2021年11月号掲載
先日、65歳の友人に誘われ、尾瀬近辺の沢を3日かけて登ってきた。彼が山登りを始めた高校生のころの思い出の場所のようで、彼が「泊まりがけの沢登りから引退する記念山行」として誘ってきた。メンバーはほかに探検家とカヌーイスト、それと彼の地元の山岳会の若い、といっても三十代の男女二人の計6人の沢旅だった。
彼は四季を通じ、岩登りから氷壁登り、山スキーまで何でもこなしてきた。しかも若いころから一度も切れ目なく登り続けてきた。そんな彼にとっても、沢登りはやはり一番難しいジャンルだという。岩登りは終始、パートナーとロープで繫がっているが、沢登りは難しい滝などを除けばめったにロープを出さない。このため、源流のスラブ(一枚岩)や滝をよけての側壁の高巻きなどで足を滑らせれば、一気に下まで落ちてしまう。
それよりも前に、ただ河原や淵を歩いているだけでも、ちょっと気を抜けば地下足袋や靴底のフェルトが岩やコケ、流木の上でツルッと滑って、簡単に転んでしまう。普段は町を歩いても、通勤しても転ぶことはそうそうないが、沢登りでは当たり前のように転んだり、膝や向こうずねを岩にぶつけたりする。これが結構痛くて、帰りの温泉で見てみると、大体みな脚のどこかに生傷や青あざをつくっている。
年をとると体のバランスを保つのが難しくなるため、熟練の登山者であっても転びやすくなる。例えば、普段でも靴下をはく際、立ったまま片足を上げて右をはき、もう片足を上げるという動作をするが、こんなことでもバランスの衰えを感じるものだ。
だが、バランスといった技術面だけでなく、年とともに集中力を保つのも難しくなっていく。脳の問題だ。一つのことに集中する力はさほど衰えない。要はそれをどれだけ続けられるかにある。この「集中持続力」が、仕事でも遊びでも年とともに落ちていることを私は実感する。2年前、滝を登り切った途端に緊張が抜けたのかツルッと滑ったり、普段ならつかむはずのない腐った木をつかんで滑落し、すんでのところで助かったりしたことがあったが、はっきりと集中持続力の衰えを痛感した。それ以来、できるだけ、このことを意識して登ってきたので、事故はないが、この先も意識で食い止められるかどうか、自信はない。
65歳の彼を見ていると、歩くのは一番遅く、また何てことのない河原でよく転ぶ。引退を語るのも致し方ないと感じたが、いま60歳の私はそこに5年後の自分の姿を重ねて見ている。
5年前、彼と谷川の沢や岩登りに行ったとき、彼の妻が「5歳も上なんですからね、そこを考えて下さいね」と出がけに私に声をかけたことがあった。心配してのことだろうが、当時は登りも下りも私より少しは遅かったが、そんなに遅れることはなかった。それが今ではかなり遅れる。やはり60歳と65歳は違うのか、と問うと、「いや、全然違うんだ。お前もすぐにわかるよ」と即答した。ただ、私が見るに彼はここ5年で随分ぜい肉がついた。年齢だけでなくそれもあるのではないかと私は疑っている。
作家、増田みず子の久しぶりの新刊「小説」(2020年11月、田畑書店)の表題作にこんなくだりがあった。若いころ、小説をたくさん書いた末、<書いているうちに、ほんとにわけがわからなくなって。続けざまにいくつか病気をして、時が流れて、気がつくと、どこからも、小説の注文がこなくなっていました。六十歳くらいのときです。/細かいことは覚えていません。/そうか、と思って、書くのをやめました。/ヒマになったので、体をきたえはじめました。ずいぶん、弱っていたので。/あっという間に、健康になりました。/体力が戻ったのに、小説を書かなくてもよいのは、ヘンな気分でした。/私は、ほんとに、単純な人間なんだと思います。/全力で走れるくらいに、体力って、戻せるかな。/ふと、そう思ったら、カッと、体が熱くなるくらい、やる気になりました。>
以後、この筆者はみるみる走ること、体を動かすことにのめり込んでいくのだが、私はこういう衝動が好きだ。ときに自分の身に起きるのも同じパターンだ。
65歳の彼と山から下りてきたところで、私は同行の若いクライマーに、谷川岳の岩壁、一ノ倉沢に連れて行ってくれと頼んでいた。沢の季節はそろそろ終わるし、できればこれを機に岩登りに復帰したいと思ったからだ。
私が学生のころの山の舞台は北海道だったので、利尻岳や芦別岳を除けば、岩登りを楽しめる場はさほどなかった。このため、夏休みには、日高での10日に及ぶ沢登りを終えると、小樽発新潟行きのフェリーに乗って、剱岳や北岳バットレス、甲斐駒の岩を登りにいった。一ノ倉沢に行ったのは、就職前の9月、東京でぶらぶらしていたときに後輩と二人で行ったのが最初で最後だった。その後、最近になって幽ノ沢に一度行ったが、一ノ倉には入っていない。
アクロバティックな登りを目指しているわけではない。ただ、安定して登れる体を取り戻したい。岩にまた復帰したい。ここ最近、そんな衝動がわいている。10月12日から毎日新聞で連載を始める「酔いどれクライマー 永田東一郎伝」の主人公や、南米チリでクライマーをしている息子の影響もあるだろう。
でも、単に山登り全般ということではなく、私が若いころすっかりはまってしまった、ものすごい高度感の中で岩にへばりついている快感を、より安全な形で、単に取り戻したいという思いがごく自然に出てきたように思う。
●近著
『差別の教室』(2023年5月17日発売、税込1,100円、集英社新書)