2012年5月号掲載
この連載を始めた3年前、私はローマに暮らしていた。そのころは、私生活でも仕事でもイタリア語と日々格闘していた。スペイン語を話せたので、イタリア語をある程度はわかったが、自分のものにするには、まだ果てしない時間が必要に思えた。
記者は言葉が勝負だ。話せなければ、聞き取れなければ、読めなければ話にならない。私は助手のジョルジョとともに、とにかく人と話をして回った。
そんなころ、エッセーをとの依頼を受け、「自分が変わること」というタイトルで毎回私的なことを書かせてもらってきた。初回の原稿の繰り返しになるが、このタイトルにしたのは、カムチャツカ半島でヒグマに襲われて亡くなっ写真家、星野道夫さんの次の言葉が好きだったからだ。
「いつかある人にこんなことを聞かれたことがあるんだ。
例えば、こんな星空や、泣けてくるような夕日をひとりで見ていたとするだろう。
もし、愛する人がいたら、その美しさやその時の気持ちをどんな風に伝えるかって。
写真をとるか、もし絵がうまかったらキャンバスに描いてみせるか、いや、やっぱり言葉で伝えたらいいのかな。
その人はこう言ったんだ。自分が変わっていくことだって。
その夕日を見て、感動して、自分が感動して変わっていくことだと思うって」
=星野道夫著作集3(新潮社)「もうひとつの時間」より=
さて、4年間のイタリア、ギリシャ、リビアなどでの経験から、私に感動や衝撃はあっただろうか。そして、それを人に伝えるため、自分が少しでも変わっただろうか。
前回、この連載の原稿を書いていた3月初め、私はまだイタリアでの仕事に没頭していた。さもローマでの生活などいつまでも終わらないふりをして、それまで通り、インタビューと読書、原稿書きの生活を送っていた。
そして、3月も下旬になると大慌てで事務所を閉じ、家族と犬2匹を連れ、それこそ疾風のごとく、日本に帰ってきた。
だから、帰国して1週間がすぎたいまもなんだか、この日本での暮らしに現実感がない。4年間倉庫に預けておいた荷物を新しい借家に広げ、ようやく、日本での日常を始めようとする段になった。
引っ越しという大がかりな家族の大移動での帰国は今回で3度目になる。一度目は2001年春、5年半暮らした南アフリカから戻ったときで、2度目は2006年春、4年暮らしたメキシコから帰ったときだ。
今回、2012年春の帰国はそれまでの2回と比べると大きな違いがあることに気づいた。
東京の町の雰囲気、人々に違和感を感じない。失望もしないし、否定的に見ることもない。嫌だなあと感じることもあまりない。
アフリカから戻った01年は、バブル経済が崩壊した後ということもあり、日本の雰囲気が、私が国を去る95年当時に比べがらっと変わった感じがした。当時、ジベタリアンと呼ばれていたが、若者がコンビニの前などにベターっと座り込んでいる図や、町に流れる電子音、ロボットのように規則的な人々の歩みに嫌悪感を抱いた。そして、髪の毛を金や茶に染めている人がずいぶんいた。
暑い4月の午後、子供の学校の用事で狭い渋谷の歩道を歩いたとき、若者たちが三々五々のったりのったりと歩いている様子や、路上につばを吐く姿を目にし、気分が悪くなったのを覚えている。
メキシコから戻ったときは、ラテンアメリカの人間の熱っぽさを体験したあとのせいか、無表情な群衆に、「なぜこうもパッションがないのか」などと嘆いたりもした。
ところが今回は、どういうわけか、それを私はそのまますんなりと受け入れている。人の顔をのぞき見ることはあっても、決して直視しない見知らぬ人々の仕草。通勤電車の中で半径30㌢ほどの狭い空間で電子機器や読書など自分ひとりの世界に没入している東京人たちを、ほほ笑ましいというのか、愛すべき人々として見ている自分がいる。少なくとも寂しい気分にならない。
なぜなのか。イタリア暮らしがきいているのだろうか。私自身が少し歳を取り寛容になったのか。日本人そのものが変わったのか。昨年の大震災が日本人に、あるいは私自身の何かを変えたのか。
アフリカや中南米と比べればイタリアは一応は「先進国」の部類に入る。この先進国の定義はあいまいなものだが、近代化、産業革命による工業化が先に進んだ国ということでいえば、イタリアは日本と同様、イギリスやフランスに比べれば発展は遅い方だったので「二流の先進国」ということになるだろう。
その日本と並ぶ欧州の一国に実際暮らしてみて、次第次第に日本もさほど悪い国ではないのではないか、いや、むしろ公共性や集団としての規律という点ではかなり進んでいると私は感じてきた。
それでいてイタリアにその欠点を補うような美点、たとえばアフリカ人に見られるような群衆のエネルギーというのか、人間が持つ力強さ、人間同士のつながりの強さがあるのかのと言えばそうでもない。
つまり、イタリアはほどほどの国なのだ。
そんな国から日本を遠望しているうちに、「さほど悪くはない」と感じ始めたのかもしれない。視線がより相対化されたということだ。でも、どうもそれだけでもないような気がする。
東京生活が日常となれば、こんな感覚もすぐに薄まり忘れてしまうだろう。
どうしてこうした感覚が出てきたのか。その理由をもう少し考えてみたいと思う。
(この項つづく)
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新聞社の特派員としてアフリカ、ヨーロッパ、南米を渡り歩いてきた著者は、差別を乗り越えるために、自身の過去の体験を見つめ、差別とどう関わってきたか振り返ることの重要性を訴える。
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