自分が変わること

月刊「点字ジャーナル」連載コラム

近未来が見えない(その3)

2012年2月号掲載

毎日新聞ローマ支局長/藤原章生(当時)

 

 19歳のころ、自分は何を考えていたか。将来について、どう思っていたのか。近未来が見えない、いまの時代の若者の心理を考える前に、自分の感覚をふり返ってみたい。
 1979年の6月、東京サミットがあった。高校3年の政治経済の授業で、それについてレポートを書かされたのでよく覚えている。サミットにも政経の授業にも興味はなかった。ただ今でも「東京サミット」と聞くと、写真のようにはっきり思い出す光景がある。東京の根津の小さな通りだ。古い木造の粗末な家が並ぶその道は、私が通った高校から地下鉄の根津駅に向かう途中にあった。
 学校から駅までは何通りもの帰り道があるが、なぜだか滅多に通らないその道の一カ所だけが鮮明に現れる。東京大空襲で焼け残った家もあったが、戦後間もなく建て直した粗末な家が多かった。記憶に現れるのは、その一軒の海老茶色の薄い板塀だ。
 当時の東京の住宅街の主流は、木造モルタルの二階家とねずみ色のブロック塀だった。そんな「モダン」な街並みから取り残された古くみすぼらしい板塀が、なぜ「東京サミット」と重なるのか。
 たまたまその道を「レポートか。かったりいなあ」と思いながら歩いていただけかもしれない。記憶とはそんなもので、二つの情報がそんなふうにつながる。だが、自分の心理状態にも関わっていたのではないかと思う。
 そのころ読んでいたのは、三一書房が出していた「全学連」「安保闘争」「安保・反戦・沖縄」や岩波新書の「狭山裁判」などいわゆる左翼系の本だった。それが高じて1年間かけて書く政経のリポートのテーマを「左翼闘争とセクト」にし、山本義隆の「砦の上に我らの世界を」など69年闘争とその後の中核、革マルといった極左の分裂に興味を抱き、日比谷図書館黒田寛一の本を借り、難解な文体が理解できず苦しんだりもした。結局、新左翼に傾倒することはなかったが、そんな本ばかりを読んでいた。
 大学の紛争が極まる69年はたった10年前のことなのだが、高校3年生にとっては、はるか昔の「歴史」という感じがした。自分がアクション映画にはまっていた10歳のころに起きていたことに驚きを覚え、浅間山荘の事件の意味などがわかり始め、「狭山事件」に見られる差別問題も含め、そのころの私は、「いまの世の中はおかしい」と思い始めていた。
 しかし、巷では三田誠広の「僕って何」(77年)といった、高校生の私でさえ「軟弱」と感じた、学生運動を思い入れたっぷりにふり返る作品や、「いちご白書をもう一度」(75年)といった歌が流行り、もはや安保や闘争が話題になることは稀だった。授業で教師が語るのは「東京サミット」に象徴される「先進国日本」であり、私はそんな時代のありように単純に怒っていた。こんなことでいいはずはないと。昭和30年代を思わせる古臭い板塀は、その時の私の心理を反映していたとも言える。

 だが、それは冷戦下、核の傘の下で経済発展を追い求めた日本で、それなりに明るい近未来が約束された高校生の贅沢な抗いにすぎなかった。戦後憲法で参戦を自ら禁じた日本人は、朝鮮戦争でもベトナム戦争でも米国側の最前線に立たたされない幸運に恵まれ、経済を勃興させた。何かの事故でスイッチが押され、「核戦争で人類が滅亡する」というSF的な脅威が常にこびりついてはいたが、そうした仮想が逆に個人の生を緊張させ、生き生きとさせていた。
 突発的な核戦争のほか、若者があえて近未来を憂う必要のなかった時代と言える。そして、わたせせいぞうのマンガや大瀧泳一のアルバム「ロング・バケーション」、村上春樹の小説に代表されるおしゃれっぽい80年代が始まり、90年代半ばのバブル崩壊までの乱痴気騒ぎが続く。
 では、いまの若者はどうか。就職は厳しく、人によっては100社も落とされ、人格を否定される苦行を強いられる。日本もいずれ、イタリアなど欧州と同様、新卒者の非正規雇用が大半を占める状態になるだろう。
 職がなければ、それは貴重なものとなり、何としてもそこに就きたいと思うのが道理だ。「就職が決まって髪を切ってきたとき、もう若くないさと、君に言い訳したね」と「いちご白書…」で歌われた75年には職があった。だから就職は青春の終わり、自由や抵抗をそがれる奴隷世界の入口と嘆くことができた。職が増え、発展が当たり前の時代こその贅沢だった。
 就職などしたくないと若者が言えたのも、「東京サミット」に酔いしれる国を高校生が斜に構えて見られたのも、経済発展を前にした一種ニヒルなポーズだった。
 英国の社会学調査によれば、最初から職を得られない者、失業者の大方は、抵抗など行動ではなくニヒリズムに向かうという。
 いまの日本では就職活動を端からせず、仕事も勉強もしないいわゆるニートが増えている。だが、決定的に違うのは、そんなニヒルな態度がポーズではなく、本当のニヒリズムになっているのではないかということだ。
 失業先進国のイタリアでそれがはっきりと表れている。その先に何があるのか。

(この項つづく)
 

●近著紹介

酔いどれクライマー永田東一郎物語 80年代ある東大生の輝き』(2023年2月18日発売、税込1,980円)

優れた登山家は、なぜ社会で「遭難」したのか――。
圧倒的な存在感を放ちながら、破天荒に生きた憎めない男の人物伝

東大のスキー山岳部に8年在籍し、カラコルムの難峰K7を初登頂に導いた永田東一郎は、登頂を機に登山から離れる。建築に進んだものの、不遇のまま46歳で逝った。

1980年代、下町を舞台に輝いた永田は自由人と言われた。その自由さとは何だったのか。上野高校の後輩だった藤原章生が綴る一クライマーの生涯