2025年1月号掲載
クレド・ムトゥワ(Credo Mutwa)という名をかすかに覚えていた。南アフリカの民 族、ズールー出身の哲学者だ。日本語だとクレドと表記されるが、ズールー語で「C」は舌先を前歯の裏に当てチッと発音する。不満なとき「チェッ」と言う日本語に近い。その音に習い、地元ではよくチュレド・ムトゥワと呼ばれる。2024年初めの3カ月 、そして11月から南アフリカに暮らす中、彼の名を何度も耳にした。
私の暮らしはシンプルだ。週に3回、車で10分ほどの家でズールー語の先生の授業を受け、残りは予習復習の合間に、居候先に集まる人たちとしゃべっている。私が居候する家は、南ア最大の旧黒人居住区、ソウェトの南西にある地区、ピリのンドロブ通りにある。ピリはソト語でハイエナ、ンドロブはズールー語でゾウを指す。日本語に直せば、「ハイエナ町ゾウ通り」に暮らしているが、野生動物はいない。夜になると家中を駆け回る家ネズミくらいだ。
私が日々つき合っているのは、居候先のケレ・ニャウォら年配の友人、知人たち。ケレの息子で離れに暮らすダタとその彼女を中心とした若い世代。さらにはソウェトの別の地区に暮らす年配者たちと計3グループいる。
私のズールー語のレベルは小学校の1年生くらい、というより妙に難しい単語を知っている割に話を聞きとれない子といったところだ。自分から話題をふらず、あくまでも彼らが話すのを待っている。彼らの物の考え方を知りたいからだ。
すると、若者、老人、いずれからもムトゥワの名がよく出てくる。1921年に生まれ 2020年に98歳で亡くなったムトゥワはズールー出身のシャーマンで彫刻家でもあった。数千年前から伝えられてきた神話、哲学、歴史をつづった最初の作品『インダバ(物語)マイチルドレン』という大著を1964年に出している。学者らに強く推され、ズ ールーの神話や説話を英語で書き上げた。
欧州人が来る前、大陸の中部にあるコンゴより南のアフリカ人には同じ信仰があり、争いの少ない社会を築いていた。すべての悲劇は欧州人の無知から始まった。キリスト教布教と天然資源の奪取に余念のない彼らに、アフリカ人の信仰を学ぼうという姿勢が少しでもあれば、いまのような不幸はなかった。アフリカの信仰にこそ、人類の未来がある……。
作品から伝わるのは彼のそんな思いだ。彼がいまも注目されるのは、言葉の力もあるが、2000年代以降のインタビュー映像が10年ほど前からネットで広まりだしたのが大きい。
ムトゥワはアフリカ各地の内戦や飢餓、米同時多発テロなどを早い段階で予言してい る。若いころ、「地球外生物に拉致された」という特異な体験や、専門教育を受けていないのに西洋哲学などに詳しい博覧強記が、ただ者ではないと、若い世代をひきつけている。概してアフリカ人は神秘的な話を素直に受け入れる傾向がある。そのせいか、ムトゥワのことを「あやしい」とは口にしない。
ムトゥワの名前があらゆる人々から出てくるので、ケレに聞いてみると「俺たちは一度彼に会っている」と言い出した。300kmも離れた北西県の彼の家を訪ねインタビューしたという。てっきりケレが私を誘ったのかと思ったら、私の方が乗り気だったようだ。ソウェトにあった彼の文化村で彫刻を見た私が、本人に会いたいと言い、北部に向かったそうだ。
ムトゥワの息子とその孫が、大樹の影が広がる地面で石を刻んでいる姿や、広大な墓 地まで歩き、写真を撮ったのをかすかに覚えている。が、ムトゥワ本人の姿やたたずま い、何を語ったかなどはまったく記憶にない。
「3日ほどいたはずだ」と言うので調べてみると、1998年9月下旬に私は北西州のマフィケンにいた。アパルトヘイト時代に黒人警官が白人右翼3人を殺した事件をめぐる「真実和解委員会」を取材するためだった。その帰りに彼を訪ねたのだろうが、過去記事を調べても、インタビュー記事はない。「あの日、3時間は話を聞いたので、絶対書いたはずだ」とケレは言うが、その記憶がない。当時はフロッピーディスクに原稿を収めていたので、探せば出てくるかもしれないが、南アフリカでは調べようがない。そのころは書いた原稿の半分、控えめに言って3割程度が新聞に載るだけだった。ボツ原稿の山の中で、ムトゥワの記憶も消えたのだろうか。
当時の私は南アだけでなくアフリカ各地を回っていた。忙しさもあっただろうが、私には宗教や神秘的な現象を、ムトゥワの言う「無知なる欧州人」と同じように、見下しているところが多少なりともあった。原稿にしてはみたが、予言めいた話は新聞には載せにくいし、私自身が疑っていたから忘れたのかもしれない。そう話すと、ケレは「いや、お前はあのとき、そう言ってなかった。インタビューに満足していた」と言う。だとしたら、なぜ書き直したり、コラムなどでムトゥワのことを新たに書こうとしなかったのか。帰国した2001年の秋、私はアフリカを舞台にした本を書きはじめたが、ムトゥワは一切出てこない。マフィケンの真実和解委員会のことは一章を割いて書いているのに。その記憶の欠落にひっかかる。
ムトゥワに会った翌年、99年からこの方、人並みの経験をあれこれした私は、神秘的なことについては「わからないことはあるかもしれない」という立場をとるようになった。
いまムトゥワの言葉に引きこまれるのは、そんな経験をしたからだろう。言わば「アフリカ人の心」を説いたムトゥワを読むことで、新たに探るべき何かが見えてくるかも しれない。段々とそんな気がしてきた。
●近著
『差別の教室』(2023年5月17日発売、税込1,100円、集英社新書)