2022年2月号掲載
年末の3日間、雪の中を歩いていた。何も考えないようにしていても、いろんな思いがよぎっていく。あまりに雪が深いので、ときどき、歌も流れ出す。中学生のときに見 た映画「八甲田山死の彷徨」で歌われた「雪の進軍」だ。明治時代の軍歌のようだが 、うろ覚えの歌詞はあやしい。
「雪の進軍 氷を踏んで 馬が倒れりゃ 捨ててもゆけぬ月月火水木金金」と勝手にアレンジしたものを心の中で歌う。軍歌はすぐに終わり、この冬、自分のブームだったジュリーの歌が出てくる。
「片手にピストル 心に花束 唇に火の酒 背中に人生を ああ、ああ、ああ あああ 」。沢田研二の「サムライ」という歌で、こう続く。「ありがとう ジェニー お前は いい女だったよ はんぱなワインより酔わせてくれたよ だけど ジェニー あばよ ジ ェニー 俺は行かなくっちゃ いけないんだよ 寝顔にキスでもしてあげたいけど そしたら一日 旅立ちが延びるだろう 男はいつでも不幸なサムライ 花園で眠れぬ ことも あるんだよ」
なんとも自己陶酔的でマッチョな歌である。今だったら、問題になりそうだ。「キスでもしてあげたい」というのは、新語で言えば「上から目線」だし、「男はいつでも不幸なサムライ」もジェンダー上いかがなものかと批判されるか、鼻で笑われそうだ 。 ネットで調べると、この曲がレコードのシングル盤として発売されたのが1978 年の1月21日とある。78年? ちょっとギクリとした。黒柳徹子と久米宏が司会をしていたテレビ番組「ザ・ベストテン」で4週連続1位、その年の年間順位も4位というヒット曲で、当時高校1年だった私もよく耳にした。男子なのでジュリーのファンだと公言はしなかったが、よく通る声、細い体つきが結構好きだった。
雪の中でこの歌が流れだしたのは単純な話だ。年末の早朝4時、目を覚まして山の服に着替え、コーヒーをいれてポットに詰めていると、連れが起きてきて、「こんな寒いのによく行くねえ。バカじゃないの」と半ば冗談っぽく言った。北アルプスの上高地から周辺の山を登る予定だが、大雪警報が出ていた。
いや、自分も行きたくはない。こんなに寒いなら、こたつに入って、熱燗でもちびりちびりやりながら、短編小説でも読んでいる方がよほど楽しい。だのに、なぜ、何を探して、君は行くのか、そんなにしてまで、などと思っているとこんな返事が出てきた。「いや、寒いから、俺だって行きたくないんだけど、行かなくちゃいけないんだよ」 あ、このセリフ、どこかで聞いたような…、そうだ、ジュリーだ! と例の歌が出てきたのである。「俺は行かなくちゃ行けないんだよ」
刷り込みである。16歳の正月すぎ、この曲をテレビで見たとき私は、あの時代の、独りよがりの男たちの、マッチョ魂をさりげなく吹き込まれたのだろう。
昨年、コロナになり退院すると、私は古い荷物の整理にとりかかった。ファイルや手紙類を捨てていたら、変なはがきを見つけた。差出人不明の年賀状で、誰かに書く際、宛先を間違えたため、同じ地区の私についでに書いたといった体裁で、こんな言葉が書かれていた。
「おい、藤原。お前、高校に行ってますますカマ根性がついたな。オカマめ! まあ、今年もよろしくな」
当時の私がどう受け止めたかは覚えていない。私は中学生のころ、「オカマ」だとか 「カマフジ」と同級生や教師にからかわれていた時期があった。仕草や女子とおしゃべりばかりしていたところが、そういう印象を与えたのか、「男らしさ」がないような気質をとがめられていた。いまから思えば一種の「いじめ」だろうが、中学3年も後半になり、突然のように成績が伸び始めると、なぜかそんないじめは陰をひそめていった。はがきはきっとそのときの級友が、通学電車で私を見て、書いたものだろう。
この年賀状を受け取ったのは、ジュリーの「サムライ」を聞く直前の78年の正月だ った。私はその高校1年の冬、特にスポーツもせず、ときどき山に行く程度で、あとは一人でよく勉強をしていた。その前の年、私立の慶応大学附属高校に二次の面接で落とされ、落ちどめの都立上野高校に通い出したが、受験に落ちた反動なのか、早くも大学進学に向けた勉強を始めていた。1年生で独学で高3で習う数学「数Ⅲ」まで問題集を終わらせ、英語はもちろん、まだ授業の始まっていない物理化学にも手を出していた。入学直後に入った軟式テニス部は体育会的な上下関係が厳しいムードが嫌で、早々にやめていた。
勉強だけして、あとは一人でギターを弾くか本か映画しかない自分をどこか格好悪いと思っていたのだろう。「オカマめ!」と書かれて、何か発奮したのだろうか。ただ一つ言えるのは、私は野放図な感じの、バンカラふうの「男」に憧れていた。「花園で眠れない不幸なサムライ」でもよかったのかもしれない。高校2年になっ た春、恩師に誘われたのを機に、上野高校の山岳部に入った。今新聞で連載中の「酔いどれクライマー永田東一郎伝」の主人公と出会ったのもその78年の春だ。
それから今まで、何度となく早朝に目を覚まし山に向かった。眠くて寒くて仕方ないつらい朝、耳の奥ではいつもジュリーが歌っていた。「片手にピストル 心に花束 …、俺は行かなくちゃ行けないんだよ」
でも、もう十分やってきたよ、そんなに無理しなくてもいいよ。深い雪の中、そんな声を聞きながら、「自分の中のマッチョともそろそろお別れか」と私は思っていた 。
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