2021年7月号掲載
別に還暦になったからと言って、59歳が60歳になっただけの話。何が変わるでもなし。ひとまわりして赤ちゃんになるでもなし。迷信、迷信と思っていたら、バチが当たったのか、4月27日、60歳の誕生日、私はコロナになっていた。正確に言えば、私の中に巣食っていた新型コロナウイルスが一気に活動を始めた。
朝から調子が今ひとつだった。ごくたまに空咳も出る。3年ほど風邪をひいていないので、おかしいなと思っていたら、昼飯を食べた頃から、体がだるくなった。布団をかぶり一眠りしたら、夕刻には熱が38度台になった。
「俺がコロナになるはずない」。根拠もなくタカをくくっていたので、この時点でも感染を考えなかった。喉が痛いのは、久しぶりの風邪で、扁桃腺が過剰に反応しただけだと思っていた。
締め切りもあったので、新聞社に報告すると、すぐに返事があり、「念のためPCR検査を受けた方がいい」と言われ、翌28日の昼、発熱外来のある近所のクリニックに行った。検査を受ける人は院内に入れず、熱があるのに屋外の通路で待たされる。完全防護服の先生に鼻に綿棒を突っ込まれ、やはり室内には入れてもらえない薬局で解熱剤などをもらい、帰るなり何も食べずに布団に潜り込んだ。
熱は39度4分まで上がり、関節痛というより、とにかく全身が小刻みに痛い。体をエビ状に曲げた体勢で横になり、ひたすら痛みに耐える。思わず「うーっ」だの「ああ」だの声を出しながら、起きたり寝たりを繰り返すと朝になっていた。
その日、29日朝には結果が出ることになっているので、「あり得ない。コロナになるわけがない」と唱え、夢の中でも「やはり陰性でした」の声を何度も聞いていたのに、医師は電話で割と快活に「陽性でした」と伝えてきた。
どっちにしてもしんどいので寝ていると次々と電話が入ってくる。区の保健所や都の担当者は優しい口調ながら、感染源や濃厚接触者を特定する「尋問」を延々と続け、体がだるくて痛いのに、寝る暇もない。
感染源としては、妙に混んでいた東横線、隣の男性が大声で話していた渋谷の飲食店、トイレを借りるために寄ったドンキホーテ、路上の人混みなどが浮かぶが、確証がない。
あるいは、講演会やインタビューで会った人が無症状の感染者だとしたら、そこでうつされた可能性も。でも、それなりに高齢の彼らが発症せず、自分だけがこんな状態になることがあるのか。日々の行動を書いているメモ帳をにらんで推理するが、答えが出ない。定年間際だからと、バカみたいに働き、出歩いていたのが悪かったのか。
区の保健所の専門家によると、意外にも人にうつすのは発症の2日前からで、その結果、濃厚接触者は4人と特定されたが、いずれもPCRは陰性であった。
発症から5日目の5月1日朝、東京都福祉保健局から電話があり「ホテル療養」を指示され、迎えに来たビニール張りのタクシーに乗り、午後1時に品川区のビジネスホテルに入る。この日は朝から38度5分の熱があり、息も前日より荒かった。後から振り返れば、明らかに肺炎がひどくなっていた。
ホテルに着き、遠巻きにした職員の方に手で示されエレベーター前に着くと、ロボットのぺッパー君がポツンといて「みんなで乗り切りましょう」と繰り返している。私の名前が書かれたビニール袋に入れられた鍵を受け取り、部屋に入るなりすぐに寝ようとすると、ホテル待機の看護師から電話が入る。20分もの問診を受け、ようやく寝ようとしたら、また電話があり「下に降りてきてください」と言う。私の体温が高く、また指を差し込んで計る血中酸素の目安、経皮的動脈血酸素飽和度(SPO2)が90%台前半と低いので、目の前で計り直してほしいと言う。
エレベーターホール前の、遮蔽板で覆われた小さな窓口の前で看護師さんに言われながら何度も計り、そのたびに「ちょっと上席に聞いてきます」と待たされる。「乗り切りましょう」とすぐ脇のペッパー君がうるさい。ようやく部屋に戻るとどっと疲れ、「今度こそは」と寝込むと、すぐに電話があり「病院に移ってもらいます」と言う。「民間の救急車」と言っていたが、ビニールで運転席を遮蔽した普通のバンに乗り、都立駒込病院の302病棟、通称「コロナ病棟」の8号室に、緑色のビニールで防護した看護師さんに案内される。
「ようやく寝られる」と倒れこむようにベッドに入ると、4人もの看護師さんが現れ、血圧から、採血、血中酸素、レントゲンに加え、「症状があったのはいつですか?」とすでに何度も繰り返された長い問診が始まる。
後から主治医に聞くと、この時点で私の肺炎はかなり進んでおり、「特に左の肺は表面積の60%で炎症が起きていた」、つまり新型コロナに覆われていたらしい。主治医は私の近親者に電話をし「中等症と重症の間です。人工呼吸器を装着する場合は連絡します」と言っていたので、結構、重かったようだ。
それでも、翌日から始まる抗ウイルス薬とステロイドによる点滴治療がうまくいき、発症から3週間、入院から17日目の5月17日、私は退院できた。
こんなに長く入院したのは初めだ。そのせいか、あるいは、闘病中の4月末日に定年退職(契約で記者は続けます)を迎えるといった心理的なこともあるのか、発病から退院まで終始、これまでにない静かな気持ちが続いていた。
心の安定とでもいうのか、一切焦らない、難しい言葉で言えば、静謐とでも言えそうな静かな心。これまでの私とは無縁の境地に至ったのはどうしてなのか。主治医に聞くとこう答えた。「それは治療薬の副作用ではありませんね。おそらくコロナの影響じゃないでしょうか。人それぞれですが、様々な反応、後遺症があるようです。鬱になる人もいますし」。しばらく自己観察をしてみようと思う。
●近著
『差別の教室』(2023年5月17日発売、税込1,100円、集英社新書)