自分が変わること

月刊「点字ジャーナル」連載コラム

声が笑っている人

2023年1月号掲載

毎日新聞契約記者/藤原章生

 

 この人は声が笑っている。悪い意味ではない。ふざけているということではない。声が明るいということだが、そう単純でもない。その人の前向きさとでも言おうか、生きていること、直面していることを好奇心たっぷりに味わおうとしているような声だ。 小説家、小池真理子さんのことである。先日、軽井沢のホテルでインタビューし、その録音を聴いたとき、一緒に聞いていた身内が「声が笑ってる」と言い、私もすぐさま同意した。笑っているという表現で、タモリのエピソードを思い出した。芸人になる前、一生懸命演奏していたら、お前のトランペットは音が笑っていると言われ、プロになる道を諦めたそうだ。本当かどうかはわからないが、ありうる話だ。

 楽器でもそうなのだから、声にはその人そのものが出る。同じバッハの無伴奏チェロ組曲を聴いても、弾き手によってずいぶんと音色、印象が違う。ヨーヨー・マの場合、軽やかでまっすぐな感じがするが、デュ・プレの音はどこか悲しみ、痛みのようなものを感じる。弾き方もあるだろうが、その人の人柄が音に現れるのではないか。

 バイオリニストの黒沼ユリ子さんの演奏を聞くと、あ、これは少し甲高いが厚みのある黒沼さんの声そのものだと思えてくる。NHKラジオの番組でDJをしている武内陶子(たけうち とうこ)さんというアナウンサーがいるが、小池さんもちょっとそんな感じだ。辛い話でも、悲しいことでも、声が笑っている。つまり、物事を前向きにとらえるタイプのように聞こえる。

 小池さんとのテーマは、2020年1月30日になくなった夫、作家の藤田宜永(ふじた よしなが)さんだったので、湿っぽい話になるところだった。だが、母親への愛憎でねじれてしまった藤田さんの気質について話を進めるうちに、爆笑とは言わないまでも、笑いながらの対話となった。

 その中身は12月7日付の新聞の夕刊で書くので、詳しく触れないが、声は大事だなと思わせる人だった。 考えてみたら、人と気が合う、惹かれるのって、結構声が大きいのではないだろうか。逆も真なりで、いい人なんだけど、声がイラつくという例も結構ある。こんな言い方は失礼だが、耳を塞ぎたくなる声、虫唾が走る声とか。

 歌い手を好きになるのも、音程や技術もあろうが、大事なのは声だ。ちょっと古いが、美空ひばりについて、私が子供のころ父親が「美空は七色の声が出せるからなあ」と言ったことがあった。うまいということか、くらいに思っていたが、長じてその意味がわかった。例えば、私は「王将」の出だしの「かあーつーとを、 おもええばあー」とか、「真っ赤な太陽」の「まっかに、もおえたあー、たいようだあからあー」といったよく通る太い低音が好きだが、晩年、高音がうまく出なくなったのか、ちょっとトゲトゲしたひねり曲がった鼻声で、「あーああー、 かわのながれのよおーにー」などと歌われると、すぐにスイッチを切ってしまう。 同じ歌い手でも、そうなのだから、声、周波数は大事なのだ。 子供のころから今まで、私はいろんな人の言葉を耳で覚えていて、それをおしゃべりや原稿で再現することがよくある。考えてみたら、それは話した内容というより、声、話しっぷりが面白いから、声帯模写をしているのだと、はたと気づいた。

 「そうじゃないのよお、元からダメなのよお、あの手は」と早口でまくしたてる塩野七生(しおの ななみ)さんの下町ふうのの言いっぷり。「あーら、わたくし、そんなこと言ったかしら」と、もともとは下町なのにそこに無理に山手言葉を被せた曽野綾子(その あやこ)さんの語り口。「ねーええ、わたしって馬鹿?」 と言うときは高い甘え声になるのに、「なんだ、このやろう、ぶっとばすぞお」とふざけて言うときには、突然太くなる宮城(みやぎ)まり子さんの声など。 有名人の例を挙げたが、同僚や身の回りの人の声を私が真似るとき、その声を再現することで、その人のことをかなりリアルに思い出すことができる。

 10歳の夏、一緒に寝ているときによく聞いた一回り上のいとこの岡山弁、「わっしゃあ、 なんぼしようも、あんごう、あんごう、言われて、馬鹿にしようが。ほなけえ、 おえんもんはおえんのじゃ」といった声。「いいよお、あっきょー(私の名前、あきお)」という父親の能天気な返事。「これをこうするだろぉ、そしたら、 こうなるじゃん、そしたら、こうなってよお」といったビートたけしふうの、コマネズミのようなすぼまった兄の早口。 母のとなると、よく私が真似るのは、電話に出るときの1オクターブ高い消え入るような声だ。「もしもしー」。要は気取っているのである。

 私あたりからの上の世代の女性は、美智子上皇后が典型だが、よそ行きのときは、声のトーンを上げて話すのがたしなみの一つだった。母親もそれをまねしているのか、電話に出るときに、普段聞いたことのないような細い声を今も出し続けている。

 その辺が笑えるので、よく口まねをするのだが、そんな話をすると、小池真理子さんは、「若いころも今も私はそれができないんですよ」と言った。小池さんは藤田さんと知り合ったころ「君の普通な感じがいいんだ」と言われて、常に仮面をかぶっている藤田さんが早々に心を開いたと話していた。

 「こっちは作家ですから、普通なんて言われると、ええ?って思いましたけど、電話で誰かにデー トなんかに誘われても、私、声色変えずに、ああ、その日は用があるから駄目ね、なんて言っちゃうタイプだったんですよ。普通なら、声変えて、まあ、うれしいとか何とかいうんでしょうけど」

 この人の声に私が好感を持ったのは、声を変えないところだったのかな、とも思った。

 今まで割とないがしろにしていたけど、原稿を書く上で、声って大事だなと思うに至った。

 

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