自分が変わること

月刊「点字ジャーナル」連載コラム

ガンビアで目にしたシスターたち

2024年1月号掲載

毎日新聞契約記者/藤原章生

 

 アフリカ旅行を始めてそろそろ1カ月になり、西アフリカの小国、ガンビアでこんな光景を目にした。

 しばらく路上で待っていると、目当ての行き先に行く大型のワゴン車が客寄せを始め、10人ほどが一斉にバスにかけていった。私も加わり、スライド式のドアから乗り込むと、すぐ前にいた若いカトリックのシスターが後部左隅の座席の収まり、私もその列の右端に座った。するともうひとり、赤ちゃんを抱えたシスターが懸命に乗ろうとして、中にいる乗客に赤ちゃんを受け取ってもらっていた。身が軽くなった彼女はもう一人のシスターが確保した後部座席に収まった。

 赤ちゃんを受け取った乗客がシスターに返そうとすると、「赤ちゃんはあちらの」と言ったのか、すでに乗り込んでいた母親に渡され、車は走りだした。シスターはその母親を助けるため赤ちゃんを抱えていたようだ。

 2人のシスターは空色と白のベール、ワンピース姿でまだ20歳くらいだ。一人は黒縁のメガネをかけている。布教の絵はがきを配っていたので、すでにシスターのようだ。ほどなく2人は聖書の朗読を始めた。声をそろえ、ときにハーモニーのように交互に声を出しながら、ジーザスを称えるくだりを読んでいる。私は2人を撮影したくなった。私が今回持ってきたのは古い中国製のスマホ1台とソニーの小型カメラだった。軽量化のため、パソコンを含め他に撮影機材は持っていない。

 スマホを手に「撮ってもいいか」と聞こうとした。しかし、聞いてしまうと、彼女たちの自然な姿が撮れない。迷っていると、隣のシスターが「どうして?」と私に問いかけてきた。盗み撮りと思われたようで、私はあわてて、「あなたたちの姿が美しいと思ったのです」と言い訳をしようとしたが、「すみませんでした」とただ謝った。2人は現地のアフリカ言語、ウォロフ語で何か言葉を交わすと、奥にいた小柄なシスターが「でも、どうして写真を?」と聞いてきたので、私は「撮っていません、大丈夫です。続けて下さい」と応じた。安心したのか、2人はまた聖書を読み始めた。

 ガンビアは旧英国領なので、いまも学校教育は英語が主体であり、大方の人とは英語が通じる。11月6日に日本を出て北京経由でスペインのバルセロナに飛び、そこの友人宅に少しいてから、陸路を南下してきた。

 スペイン南部の町アルヘシラスでは商店も人々も北アフリカの移民が主体で、かわされる言葉はアラブ語だった。そこからジブラルタル海峡をフェリーで渡り、モロッコに入るともうスペイン語は通じず、アラブ語とフランス語が主になる。さらに南下した砂漠の国モーリタニアも亜熱帯のセネガルも、私が使えるのはフランス語だけ。

 旅行なら私のフランス語で困らないが、雑談や身の上話はおぼつかない。大学時代、本来なら教養課程の2年で終えているはずの第二外国語、フランス語の授業を私はまる6年も受けている。アフリカ駐在時にコンゴなどフランス語圏を何度も訪れ、チュニジアにしばらくいたこともある。なのに、発音が難しいのか、フランス語は仕事で使えるに至っていない。

 ガンビアに入ると、人々が英語まじりの現地語で話しており、私は嬉しくなった。路上で目があった人と苦も無く話ができるのはどんなに楽しいことか。

 そんなころ、私はシスター2人と隣り合わせた。バスは北緯13度の亜熱帯の荒れた道を走っていく。

 「ジーザス」という言葉で始まる朗読を聞いていると、前に座る10代の女性が振り返って2人を様子をうかがっていた。彼女は頭からショールを被ったイスラム教徒のようだ。彼女の視線はどこか悲しそうであり、少し睨んだようにも見えた。

 「こんなところで聖書など読まないで」と異教徒として不快に思っているのか、と一瞬思ったが、彼女は何も言い出さなかった。

 人の表情は難しい。たとえば、魅力的な人をみた人はドラマのように目を輝かせ、陶酔した顔になるだろうか。意外にも、その目は何かをうかがう、獲物を捉えようとするような攻撃的な目になることがある。

 ワゴン車が小さな町に着くと、シスター2人は私の前をすり抜け、降りていった。その姿を目で追うと、2人とも、満面の笑顔で砂埃舞う道路を歩いていった。右前に座ったイスラムの少女も彼女たちを見ていた。シスター2人の姿がどんどん小さくなっていく。その姿を少女は真剣な、どこか悲しそうな目で追っていた。

 少女はシスターに惹かれたのだ。人は何かに惹かれると、悲しそうな非難めいた表情になることがある。彼女もそうだった。

 シスター2人と少女に物語があるわけではない。何かの教訓にしてしまえば、それはどこか嘘くさくなる。たとえば少数派のキリスト教徒に優しいイスラム教徒の国といった解釈にしてしまうとなにか違う。

 車内の出来事が私をいい気持ちにさせた。ガンビアのことを私は何も知らない。でも、ここはとてもいい国なのではないかと、その光景を見て直感した。

 2001年まで南アフリカに駐在していたころ、この国の周辺には何度か来ている。でも、ガンビアには特段のニュースもなく、仕事として来る理由がなかった。「旧仏語圏に囲まれ小さな旧英国領」といったイメージしかわかず、人に考えが及ばなかった。  今回、あえて来たのは、モーリタニアで知り合った30代の男に勧められたからだ。スペインのパスポートやフランスの健康保険証も持つ彼は「モロッコは人が優しい、スペインも悪くはない。でも、ドバイはレイシストが多い」といったことを言うのは、体験に根ざしているだけに実感が伴っていた。彼はモーリタニアでも肌の色の濃いアフリカ系の出だ。

 そんな彼とダカールまで一緒にくる道々、「ガンビア人はすごくオープンで明るい」などと話していたので、この国にやってきた。

 一人で町を歩いていると、道端に椅子を出してお茶をわかしている男たちとの雑談になるが、割といい感じの人が多い。英語が通じるというのもあるが、それだけではなく、なんだか人々の体に張りつく緊張が、ずいぶんとゆるい。

 米ギャラップ社の世界調査で見知らぬ人を助ける人が多い国の上位にいたのがこのガンビアだった。そのワーストワンが日本である。「最近見知らぬ人を助けましたか」といったアンケート調査の結果では、西アフリカの国々が上位を占めていた。きっといろいろな理由があるのだろう。しばらく、この国にいたくなった。

 

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