自分が変わること

月刊「点字ジャーナル」連載コラム

人間はもともとみないい人なんだ

2022年8月号掲載

毎日新聞契約記者/藤原章生

 

 南米を旅行しながら「ブルネラブレ(vulnerable)」という言葉について考えた。あまり会話では使われないが、英語にも同じブルネラブルという言葉がある。辞書で調べてきた単語なので、「ぜい弱さ」という言葉がパッと浮かぶ。だが、むき出しや無防備という方が私にはしっくりくる。

 「もろく、弱いこと」とあまりいい意味では使われないが、発想を逆転させれば、自分の強さも弱さも何もかもさらけ出している状態とも言える。

 チリで過去7年、岩登りを続けてきた30歳の息子からその言葉が出てきた。彼はどんなふうにして、このチリになじみ、現地の人に愛されてきたかを知ろうと、話を聞いているうちに、ブルネラブルを語り出した。

 彼の住まいは2400ccのバンで、家はない。形だけ住所にしているのは友人宅だ。 サンチャゴに戻ったときは、友人宅でその両親らの世話になっている。時折帰ってくる家族の一員という感じでくつろいでいる。

 同じように、チリの全土に友人やその仲間がいて、どこに行っても居候先はあり、それ以外は車で寝ているため、宿泊にお金はかからない。

 その分、彼のバンは友人たちのねぐらや自転車、登山道具、食料などの保管場所になっていて、車の天井の左右に取りつけられている棚は「公共のロッカー」になっている。現金は空き缶の底に突っ込まれ、蓋(ふた)がしてあるが、仲間たちはそれがどこにあるかを知っている。

 こんな状態だと盗まれるんじゃないかと私は心配し、息子が岩場の事故で入院している間、彼の貴重品をまとめ、乱雑極まる車内を整理した。

 ところが、これが混乱を招くことになった。実はまったくの無秩序のようでいて、彼や彼の友人は岩登りの道具や食料を棚の隅などに隠し置いていたのだ。それを私が置きかえたものだから、彼らは「ないよ、見つからないよ」と必死に探す羽目になった。土鍋をひっくり返したような乱雑、無秩序なバンにも、それなりの秩序が保たれていたのだ。

 ラテンアメリカは盗みについてのモラルが低い。盗みを生業としていない人でも、ちょっと珍しいライターやボールペンなどをさっと持っていく。スーパーでの万引きもごく当たり前で、店員も見て見ぬふりをしている。そんな土地で、こ んなに無防備でいいのか。そんな話をしたとき、息子はなんの迷いもなくこう言 った。

 「僕の友達は絶対盗まないよ。間違って持っていったとしても、戻ってくるよ。もし、そうじゃない人が来て盗ったとしても、その人はそれを使いたかったんだろうし、その人の役に立っているんなら、それでいいよ」

 こんな考え方なら確かに楽だ。ストレスにもならないだろう。子供のころからおっちょこちょいの私は、メキシコをはじめ各地で盗難、主に空き巣と置き引きの被害に遭ってきた。このため、人を警戒するところがあった。特に3人のまだ 小さい子供がさらわれるのが心配で、かなり目を光らせていた。その分、つき合いの幅が狭まったのは事実だ。

 ところが、息子の場合、なんでも開けっぴろげで、仲間や、見知らぬクライマーにも、ちょっと道をたずねた人にも同じように接している。見せられるものはすべて見せる。人に応じて、あるところまでは見せたり、態度を変えたりという構えがない。

 そんな話をしていたら「ブルネラブル」と言い出した。むき出し、無防備。彼はこの言葉を人と接する理想と考えている。ずっと勉強している仏教の影響もあるそうだ。  要は全部さらけ出す。もちろん泥棒の多い市街地に行けばきちっと戸締まりはする。ただ、それ以外はすべてを見せる。持ち物だけでなく、自分の弱み、時間のルーズさから物忘れ、集中すると一切を忘れてしまう気質や、状況など空気の読めなさから、別れた彼女のことまで、自分の弱点だけでなく、頭の中でうごめいている考えを隠すことなく、誰彼となく話している。

 村で道をたずねた人に「あ、こんにちは。安くガーゼが買える薬局を探しているんですが、知りませんか。この前、岩から落ちて親指、切断して、こんなになっちゃって。自分で治しながら移動しているんです。どうして切れたか、わからないんですけど、多分落ちたとき……」と長い説明が始まる。

 同じ話を仲間たちや友人、その家族らにも繰り返すのは、ただのおしゃべり好きではない。

 「自分の弱みを全部人に見せた方がいいんだ。そしたら、その人も少しずつ弱みを見せるよ。そしたら、お互いがわかってもっと仲良くなれるじゃない」ということらしい。

 でも、何もかもさらしたら、詐欺師に騙されるし、危ないよ、と言うと、こう宣言した。「僕は基本、悪い人はいないと思っているから。人はいろんな事情があって悪くなっているだけで、もともとは良い人間なんだって思ってるから」

 性善説なのだ。

 間口を広くし、あらゆる人間を受け入れる。中には泥棒やひどい人間もいるだろう。しかし、同じように接しているうちに人は整理され、気の合う仲間たちだけが残る。するとこんなにもチリという土地に入り込み、その一部になれる。

 彼の気質もあるだろうが、確かに彼は私にはとても及ばないほどラテンアメリカにしっかりと根付いていた。

 むき出しの自分を誰彼なくさらけ出す。隠しごとや、接し方を使い分けたりしない。こういうあり方は、新しい土地に入った当初は大変でも、結果的に自分の世界をどんどん広げることになる。ブルネラブルは悪いことではない。いいことだったのだ。

 

●近著

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