2025年3月号掲載
アフリカダニ熱にかかり寝込んでいる。1月下旬、南アフリカの東部ムプマランガ地方の山中で大量のダニに噛まれ、6日後に発熱し、それから1週間たっても治らない。37℃台前半の発熱が毎日朝夕2回訪れ、筋肉痛、倦怠感のほかは症状がない。噛まれた左腕の内側は黒い穴となり、痛む。
寝床で考えた。俺はこのソウェトで何をしたいのだろう。ズールー語などアフリカの言語をものにしたい。それははっきりしている。実際、西洋言語とは文法も発音も違うため、学べば学ぶほど面白く、どんどん彼らの中に入っていける。
なぜ学びたいのか。この町の友人たちとは1990年代から英語で話してきたが、英語という枷(かせ)を外し、彼らから自然に出てくる言葉を知りたいという狙いだ。言語は単なる伝達手段ではない。その土地の文化、物の考え方を自分に取り込むことでもある。彼らの文化を自分の中に住まわす。それは、この地の人々にひかれているからだろう。
では、なぜひかれるのか。ここが難しい。言語なら、一時かじった中国語でも何でもいいではないか。なぜ、アフリカなのか。
以前、同じ疑問を口にしたら身内が「全然違うからじゃないの」と言った。違うからひかれるのか。仮にそうだとしたら、自分が慣れ親しんだラテンアメリカでもいい。でも、アフリカ人はもっと違う。何かが決定的に違う。そんな思いが自分の好奇心をかり立てるのか。
ときどき、こんなことを考える。このタウンシップ(旧黒人居住区)で終える生涯。コロンビアの僻村、北朝鮮の寒村、あるいは東京都心での一生。それぞれの個は何の関わりもなく、数十年をこの世ですごし消えていく。
アフリカを回っていた90年代末、「サハラの砂粒」という言葉が浮かんだ。人はそれぞれの地で短い生を終えていく。ひとりの生など、サハラの砂粒みたいなもの。その砂粒を、個人の運命をのぞき見て何がわかるのか。サハラ全体がわかるのか。何もわからないのではないかと、虚無的な気分に浸った。
2002年にブラジルに出張した際、サンパウロに長年暮らす年配の男性を訪ねた。ブラジル人についていろいろ語った末、彼は最後にこう言った。
「藤原さんは、それぞれの土地の人々の違いに興味があるようですが、私たちは逆に同じところに目を向け、みな同じなんだという考えを広めているんです」
彼は日本の宗教団体の布教活動をしており、そんな考えに至ったのかと聞き流したが、彼の言葉が長く残った。
私が初めて行った外国はインドだ。23歳、ヒマラヤ遠征のために行った私は、目の前の光景に圧倒された。
ニューデリーの中心地で地下鉄工事が進められていたが、人々はスコップで掘った土砂をザルにいれ、頭にのせて地上へ運ぶ作業を繰り返していた。その周囲には物乞い、物売りがあふれ、しつこく私に迫った。
そのとき、こんな思いが湧き上がった。「幼稚園のころ、こんな光景を見ていたら、自分はもっとまともな人間になっていたのに」
その後、ヒマラヤから下りると私は街を黙々と歩いた。高所登山の副作用なのか、2019年にダウラギリに行ったときも、下山するとカトマンズの街を毎日歩きつづけた。
バラナシという街で、ガンジス川の雑踏をくぐり抜けたときの夕暮れをよく覚えている。気持ちが大きく動いたのだろう。風景、匂い、音の強い記憶には必ず何らかの心理がはりつく。インドの光景、人々、私は見たこともないものに、つまり「違い」にひかれたのだ。
インドがきっかけとなり、私は世界各地を回るようになった。山よりも、自分とは異なる人間に、言語に関心が向いたのだ。
小学校の卒業アルバムの「将来の夢」の欄に、級友は「建築士」「看護婦さん(当時の記述)」などと書いているが、私は気の弱そうな筆圧で「世界中を旅する」と書いている。なりたい職業などなかった。苦し紛れに書いたのか、アニメ番組「ムーミン」の旅人、スナフキンに憧れたからか。なんとなく書いたのだろうが、まるで予知夢のようだ。
以前、この欄で触れたが、詩人のまど・みちおさんに私の瀕死体験とその直後に襲 った恥ずかしさについて話したとき、老詩人はこう言った。
「すごくうれしいです。人間ってみんな同じだなと思うのは、本当、うれしいですね」
そして、まどさんの詩「ぞうさん」の「お鼻が長いのね、そうよ、かあさんも長いのよ」について、私は詩人の吉野弘さんの解説を紹介した。この歌の真意は「お前は違う」と言われた悪口に対する子象の反論なのではないか。そう問うと、まどさんはこう応じた。
「その通りです。違うからこそ、うれしい。違ってもうれしいんだよってことも(人々は)忘れてねえ。私は同じことを繰り返し言っているにすぎないわけなんですけど」
最近、私は、もちろん違いをまだ探してはいるが、ふと気づくと、同じ点を探している。それぞれの地の個の人生は、外見の華やかさや苦難は違っても、日常の人々の心のうちは実は大して変わらない、同じなのではないかと思ったりもする。まどさんの言うように、人間みな同じだけど、もちろんみな違う。
この地にいるのは、日々の交わりからそんなことを考え、何かに気づきたいからだろう。
●近著
『差別の教室』(2023年5月17日発売、税込1,100円、集英社新書)
