自分が変わること

月刊「点字ジャーナル」連載コラム

ラテンアメリカを再発見しに

2022年4月号掲載

毎日新聞契約記者/藤原章生

 

 報道の仕事をしていると、ウクライナ侵攻といった大きなニュースがあると少し後ろめたくなる。特派員時代、戦争というと自分の領域以外のところにもよく現場取材に行っていたので、申しわけない気になるのだ。そこにちょうど、私の南米行きが重なってしまい、あまり晴れがましい気がしない。

 オランダのアムステルダム経由でチリのサンティアゴに飛ぶKLMの格安チケットを 手に入れていたが、突然、欠航となった。ロシアの領空を避けるためだ。

 出発の5日前、「万一のために」と試しに受けてみた無料PCR検査の結果が同じ日に届いていた。「陽性」だった。何かの間違いだと、指定されたクリニックにすぐに行くと、医師は特段の診療もせず、「どうしますか、陽性として保健所に報告しますか」と素っ気ない。昨年4月末にアルファ株に感染し発症したときは、クリニックにも薬局にも入れてくれなかったので隔世の感がある。受付の人も誰も、陽性者の私を恐れてはいない。

 「再確認してもらえませんか」と私は食い下がった。「私は昨年中等症Ⅱで17日間入院しています。そのときのRNAの残骸が遺伝子配列に影響したのかもしれません」と偽陽性を主張した。「では、再検査しましょう」となり、抗原検査をしてもらった。こちらは、体内に新型コロナウイルスを取り込んだ際にできるタンパク質の有無をチェックするものだ。鼻に綿棒を突っ込まれて結果を待つと、案の定、「陰性」だった。医師によると、PCRで陽性が出たのは、唾液にごく微量のウイルスが入っていたか、私が疑った、発症時の残骸のせいだという。

 なんとか切り抜けたが、南米行きは微妙だった。KLMが片道8万5000円のチケット代を全額払い戻してくれたのはいいが、安い便が見つからない。チケット購入に詳しい娘に頼み、ドバイなど南回りかアメリカ経由を探らせたが、KLMの3倍もする。それでもしぶとく探していたら、乗り継ぎ便ではなく、成田からロサンゼルスに飛ぶZIPエアと、ロサンゼルスからサンティアゴに飛ぶLATAM航空を別々に買えば、KLMよりも安く行けることがわかり、即買うことにした。

 乗り継ぎ便でないので一度米国に入国するため、出発の1日前にコロナの検査を受けなければならない。もう一方のチリ入国は、到着便に乗る3日前までにPCR陰性が条件とな っている。

 問題は、「1日前」という米国の条件を利用し、業者が渡航者相手に値をつり上げていることだ。いくら安いところを探しても、PCRの結果をすぐに出してもらう特別料金が1万円弱、同じ文言の紙ペラ一枚の陰性証明が5500円もする。しかも、海外渡航者には東京都の無料検査は該当しないという勝手な解釈で、私が受けた渋谷の検査センター は4000円を請求した。それでも良心的で別のクリニックに聞くと、3万3000円である。

 そこまでして受けても、私の場合、またPCRの偽陽性が出る可能性がある。そのときは、前回判定してくれたクリニックに行って抗原検査をしてもらい、証明書の欄外に「この人は一度感染しているため、PCR偽陽性が出がちですが、抗原検査は陰性で感染しておりません」と一筆書いてもらわねばならない。「時代遅れなことを」と思うが、厚労省にしつこく問い合わせると、渡航するには、それしか方法がないという。祈る思いで、出発前日の朝一番、PCRを受けた。計1万7000円も払い、家で待っていると、午後3時すぎにメールが届いた。なんと、「陰性」であった。ようやく行ける段となり、頭の霧が晴れ、今、機内でこの原稿を書いている。このまま、到着先のロサンゼルスで次の便にチェックインできれば、チリに入れそうだ。

 それにしても、世界が不穏なこの時期に、なぜ地球の裏側のチリになど行くのか。そう思われる方もおられるだろうが、前から決めていた自費での取材旅行だ。『毎日新聞』の夕刊で「酔いどれクライマー」を連載しているため、出発が遅れたが、本来ならもっと早く行くつもりだった。

 では、何をしに行くのか。南米に行ったことで何が書けるのか。まだ決め打ちしているわけではない。2019年秋にヒマラヤに行ったときも、書く気は全くなかった。新聞で連載し、本にすることなど考えてもいなかった。

 今回は、すっかりチリ人、ラテンアメリカ人になっている30歳の長男とまずはパタゴニアの岩場を登り、彼と彼の周辺の連中と過ごし、ラテンアメリカ人を探ってみたいと思っている。

 今から36年前、25歳になる年に私はラテンアメリカを知った。アンデスに登るとい う理由でロサンゼルスに渡り、陸路で南下したが、結局、中米に長く滞在し、エルサルバドルで1500ドルの資金が尽きた。

 就職しエンジニアになっても南米行きの思いは断ちがたく、27歳で新聞記者に転じた。運良く願いがかない、留学と特派員で合わせて5年もメキシコで暮らせた。その影響から、長男は大学を出ると、迷うことなく南米に渡った。

 私はラテンアメリカに魅せられ、ある程度は言葉もマスターしたが、どっぷり浸かりきったわけではない。特派員時代は忙しく駆け回ってばかりだった。かの地の人々は貧しくともなぜ幸せそうなのか。幸福度調査では、いつも日本よりずっと上位だ。その辺りを探ってみたい。そう言えば、同じ調査でいつも下位にいるのは、ウクライナとロシアであった。

 

●近著

『差別の教室』(2023年5月17日発売、税込1,100円、集英社新書)