2022年6月号掲載
私が小学校に入ったころだから1968年の夏、「ピンキーとキラーズ」というグループの歌「恋の季節」が大ヒットした。「忘れられないの/あの人が好きよ/青いシャツ着てさ/海を見てたわ」と歌う女性、ピンキーを中心に、ひげ面の男ばかり5人がバックで演奏やコーラスを担当する。当時、そのグループが大型のバン(ワゴン車)に乗って旅をするテレビドラマが放映された。グループ5人が行く先々で人と出会い、小さな事件に巻き込まれながらも、最後はギターを弾きながら、旅を続けていく…といった彼らに、私は子供ながらずいぶんと憧れたものだ。
東京の板橋に暮らしていた私たち家族はその夏、千葉に海水浴に向かい、首都高を抜けた辺りでピンキーのバンを目にした。番組の宣伝だったのか、撮影をしていたのか、前を走り去ったピンク色のバンを食い入るように見たのを覚えている。そのとき、言葉であれこれ考えたわけではないし、自由という言葉も知らなかったが、なんだかとても明るい気持ちになった。
同じころ、ナオキさんという若い男性に会った。父が福島県の常磐炭鉱で働いていたころ、親しくしていた同僚の息子さんで、上京早々、我が家を訪ねてきたのだ。ナオキさんは友人たちとバンで来て、あいさつもそこそこに私たち兄弟をドライブに連れ出してくれた。首都高を走り、渋谷の辺りのスタジオに行くと、彼らはそこでエレキギターの練習をし、次はみなで銀座に繰り出した。といっても、店に入るわけではなく、路上にとめたバンの辺りでぶらぶらしているだけだった。
ナオキさんら4、5人の男性は皆、髪を長くのばし、うっすらと髭をはやしていた。テレビで目にしてはいたが、長髪の人を見るのは初めてだった。私は、彼らの姿がまぶしくて、まっすぐに顔を見られなかった。
ピンキーもナオキさんたちもアメリカから渡ってきたヒッピー文化の一つの商業的な表れだった。ヒッピーという言葉を耳にしてはいたが、彼らは主にフーテン族と呼ばれ、生き方の一つとみなされることはなかった。農村で自活を始めた人も多いが、ヒッピーは人間集団、文化としては根づかず、80年代以後、次第に姿を消していった。
チリに来て驚いたのは、ヒッピー文化が脈々と続き、増え続けていることだ。
3月、チリ南部の岩場で墜落し、親指の第1関節を切断した息子は病院で手術を受け、4日後に退院した。その間、私は息子の家でもあるメルセデスベンツ社製のバ ンで、彼を待っていた。町外れの空き地にボロボロのバンをとめていると、翌日から息子の友人たちが次々と現れた。ソーシャルメディアで事故のことを知ったチリ人の山仲間8人がやってきたのだ。
事故後、私の気分は暗かった。息子はチリに渡ってそろそろ7年が過ぎ、30歳になる。親指切断となると、ペンを持つのも、手に職をつけるのも大変だし、企業の面接などで不利になるかもしれない。握手をする際、いちいち説明しなくてはならない、とそんなことをあれこれ心配した。
「別にクライミングじゃなくてもいい。エネルギーすべてを注げるものがあれば、何でもいいんだ」と事故前に息子は言っていたが、クライミングができなくなったら、何にその熱を注ぐのか。あの集中力、真剣さを試せるもの。それはやはり、仕事だろうか。そのとき、自分の指を見て、落ち込んだりしないだろうか。
そんな考えはいずれも私の妄想、杞憂だった。息子はバイトはしても、はなから企業に収まる気はない。仲間たちとの会話を聞いても、「親指なしでも、かなり登れるんじ ゃないか。むしろ、クラック(岩の亀裂)を登るのにちょうどいい太さになったんじゃないか」「海賊みたいなS字のフックを指先につけたらどうだ」といったジョークを交わしている。
みなクライマーだが、見事なほどヒッピー型だ。クライマーなりに一様に体が細く、男の場合は髪と髭を伸ばし、ベジタリアンか、ビーガンと呼ばれる菜食主義だ。合成調味料や調理品は使わず、野菜、果実、ハーブ、豆類に詳しい。外食をしないので質素だが、一年の何カ月かは彼らも働かなくてはならない。岩登りのガイドから国立公園の監視人、ブドウ狩りなど農業の手伝いをして、お金がたまれば、すぐにクライミングに戻る。
誰かはギターをつま弾き、みなでビクトル・ハラなどチリの古いフォルクローレから最近の曲まで、とにかく暇があれば歌っている。彼らの信条をあえて言えば、「政治、行政、企業など、組織には入らない」「自給自足が理想」「仲間との友情、愛情こそが何よりも大事で、ものでも情報でもすべてを分け合う」といったところだろう。
息子のバンは彼らの拠点になっていて、数十人のクライマーが出入りし、ともに岩に向かう。全国の村々に仲間かその友人がおり、雨の日はそこに居候して、 くつろいでいる。日本では煙たがられそうだが、村民も温かい目、ときに羨望の目で彼らに接しているように見える。ヒッピーは一つの生き方として市民権を得ていて、 無害な彼らを邪魔者扱いする人は少ない。
私が子供のころに憧れ、いつの間にか消えてしまったヒッピー文化が、ここでは当たり前のように続いている。長年の軍事政権のあおりから、地方回帰、学生運動の波が消えないまま続いているチリでは、今のシステムに背を向け山に入る人も少なくない。ヒッピー文化がクライミングと密着するのも、ごく自然な流れなのだ。
そんな世界があるだろうとは思っていたが、実際にあった。それが驚きだった。
●近著
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