自分が変わること

月刊「点字ジャーナル」連載コラム

近未来が見えない(その5)

2012年4月号掲載

毎日新聞夕刊編集部記者/藤原章生(当時)

 

 イタリアの著名な社会学者、ドメニコ・デ・マシさんの言葉が耳に残った。
 車をほしがらない、大企業を目指すわけでもないと、最近の若い人の感覚について私が話したら、こう応じた。
 「イタリアの一番の問題は40代なんだ。理想を抱かないという点では40から50歳までが特に悪い。気落ちしていて、楽観的でない。何か大きなことをやりたいとは思ってきたが、いま目の前にあるのは脱成長という現実だ。
 イタリアには何も生産しない人たちがいる。ニートと呼ばれる人たちだ。仕事をせず、消費する権利はあるが生産する権利を持たない人々が200万人もいる。10年後には400万人になるだろう。そこに私は、労働したい引退者を加えたい。いま人は80、90歳まで生きる。だが60を超えると働かせてもらえない。それを加えたら相当な数になる」
 老人も含め消費し生産しない人がどんどん増え、約3500万人の労働人口の半数を占めるようになる、ということだ。
 イタリアの方が進んでいるが、日本もよく似た傾向にある、これは高齢化が進む先進国共通の問題といえる。生産しない若者たちが10年で400万人、つまり、若者たちの半数近くがそうなる、と言うのも、決して大げさな話ではない。
 彼がニートの話を持ち出したのは、40代にニートが多いということではない。むしろその下の世代に多い。では、なぜニートを挙げたのかと言えば、いまの40代にそのはしりを感じたからだろう。
 イタリアの40代は日本で言う「失われた世代」、つまり就職氷河期に当たった世代とも違う。その10年前の人たち、日本でいえば「新人類」と呼ばれた世代に当たる。
 イタリアでは1997年6月、短期雇用を認める法律が制定せれた。当時失業率30%に上った34歳以下の若者の職を何とかしようと、北欧を真似て「労働の柔軟化」を取り入れた。
 その結果、それまで当り前だった終身雇用に代わり非正規雇用、つまり、1年あるいは長くても5年ほどで契約が切れる職が一気に増え、いまでは大半の新規採用がそうなっている。
 当初は、同時に二つの職につける。勤務時間も自分で選べて、自由気ままに暮らせると前向きに受け止められたが、安定とはほど遠い人々を生み出した。契約が切れ、職がなくなったときに十分な保障はなく、家のローンも組めない。雇用だけが変わり、世の中の仕組みが変わらなかったためだ。
 イタリアでは大学を出るのに時間がかかり、大卒者の平均年齢は25歳だ。この非正規雇用ブームに引っかかったのが1997年に25歳の人からだとすると、現在39歳以下の人たちに当たる。
 日本もほぼ同じだ。就職氷河期世代、あるいはロストジェネレーションと呼ばれる人々は1972年から82年ごろに生まれた世代。現在の30代だ。
 社会学者が「問題の世代」と言うイタリアの「40代」は、日本の氷河期世代のひと昔前に当たり、終身雇用の最後の世代、1961~71年に生まれた人たちのことだ。
 では、彼らはなぜ、理想を抱かず、常々気落ちしていて、楽観的になれないのか。
 彼らが物ごころついたころ、イタリアはテロの時代だった。ローマもミラノも主な都市は左右に分かれ、「赤い旅団」ら左翼の都市ゲリラに加え、マフィアも絡んで、首相や検察官らが次々と暗殺される社会不安が続いた。
 だが、日本が連合赤軍によるあさま山荘事件を機に社会のムードが変わったように、イタリアは80年代に入るとぐっと軽くなり、モーダのビジネスが世界を席巻する明るい時代になる。その転換点となったのが1981年のサッカー・ワールドカップ、イタリア優勝という人も少なくない。
 そして、それまで強かった左翼的な勢力は次第に表舞台から消え、ベルルスコーニ氏がテレビを通して築いた「イタリアン・ドリーム」の時代が90年代に始まる。
 ローマの私の知人には40代が多い。彼らに聞いてみるとこんな反応が返ってきた。「急に世の中が変わり、何事も信用できなくなった」「それまではイデオロギーの時代で、町内でも喧々諤々やりあっていた。新聞は毎日のように爆破テロや内ゲバの話を伝えていた。それがある日、突然のように消えた。政治家が止めたのではない。気づいたら変わっていたんだ」
 イタリアの40代の特徴は「自由に生きる」のを信条としているところだ。いくら稼ぎが良くても、好きでもない仕事はしたくない。つまり、彼らは非正規雇用が当たり前になる前から、自ら進んで終身雇用に背を向けていたところがある。そして、仲間とのつながり、ネットなどを介した横のネットワークが強い。
 職を失くした彼らが何をしているかと言えば、古いタイプライターや蓄音機を修理してネットで競売にかけたり、浜辺で集めた貝殻や流木を集めて、鏡の額をつくるアートに専念するなど、大して儲かりはしないが、自分の手でできる作業にいそしんでいる。生産量、収入は極めて少ないが、ニヒリズムに陥ることなく、一人ひとり静かに何かをしようとしている。
 イタリアでは「終身雇用の時代は終わった」とよく言われる。労働を専門とする学者の中には、積極的に終身雇用を減らし、みなが短期雇用になるのが理想と言う人もいる。実際、大卒者で就職できる人は6割ほど、そのうち正規契約を得る人は3割ほどしかいない。つまり全体の2割弱しか正規の雇用を得らないのがいまのイタリアだ。
 あと10年もすれば、いまの40代が職場の最高齢となる。経済を勃興させることは決してないだろう。だが、稼ぎは少なくても、それぞれが割と自由に好きなことにいそしむ。そんな今の40代の特徴が、イタリアの近未来を見る上で、ひとつのヒントになるような気もしてきた。

(この項おわり)

 

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