自分が変わること

月刊「点字ジャーナル」連載コラム

断食で見えてきたこと

2025年12月号掲載

毎日新聞契約記者/藤原章生

 

 先日、3日間の断食をした。これまで、経験者には何度も会ったが、自分でするのは初めてだ。食あたりや腸カタルで断食せざるを得なかったことはあったが、あえてやったことはなかった。

 2025年10月半ば、南アフリカのソウェトの居候先の母屋に40代の夫婦が訪ねてきた。少し雑談して部屋に引き上げたら、しばらくして妻の方がやってきてこう言った。

 「初対面で失礼だけど、あなたはいま苦しんでますよね」

 苦しむ? ストラグリングという言葉を彼女は使った。「いろんな邪魔や雑音が入って、前に進めずに困っているけど、必ず目的の場所にたどり着けるから大丈夫。時間はかかるけど。いまを打開するには断食(ファースティング)を3日間したらいい。あなたのスピリッツ(魂)はきれいになり、先へ進めるようになる」

 彼女はプロフェット(予言者)だと言う。少女のころからアフリカの信仰を学んできたサンゴーマと呼ばれる、日本で言えば沖縄のユタか漢方医のような存在で、私に助言せずにはおれなかったと言う。

 礼を言って別れたが、そのときは特段断食をしてみようとは思わなかった。が、通りすがりの人の言葉は耳に残る。いま、この地のシャーマン、クレド・ムトゥワ(1921~2020年)にのめりこんだのも、通りすがりの酔客が強く勧めた『インダバ・マイ・チルドレン』(1964年)を読んだのがきっかけだった。

 それから1年。ムトゥワが没した地や彼が聖地にした滝や洞窟などを訪ね回り、妻や娘、弟子たちに話を聞いた。そして、証言の形で、ムトゥワの謎を解くのは簡単ではないとわかった。

 謎はいくつもある。なぜ無学の彼にいきなり知識がついたのか。なぜいくつもの予言ができたのか。サンゴーマの修行が彼を変えたのか。37歳のときに何者かに拉致され拷問された経験が彼を変えたのか。人類の現状を嘆いた彼は、どんな未来を夢みていたのか。そんな疑問だ。

 だが、ムトゥワの本音を聞こうにも、同世代はこの世におらず、弟子の彫刻家、ムサ・ンタンジ(67)は「ムトゥワには友人がひとりもいなかった」とさえ言う。

 「ムトゥワの下には多くの人が相談や挨拶にきたが、彼から出向くことはなかった。彼には友人はいなかった。彼は子供たちとの距離も遠かった。いつも同時並行で彫像や絵に取り組んでいた。酒も飲まずたばこも吸わず、仲間たちと笑い話にふけることもなかった」

 ムトゥワには心を打ち明ける友人や仲間がいなかったのだ。

 テレビ番組でムトゥワのことを語っている自称弟子の有名人3人に取材を申し込むと、「ムトゥワを語れるほどの立場ではない」と尻込みしたり、「マネジャーを通して」と言われ相談料を請求されたりと、おかしな反応が返ってきた。

 何でもしゃべりたがりのアフリカ人がいざムトゥワの話をするとなると二の足を踏む。要は弟子ではなかったのだ。遠くから姿を拝むか、1、2度話をしたことがあっても、弟子ではない。通常なら、自分の恩師について知りたいと外国人が訪ねてきたら、話だけでも聞くだろう。少なくとも師匠や友人についての証言でお金をもらおうなんてことは考えない。

 ムトゥワの場合、やはり、インタビュー映像や数々の本、つまり彼自身の言葉を頼りに探っていくしかないのか。断食を勧められたのは、そんな行き詰まりのときだった。

 土曜日に静かに始めた。きつかったら1日でやめるつもりだった。空腹感は翌日の方が楽だった。私の断食を知った友人知人は気をつかったのか、訪ねてこなかった。ムトゥワに関する資料を読み、彼のインタビューや講演の音声を聞きながら2日目の夜を越え、3日目になると空腹感は消えたが、3度めまいがした。が、それは体の代謝が変わり始めた好転反応と呼ばれる症状で問題はない。最後、上半身の節々が痛くなったところで、3日間が終わった。その晩は薄いスープとパンを食べ、ワインを飲むと、みるみる体が、脳が働き出す感覚があった。そして、2日ほどで体調は元に戻った。

 半世紀前、モザンビークのマフォルガという村で、孤児院を営む白人夫妻がキリストの声を聞くために何週間も断食をしていた。いまも、40日間断食したことがある年配の女性が近所にいる。アフリカで断食は日常のことだ。

 断食で何かがわかるかもと、少し期待していたが、ムトゥワの声が聞こえたわけではなかった。それでも感覚的にいくつかのことがわかりかけた。消化活動を一時的に止めると、脳の活動も落ちてくる。すると雑事、何かを食べたいとか、いいものを書きたい、あるいは未体験のことを妄想するといった、欲望全般が後退していく。頭を無にすることなど無理でも、それに近い状態になっていく。脳の活動はシンプルになり、人はその時間を瞑想や祈りに充てる。すると、その効果は普段以上のもののように感じられるようになる。そんな仕組みなのだろう。

 断食を終えて1週間がすぎたいまも、欲望が薄らいだ感覚はつづいている。その欲望の減退が、あの女性の言う「魂がきれいになる」ということなのか。

 少なくとも、ムトゥワの取材について、いたたまれなさや焦りを前ほど感じなくなった。とにかく、彼の言葉を読み込め。従来の新聞記者的な証言集めではなく、自分の感覚で彼を知れ。そういう方向性が示された気がする。3日でも結構つらいが、悪くはなかったと感じている。

 

● 新刊紹介

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特派員の肩書きもミッションもなしーー
23年ぶり、アフリカにとっぷり浸かってみた!
紙袋ひとつ持って「旧友たち」のもとへ
今ひとたびの、灼熱大陸清貧一人旅。

南米、ヨーロッパ、アフリカ、ヒマラヤのダウラギリまで、世界各地を巡り歩いた特派員が、約25年ぶりに再びアフリカの地に降り立った!
今回は、あえて目的も計画も持たずつとめて身軽な旅。
毎日新聞連載を書籍化。


● 関連書籍

📕『差別の教室』(23年、集英社新書)

📕『絵はがきにされた少年』(05年、集英社、開高健賞受賞、20年に新版)