2023年5月号掲載
追っかけ、という言葉がある。歌手でも俳優でも、その人をずっと見ているファンのことだ。私にもそういう対象が一人いる。俳優の加藤健一さんだ。追っかけというほどではないが、ここ数年、この人の舞台はほぼすべて見ている。
『毎日新聞』に「人生は夕方から楽しくなる」というコーナーがあった。50代以上の俳優や作家にかつてと、いまの自分を語ってもらう欄だ。記者が会いたい人を選べるため、好きな人を探した末、加藤さんに登場いただいた。
練馬区江古田にある加藤事務所のスタジオにあった舞台セットで話を聞くと、加藤さんの受け答えや表情が良かったのか、自分も新聞記者役の芝居をしているような不思議な感覚があった。
後日、舞台の本番を見に本多劇場に行くと、私が書いた記事が何倍にも拡大され、他の記事を押しのけるように貼り出されていた。「わあ、加藤さん、こんなに気に入ってくれたんだ」と、うれし恥ずかしくなったのを覚えている。
それ以来、季節に1度のペースで新しい舞台のお知らせがくると、すぐにチケットを買い見に行くようになった。
加藤さんを最初に見たのは高校生のときの銀河テレビ小説「太郎の青春」だった。主人公の先輩で酒が飲めないのに、居酒屋でビールの水割りを毎晩飲み、「男のくせにだらしない」と言われ、女性にフラれる役だった。そのときは演技が上手いといった見方はしていなかったが、脇役なのに妙に印象に残る人だと思った。
次に見たのは大学2年のときのテレビドラマ「想い出づくり。」だ。山田太一の脚本だったが、私は3人の主人公の一人、田中裕子が好きだったので見始めた。3人の若い女性の恋愛や結婚を描いた物語で、加藤さんは3人の一人、歌手の森昌子が演じる女性の相手役だった。東北出身のやり手のガソリンスタンド経営者という役柄だ。
加藤さんの押しの強さ、時代に合わない男の横暴さに森昌子は式の土壇場になって、結婚しないと言い出し、他の二人と会場の一室に立てこもる。
新婦は緊張のあまり出てこられないようです、と司会者がごまかしながら披露宴は進められ、バツの悪そうなつくり笑顔で客の相手をする加藤さんの姿がなんとも言えず良かった。
結局、破断となったが、あるとき、加藤さんは意を決して、森昌子の家を訪ねてくる。前田武彦と左幸子が演じる両親が恐縮しひたすら謝ると、いやあ、お父さん、お母さん、わかってます、大丈夫です、と言って加藤さんは厚かましくも、森昌子が潜んでいる二階へとタタタっと駆け上がっていく。
俯いたままの森昌子に向かって、正座した加藤さんはなまりの強い言葉でこんなふうに語る。
いやあ、俺、昔から、図々しくないとのし上がれないと思って、厚かましい野郎だって言われても、この調子で頑張ってきたんだけど、いやあ、今回は参った。俺も本当に参った。そんなに嫌われたのかと思うと、本当、参った、と言いながら、はははと自分を笑い、笑いながら、ついには泣き出す。
実際のセリフは違うだろうが、私の中ではこんなひとり語りとして残っている。
当時20歳の私の目から見ると、加藤さんの役は戦前の日本の男、女性を低く見るような古くてダサい存在で、その場面までは嫌なヤツだと思っていた。
ところが、加藤さんが笑いながら泣き崩れた瞬間、一気に彼の気持ちに引き込まれ、共感し、わあっというほどの涙が出てきた。ドラマでも、森昌子はそんな加藤さんにほだされ、結局、結婚することになる。
たったその一場面だけだったが、私は加藤健一の演技が忘れられず、取材対象を選ぶ際、そういえば、最近見ないけど、どうしているのかと調べた。加藤健一事務所を興し、少人数ながらずっと舞台に立っていると知り、取材を申し込んだ。
この3月から4月にかけて上演されているのは「グッドラック、ハリウッド」という3人芝居で、加藤さんは売れなくなった映画監督を演じている。初日の3月29日に見にいったが、これが良かった。
脚本が5作続けてボツになった64歳の監督は、自分の作品を密かに若い脚本家に譲 り、映画をつくらせる。もう、名声や金には興味がない、ただ仕事をしたいだけなんだと、躊躇する若手を説得し、裏で演出も指示して映画を完成させる。
ところが、若手は次第に増長し、脚本を自分流に変えてしまう。完成作品をみた老監督の怒りが爆発する。あの大事なセリフをなんであんな陳腐なものに変えてしまうんだ、と。
コメディタッチの芝居だが、笑いだけではない。時代に合わせられなくなった表現 者、長くは続かない才能。そんな悲哀が静かに描かれている。
結末を紹介しないほうがいいが、最後の加藤さんのセリフ「さらば、あとはよろしく」で幕が閉じたとき、普段の感涙とは違う涙がこみ上げてきた。胸の底からくるような感覚だった。
自分もこの老監督に近い年だからなのか、物語そのものに打たれたのか、加藤さん の演じ方なのか。
心を動かされた理由はいろいろ考えられる。でもやはり、「想い出づくり。」と同じように、加藤健一の存在感そのものが、たった一つのセリフであれだけ人を感動させるのではないか。私が彼を追っかけるのも、演技のうまさもあるが、やはり彼という人間にひかれているからだろう。
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