2025年6月号掲載
南アフリカ、ソウェトの居候先には毎日いろんな人がくる。家主のケレや妻のムバリ、離れに住んでいる息子夫婦はもちろん近所の人がよくくる。
「ウラレ・ガーヒェ(よく眠れた)?」「ウンジャニ(元気)?」という挨拶を交わすと少し雑談をし、時間があれば辺りを散歩したり、近くの酒場で玉突きをしたり、知人宅をのぞきにいったりと、夏休みの子供のようにすごす。きょうは何して遊ぼうかと。と言うのも彼、彼女らの大半が無職だからだ。
そんなひとりに私と同い年のシェパードという男がいる。ケレの幼馴染で小学校のころから向こうっ気が強く腕も立つため、ボディガードのようにケレに寄り添ってきた。 私は90年代に交流はなかったが、今回、2024年初めからのソウェトに居候するようになると、ほぼ毎日のように顔を出す。
本職は自動車の修理工で何度か勤めたこともあるが、いまはフリーで呼ばれればガレージに修理に行き日銭を稼ぐ。「一度うちにも来てくれ」というので徒歩10分ほどの平屋をのぞくと、裏庭にパジェロが2台、アウディが1台雨ざらしになっていた。部品が手に入らないため、修理が始まらないのだという。
「車が直ったら、あんたをどこにだって連れていけるんだけど」「パジェロはいい車だ。完成すれば、ダーバンだってどこだってすぐだよ」。沈黙がつづくとそんな夢のような話を英語で思い出したようにする。
「車があればなあ」と私がよく言っているからだが、修理の金を出してくれとせがんでいるように聞こえたので、「俺はそんな金を出す気はないからな」としょっぱなに釘を刺した。すると短兵急の彼は途端に怒り出し「俺はお前に出してもらおうなんて全く思ってない。何を言ってんだ」と気色ばむ。
彼とはダウンタウンやソウェトの中でも遠方をよく一緒に歩いた。ある暑い午後、文化村に行くため私がグーグルマップを見ながら先導していたら、「こっちだ」と彼が言うので、「そっちだと遠回りになる」と私がスマホを見せると怒り出した。
「そんなものをみな使っているけど、それは嘘を教えてわざと人を迷わすんだ」
シェパードは電話しか使わない。ガラケーを持っているがスマホはない。
「だけど、この地図を見てみろ。こっちの道が近いのは明らかだろ」
「それは嘘をつくんだ。お前はソウェトを知らない。俺はここで育ったんだ」
「だけどこの前も間違えたじゃないか。黙って俺についてくりゃいいんだよ」
私が語気を強めるとあっさりキレた。
「俺はお前のボーイ(小僧)じゃない! そんな口の聞き方は許さねえぞ。お前なんかいつだって殺せるんだ」
こういう男はよく吠える犬と同じだ。こっちがひるむとつけあがる。
「じゃあ、殺せよ、ほら、いま殺せ!」
怒鳴りあう私たちの声に、通りかかったカップルがビクっとして足を止めた。
「じゃあ、先に行けよ」と私が折れ、シェパードを先に歩かせると緑地を斜めに突っ切る踏み跡を進んでいった。確かに、グーグルマップに出てこない近道だった。
その午後は互いに一言も口を利かなかったが、帰り道、食パンにフライドポテトと薄いハムを挟んだ100円ほどのイコタと呼ばれる軽食を買い、緑地に座って食べた。腹が膨らむと気分も収まる。二人とも朝から何も食べていなかったのだ。
「お前が 正しかったな」「ああ、俺も悪かった」と漫画『夕やけ番長』のようなセリフで我々は和解した。
シェパードは「殺すぞ」と言ったが、実際に人を殺していて、服役後も25年3月に私が去るまで、保護観察期間が続いていた。
6年前、妻の浮気現場を押さえ、その場で相手の男をナイフでめった刺しにした。服役中、改心した妻がとにかく尽くしたため、よりを戻した。が、「殺したことはいまも後悔していない」と私に言った。
殺すことはないだろう。それだって好きな女が選んだことなんだから許してやれよ 。私はそう思ったが言わなかった。
それよりも彼を苦しめているのは服役中に長男が殺されたことだった。あるとき、まとまった現金を手にした息子はギャング仲間にそれを強奪され、抵抗したため殺された。
「俺は息子を殺した連中のうち2人を知ってるんだ。やらないわけにいかない」
あるとき、彼が毎晩2時間くらいしか眠れないと言うので、理由を聞くとその話を始めた。妻の浮気相手を殺した話は早い段階で聞いていたが、息子のことは長く言わなかった。
いずれも私がしつこく聞き出したわけではない。「なんで刑務所にいたんだ」「なんで眠れないの?」と言った軽い問いかけに彼の方から話し出した。
「復讐はやめとけよ。今度はその家族がお前や身内に復讐するぞ」と一応は言ったものの、私にはそんな経験がないので、どうしたって言葉は軽くなる。
いくら食べても太れない、昆虫のタガメのような体と、突然のように光る濁った目。それは長きにわたる不眠からきたものか、もともとの気質なのか。どうしてなのか、私は彼のように何かが欠落していたり、深い傷を抱えたような人と仲良くなってしまう。
あるとき、普段酒を飲まない彼が珍しく黒ビールを2本買って、コンクリートの床にひざまづき「あんたに感謝する。あんたは俺のヒーラーだ」と言って、1本を私に差し出した。
「なんだよ、それ」と言うと、「いや、あんたといると、気持ちが落ち着くんだ。だから、あんたは俺を治してくれているんだ」
何を言っているんだと思ったが、嘘でも、もしそう思うならそれはいいことだと思って、「そりゃいいや、じゃあ、毎日1本買ってくれよ」と冗談で応じると、「毎日は無理だ」と真顔で答えた。
シェパードは保護観察処分が終わった4月以降も、少なくともまだ、息子の加害者たちを殺していない。
●近著
『差別の教室』(2023年5月17日発売、税込1,100円、集英社新書)
