこに何度か客として泊まった。県警記者クラブの仲間たちを引き連れてスキーに行ったこともあった。

 夏合宿の学生が好みそうな盛(も)りつけのいいロースカツ定食を食べ終え、再び長野市に向かうと、かつては輝いていた高原ホテルが水に洗われたように脱色していた。芝居のかきわりのようだ。でも、窪地に広がる田んぼや、谷あいの狭い道は昔のままだった。

 35年なんて、あっという間だ。

 追想は大方がそうだ。時間感覚が狂う。かつての自分とその周囲の記憶が妙なほど新しい。

 でも、近未来、たとえば10年先はどうだろう。それは、振り返ったときよりもはるかに遠い先、彼方の時間のように感じられる。まだ、その行く末、経過を知らないからだろうか。

 この前、新聞社の同僚、50歳の男が「最近は還暦以上の人ばかりを取材していたので、どよーんという気分でした」と話していた。それも、同じ時間感覚だろう。50歳の彼が還暦を迎えるのは秒読みなのに、ずっと先だと思っている。

 私もそうだ。年上の友人が「77歳になったよ」「今年85」「91だけど、88まで働いたからね」などと言うと、ふーんと感心はするが、自分に重ねる現実味がない。それぞれの容貌は年相応だが、不思議と彼らは私と同じ60代、今から10年も20年も前から同じ面立ちだったようにも思える。彼らは何ら変わっていないと。記憶の上塗り、すり替えとでもいうのか。

 菅平にあった上島さんのペンションに通った20代末のころは、記者になって1、2年目で、事件記事や街ネタを書くのに懸命だった。日々が楽しかった。東京本社から応援にくる10年以上もキャリアのある科学部や社会部の先輩たちが、新聞社特有の小ぶりの原稿用紙に、サラサラっと手書きのきれいな字を埋めていくのを、「さすがだなあ」と思って脇から見ていた。自分も10年頑張れば、あんなふうになれるかなあと思いながらも、まだ若くて気楽で、目の前のことだけを一所懸命やっていた。

 上島さんはそのころ44歳で、ずっと地方回りの記者だったが、地方版に週1回の長期連載をしていて、『しなの動物記』や『動物からのメッセージ』など写真つきの野生動物の本をはじめ、5冊も出していた。「こんなのも書いてるんだ」と『北アルプスペスト事件』という推理小説をもらったこともある。

 自分が本を出すことなど想像もしていなかったころで、上島さんに憧れはしなかったが、筆圧の強い大きな字を原稿用紙に埋めていく姿を、「すごいなあ」と思って見たのを覚えている。

 上島さんは50代で亡くなり、私が海外勤務の合間、久しぶりに長野を訪ねた2005年にはもういなかった。

 ナビに導かれて菅平を通ったとき、立ち止まったのは、35年前を追想したくなったからだろう。それがついこの前のことだったとしたら、この世はひどく短いものだ、という感慨もあった。

 東京に戻った7月末、『ふらっとアフリカ』という本を出したばかりの私は、読んでくれた人の感想を頭の中で反芻しながら散歩していた。「ずっと同じことを書いてるんだけど、上手になってるよ」。長年の読者である身内にそう言われると、一瞬だが、舞い上がった。まだ良くなっているんだと。

 それでいいじゃないかと思うのに、より多くの人に読んでもらいたいという欲がある。普段は何事も流れに任せて、多くは求めずなどと思っているのに、自分が書いたもの、特に本が出ると、反応を気にしてしまう。欲に囚われているのか。欲望から自由になりたいなどと言いながら、まだ、そんなことに。

  あれこれ思い煩い自宅近くを歩いていたら、菅平の風景がまた現れた。

 ついこの前のこと、と思っていながらも、自分の気持ちは随分と遠くまできている。いまもサラサラとは書けないが、2005年から20年間で11冊も本を出している。最初の本を出した直後、もう十分だと本心から思ったのに。

 その本を出す10年以上も前、あの菅平で感じていた、ただ、いいものを書いてみたいといった漠然とした欲望。それだけで充たされていた自分は随分と厚かましく、欲深くなったものだ。私は近所を歩きながら、反省した。結果など考えず、ただ思うままに書いていきたいという初心はどこに行ったのかと。

 

● 新刊紹介

📕『ふらっとアフリカ』(2025年7月29日発売、税込1,650円、毎日新聞出版)

特派員の肩書きもミッションもなしーー
23年ぶり、アフリカにとっぷり浸かってみた!
紙袋ひとつ持って「旧友たち」のもとへ
今ひとたびの、灼熱大陸清貧一人旅。

南米、ヨーロッパ、アフリカ、ヒマラヤのダウラギリまで、世界各地を巡り歩いた特派員が、約25年ぶりに再びアフリカの地に降り立った!
今回は、あえて目的も計画も持たずつとめて身軽な旅。
毎日新聞連載を書籍化。


● 関連書籍

📕『差別の教室』(23年、集英社新書)

📕『絵はがきにされた少年』(05年、集英社、開高健賞受賞、20年に新版)