2022年5月号掲載
チリに来て、そろそろ1カ月。ロサンゼルス経由でサンチャゴに着いたのが3月8日の朝で、心配していたPCR検査も難なくクリアーした。40年もこの地に暮らす学生時代の先輩、堤亮(つつみまこと)さんに会い、翌朝南部のプエルトモントに飛んだ。堤さんが友人に3泊4日で招待されたため、便乗させてもらった。友人の別荘で過ごし、フィヨルド地帯の島にある温泉プールを楽しんだ。
13日にはプエルトモントからさらに南の町、パタゴニアの玄関口、コジャイケに入 り、さらに南で何カ月も岩を登っている長男、周太郎を待つことにした。その間、息子の友人が相手をしてくれ、私はその晩は彼が泊まっているアモニテスという名のキャンプ場のテントで寝た。
息子と会ったのは翌3月14日朝。チリに6年半暮らしている彼は通訳の仕事で稼いだ金をつぎ込み、3年半前にメルセデスベンツ社製の中古のバンを100万円ほどで買い、それをねぐらにチリ各地を回っている。
この日は20歳と25歳のチリ人の仲間2人と岩場から戻ったばかりで、「ああ、お父さん!」と言うとぎゅっと抱きついてきた。出会いと別れの際、互いを触れ合う南米人の挨拶だ。「ピエル(肌)の文化」と彼らは呼ぶが、愛、友情を何よりも大事にする彼らは言葉も過剰だが、触れあいが習いになっている。私もメキシコ時代、よく抱擁をしたり、肩や背中をたたき合ったがすっかり忘れていた。
この町、コジャイケにはマカイという名の岩山があり、みなでそこに登りにいった 。周太郎たちと私では、岩登りのレベルには雲泥の差がある。私の登り方は80年代に仕 込んだ古くさいスタイルのため、この日はレベルの確認だけですまし、翌日、4人で上へと向かった。
崩れやすい岩場を3時間ほどかけて登り、垂直の壁に着いたのは午後もだいぶ回ったころだった。8時半まで明るいので、みな出発が遅い。
4人は2チームに分かれ、この日は周太郎が3年前に初めて開いたルート「アキラ」を登る予定だった。アキラというのは、彼が家を兼ねた車で飼い、交通事故で死んでしまった犬の名だ。この岩山でも、最も垂直に真っすぐ、クラック(岩の亀裂)が続いているルートである。
最初、25歳のピーペと20歳のシルビオが登る予定だったが、最上部にロープをつなぐ支点が着いているかわからなかったため、彼らよりレベルが上の周太郎がまず登ることになった。私にはとても登れそうにないので「お父さんは登れるまで、いろいろ試したらいいよ」ということになり、下のテラスで見守ることにした。
息子はまず3mほど登り、最初の支点にカラビナをかけ、少し登ったところで一度 、ロープにぶら下がった。通常よりやや難しいルートを試したせいだが、このように落ちながら、じわじわ登っていくのはよくあることだ。2度目のトライ。今度は3m上の最初の支点を越え、2mほど上にあるクラックに達し、そこに一番小さなカメロットと呼ばれる器具を挟み込み、さらに上に登ろうとしたときだった。息子は再び墜落した。
下で確保をしていたピーペがうまく止めたが、落下の衝撃で二つ目の支点が外れ、息子は一つ目の支点に支えられる形で着地した。落下距離は5mだが、ロープ のお陰で、足を強く打つこともなかった。
ここまではよくあることだ。誰も何の異常も感じなかったが、正面で見ていた私は着地直後の息子の動きをおかしいと思い、「大丈夫か!」と声を上げた。すると、息子が一瞬、こちらに背を向け、体を隠すような動作をした。
急いで彼のもとに駆け寄ると、右手が血まみれで、親指の先がなくなり、そこからドクドクと血が出ていた。下でロープを確保していたピーペが、切断された指先を手のひらに載せて駆け寄ってきた。カメロットが当たったのか、落下時に息子の親指、爪の根の部分から先がスパッと切り取られ、それに気づいた息子が「俺の指を渡して!」とピーペに指示したそうだ。驚いたピーペは、足元に落ちていたほこりまみれの指先を息子に見せていたのだ。当然ながら、指先は土色で、血の気がなくなっていた。
後ろで撮影していたシルビオが救急セットを取り出したのを見て、私はガーゼですぐに息子の指を覆うと、包帯でぐるぐる巻きにした。
切断された指を見たとき、本当なら私はかなり驚き、気分がふさいだはずだが、どういうわけか、「たいしたことない。大丈夫だ」という言葉があらわれ、息子にそう伝えた。彼は平然としていたが、次第に顔が青白くなってきた。「これは何かのサインだ」などとスペイン語で言うので、とりあえず、そこに寝かせ、シルビオと私は彼の体をマッサージした。「寒い」というので服を着せ胸をなで続けた。
午後5時近くになっていた。ここから下りるにはロープ60m分の懸垂下降を4回もやらなければならない。闇が迫る中、ピーペと私が先におり、シルビオに支えられた息子が後に続いた。運良く暗くなる直前に下に着き、森の中をひたすら歩き、深夜間近にコジャイケ唯一の救急病院にたどり着いた。未明の手術を終えた息子は3日間入院し退院した。今は抜糸を終え、傷は少しずつだが癒えている。
息子に岩登りを教えてもらうという旅のもくろみは初っぱなでくじかれ、今は彼のバンで暮らしながら、療養の旅を続けている。「全然問題ない。傷が塞がったらまた登るよ」とまったくくじけない息子を、私は拝むような気分で眺めている。
こんな事故は聞いたことがない、と皆一様に言う。なぜ切れたのか、いまだに謎だ。
●近著
『差別の教室』(2023年5月17日発売、税込1,100円、集英社新書)