自分が変わること

月刊「点字ジャーナル」連載コラム

アフリカ人を前に変わった自分

2024年2月号掲載

毎日新聞契約記者/藤原章生

 

 アフリカ大陸の旅もあっという間に2カ月。昨日、西アフリカのコートジボワール最大の都市、アビジャンに着いたところだ。もう少し先に進んでいるはずだったが、ずいぶんと長居してしまった。

 スペイン、モロッコモーリタニアまでは、出会った人の家に長くても3泊ほどで順調に下ってきたが、マラリアにかかったのも手伝いガンビアに10日、その南のセネガルのカザマンス地方にも長居し、ギニアビサウシエラレオネでもいい知り合いができ、日にちがたってしまった。

 こんなペースで南下していたら、南アフリカに着く前に帰国予定の4月がすぎてしまう。そう気づいて、ここアビジャンから南アに飛ぶことに決めた。

 西アフリカには思った以上によく馴染めた。概してこの地の人々がとても親切というのもあるが、私自身が変わったのも大きい気がする。

 34歳から39歳まで南アフリカに暮らし、西アフリカにも何度か来たことがあるが、当時の私は人に対しもっと警戒していた。大体は現地で雇った助手と行動をともにし、路上で人に声をかけられても無視して先に進むことが少なくなかった。

 コンゴ民主共和国の首都、キンシャサで暴動に巻き込また体験や、何かとたかられたりすることにうんざりしていた私は、いまより緊張していた。

 いまは物乞いでも、露天商でも、ただ路上に椅子を出して和んでいる人でも、声をかけられれば言葉を交わすようになった。何よりも相手を正面からきちんと見るようになった。

 しつこそうな物乞いでも、「いや、だめだよ。いまは小銭を持ってないから。でも、声かけてくれてありがとう」といったことを言うと、いい笑顔を返し、それ以上食い下がってこない。そんな中、現金を持たない主義のセネガル農民や、家を何軒も持っているガンビアの実業家、シエラレオネの海辺の副首長らと親しくなり、彼らのところに世話になった。

 ある日、ガンビアで出会ったジミーという男と街の露天食堂で昼飯を食べていたら、すぐ前の博物館前にバスがとまり、米国人らしき人々が20人ばかり降りてきた。彼らは脇目もふらず博物館に入り、大半は再びバスに戻っていった。おそらく、クルーズ船から降りて街を見物にきたのだろう。そのうち、2人ほどの60代とみられる女性が、露天の食べものに興味があったのか、私たちの方に恐る恐る近づき、鍋の中をのぞいた。その様子を見ていた私達は「ハロー」と声をかけたが、いずれも一瞬怪訝な顔で頷いただけで、言葉をかわそうとしなかった。顔には明らかな緊張と警戒があった。

 去っていく彼らを見ながら、普段は寡黙なジミーがうまいことを言った。「彼らはバードウオッチャーみたいだ」。 私は特段の返事もしないまま、チェブと呼ばれるぶっかけ飯を黙って食べた。

 見られる方は敏感である。「俺達は鳥か動物か」とジミーは感じたのだろう。でも、そんなことにはすっかり慣れていて、頭にもきていない。

 女性の方はどんな気持ちで私達を見たのか。博物館、大したものはなかった。さて、船に帰りましょう。あ、あそこに人が群がっている。食堂みたいね。ちょっと見てみよう。美味しそうだけど、蝿がたかっているし、不衛生ね。現地人に混じって中国人もいるわ。声かけてきた。からまれたら嫌だから早く戻らないと。

 言葉にすれば、そんな感じだろうか。ジミーは女性の心象をすぐに察知し、バードウオッチャーという言葉にした。

 彼女ほどではないが、1990年代後半、30代のころの私も似たような顔をしていたように思う。取材対象として接しても、彼らの中に入り同じように暮らしてみようとはしなかった。

 取材の合間に立ち寄った村々で心洗われる体験もしたが、いつも急いでいた。次の原稿、次の取材のことばかりを考え、彼らの傍らを走り抜けていった。

 それから20数年がすぎ、運も良かったのか、いまは彼らの中に少し入り込めている。「ずっとここに暮らしてもいいよ」と受け入れられている。

 何が変わったのだろう。

 当時はヨハネスブルクに妻と幼子3人を残して取材旅行に来ていた。家を、特に子どものことを忘れて一人旅を楽しむなんてことはできなかった。それにアフリカ特派員の仕事に夢中だった。でもいまは、子どもたちも独立し、妻はいるが、家族からかなり解放された立場にある。

 そうした家庭環境に加え、私自身の人格、人間性の変化も大きい気がする。

 あのころは、ものを書くという仕事がら、相手や物事を枠にはめて理解する未熟さがあった。黒人、白人、貧困といった言葉のパズルでわかったふうな気になっていた。  でも、いまは違う。誰であれ相手に対したとき、以前よりも一層、個人としてとらえるようになった。物乞いに出会ったとき、彼らを「物乞い」という枠に当てはめる以前に、その人間の中身を、あいまいな言葉だが、「心」のようなものに触れようとしている自分がいる。

 「うちに来て泊まっていったらいい」と言われても、誰彼なくついていくことはない。でも、その人間の心をのぞき、その一瞬の直感で、悪い人間ではない、いい人間だ、と判断し、相手に身を任せる。

 30代のころはおいそれとそんなことはできなかった。でも、いまはそれをしている。そして一度信頼すれば、自分をできるだけさらけ出す。

 なぜ、そうなったのか。年齢を理由にしたくはないが、それはあるだろう。万が一の誤算があり、殺されることになっても構わないと常々思っている。死ぬこと、そして人に対する恐怖が薄らいだということかもしれない。子供のころはあんなに人が怖かったのに。

 ここの人たちは一般に感情の起伏が激しいだけではなく、相手を見抜く力を持ち合わせている。私が不安だったり、イライラしていたらすぐにそれがわかる。逆に、相手に無心に自分を委ねる気持ちをこちらが、なんの飾りもなくさらけ出していると、彼らはそれをすぐさま感じる。そして、彼らもまるで写し鏡のように、自分たちをさらけ出すようになる。

 旅の前半では、そんなことを考えていた。後半の南アフリカは犯罪も手が込んでいて、もう少し複雑なので、果たしてどうなるか。

 

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