2022年12月号掲載
『ニューヨーク・タイムズ』の2022年10月29、30日付紙面に面白いコラムが載っていた。デイビッド・ブルックス氏の「グローバルな悲しみの波」という記事だ。ブルックス氏はときどき目を引く時代論を書く。この記事もやはりという感じで、人々の間に広がるそこはかとない不安、不幸をさまざまな統計、アンケートをもとに分析している。
暗い気分が広がっているのは直近のコロナ蔓延やウクライナ戦争のせいではない。もっと前からじわじわときている。記事がまず挙げるのは米国のヒットソングの中に使われる言葉の話だ。研究者が1965年から2015年にかけての15万ものヒットソングを調べたところ、その間、「ラブ(愛)」という言葉が使われる頻度は半減したそうだ。一方「ヘイト(憎しみ)」といった否定的な言葉を使う頻度は増え続けている。
別の研究者が新聞や雑誌、ネットニュースなど47のメディアの記事を調べたところ、やはり怒り、恐れ、嫌悪、悲しみを意味する否定的な言葉が激増している。これは2000年と19年を比べたものだ。中道はそうでもないが左派のメディアに多く、右派はその傾向がさらに強い。
メディアが暗さを煽っているんじゃないかという見方もあるが、メディアの作り手も生活者だ。複数の人間が陰謀し世の中に悲しみを広げているというよりも、メディアは文字通り媒体にすぎず、世の中あってこそのものだ。人々の声、感情を仲介し、記事という結果を出しているにすぎない。つまり、世の中そのものが否定的なのだ。
次にブルックス氏は幸福度についての世論調査を紹介している。自身の幸福について「ザ・ロウエスト」つまり「これ以上ないほど低い」を選んだ人は1990年からコロナ前の2018年にかけ1.5倍に増えている。これは米国の調査だが、ギャラップ社の世界140カ国調べでも結果は似ている。自分の生活について最低を0、最高を10として採点してもらう調査だ。世界平均で2006年にゼロを選んだ人は1.6%だったが、2021年には4倍に増えた。自分たちの暮らしを低くみる下から4分の1の人たちの平均の自己採点は06年には2.5だったが、21年には1.2まで落ち込んだ。
先進国だけの問題ではなく、過去数十年にわたり経済が勃興してきたインドや中国、メキシコ、ブラジルなどでもこの傾向が強い。全世界を見ると、仕事面での不満が大きく、働くことに満足している人は20%にすぎず、62%はどうでもいいと考えており、18%は仕事にみじめさを感じている。
ギャラップの調査はその要因をいくつか示唆している。一つがコミュニティー、共同体の消失で、特に人口の多い中国、インドの人々が自分たちの居場所に不満を抱いている。向こう三軒両隣などという感覚が薄らいだのは、何も昭和末期以降の日本だけではないのだ。
一方、自分たちの暮らしぶりを高く評価している人たちは以前よりもより幸せを感じている。経済だけでなく、幸福度にも大きな格差が生まれているということだ。人々の不満はさらに悪化しそうで、このままいけば私たちはどうなってしまうのか、とブルックス氏は結んでいる。
私が、へえと思ったのは、インドや中国でも人々の不満が高まっている点だ。つい10年前、「コンバージェンスの時代」といった言葉がよく聞かれた。コンバー ジェンスとはいくつかの流れが一つになっていくという意味だ。つまり、先進国がスピードを緩め、途上国が速めることで、いずれ同じなるという見方だった。このため、経済が伸びない先進国の人々に不満は広がり、途上国は我が世の春を謳歌すると。しかし、その見立ては間違っていた。
国の経済が高まったからといって必ずしも、一人一人が幸福になるわけではない、ということを中国、インドの結果が示している。だとすれば、どういう人が自分たちを幸福だと感じているのか。例えば、ウォール街で月に1億円稼ぐ人が、1000万円の人よりも、あるいは10万円の人よりも幸せなのか。ブルックス氏はそこに触れていないので、いま原典を取り寄せているところだが、そうとも言えないのではないか。
さらに言えば、自分の生活を惨めに感じるかどうかは、お金も大事だが、心の安定や日々の気分、人との関係、肉体的な接触、名誉など実にさまざまな要素がある上、それぞれがかなり主観的なものだ。
宗教学者の山折哲雄さんが以前、比較地獄、嫉妬地獄という言葉を使っていたが、今はSNSで何かと人と自分を比べる時代だ。そういう要素も大きい気がする。
90年代後半だから、四半世紀も前のことだ。ルワンダのキガリの中堅ホテルに行ったら、CNNテレビが入荷したばかりで、街頭テレビのように人々が押し寄せていた。私はその光景に「これは良くないな」と直感した。ニュースの合間に航空会社やブランドもののコマーシャルが流れ、アメリカのセレブのような男女が映し出されていた。
よそと自分たちを比較する。それが大きなファンファーレとともに始まった気がした。当然、羨む人も妬む人も出てくる。幸福を主観で語る際、よその世界と比べる人も多いのではないだろうか。だが、比較を日々強いられるSNSなど今のメディア環境は決して後戻りも覆りもしない。できるだけ利用しないようにするか、そんなものに乱されない心を持つ以外にはないのか。もう少し調べてみたい。
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