2022年3月号掲載
この1月、うれしいことがあった。小学校4、5年の担任だったN先生と連絡がとれた。1978年正月にもらった賀状の住所に、「お元気ですか、本当にお世話になりました」と書いて年賀状を送ったら、もうおられないと思っていたのに、返事をくれたのだ。「賀状を頂戴いたしましてありがとう。少々驚いています。藤原君も、もう還暦を迎えられたのでは…」。
N先生にお礼を言いたいと思い立ったのは、昨年4月、還暦になった日にコロナにかかり、中等症Ⅱで17日間も入院したからだ。私は退院すると、ため込んでいた資料を捨てた。写真や手紙も捨て、そのときにN先生と小学校3年の担任、浅見ミチ先生の年賀状が出てきた。
二人の賀状を本棚に並べ、眺めていた私は、まず浅見先生にはがきを送った。まだこの住所におられるか、いやそもそもご存命か。あのころ、おいくつだったのか。自分は9歳だったので、あれから51年。35としたら、もう86歳である。先生のおかげで頑張ってこれましたと書いて恐る恐る絵はがきを出した。するとしばらくして娘さんから返事が来た。
「暑中お見舞い申し上げます。お葉書ありがとうございました。母ミチですが、昨年令和2年11月1日に90歳にて永眠いたしました。教え子の皆様にこのように懐かしく思い出していただき母もさぞ草葉の陰で喜んでいると思います」
うわあ、と思った。タッチの差じゃないか。私は大学に入ったのを最後に、年賀状を出さなかった不義理や、「君はやればできるんだからね」という先生の言葉にどれだけ励まされてきたかを長々とつづり、娘さんに送った。
私は先生運がよくない。嫌われたり、傷つけられたりした思い出ばかりだ。学級日誌に映画の感想を書いていた中学1年のとき、27歳の女性担任は私の文を読み上げ、「こいつは毎日毎日、映画のことしか書いてない。きちがいか!親は何やってる!」とクラス全員に向かって怒鳴り散らした。中2の担任は大柄な技術教員で、女子グル ープと話に興じていると、教室に入ってくるなり、「藤原、お前は色きちがいか!」と憎々しげに怒鳴った。私に色恋の感情はほとんどなかった。ただ、少しツッパっていた彼女たちと気が合い、ビートルズや井上陽水、アイドルたちをめぐるおしゃべりを楽しんでいただけだ。この教諭があまりにしつこく言うので、私は次第に彼女たちの輪から外れていった。
教員にはほとんどいい思いがないのだが、「藤原君、シャキッとして」と厳しかったものの、まなざしから愛情が伝わってきた浅見先生と、転校してきた私を気持ちよく迎え入れ、「君は脚本家か演出家になったらいい」と励ましてくれたN先生にずっと感謝していた。
浅見先生の死を知り、自分の浅はかさを反省した。大学に入ってよほどうれしかったのだろう。それをはがきで報告したら、浅見先生はほんとうに喜んでくれた。なのに、その後は先生にもうはがきを出さなかった。それでも、よく先生を思い出し、そのたびに手紙をと思ううちに、何をいまさら、先生にはたくさん生徒がいたわけだし、などと思って、40年も出さずじまいだった。もし、賀状を交わし続けていれば、先生に会う機会があったかもしれない。
そんな反省から私は、この正月、N先生の住所にやはり恐る恐る賀状を送った。子供の目にはとても大柄で一時はひげを生やしていたN先生は、板橋区から足立区に転校してきた私を両手を大きく広げて迎えてくれた。私は夏休みの宿題を全くしていなかったが、「まあいいでしょう、引っ越しで大変だったでしょうから」とあっさりパスしてくれ、毎日遅刻していた私が誰もいない校庭から教室へと歩いていると 、「藤原君が来たぞ、スターだぞ!」と言ってみなを笑わせ、居場所をつくってくれた。
私は前の学校にいたときからコントを作るのが好きで、怖い母親を主人公にした「 かあちゃん天国」や「小突き回される水戸黄門」といった持ちネタがあったが、それを知った先生がお楽しみ会のコントを私に任せてくれたことがあった。それが随分ウケたので、先生は私を職員室に呼び、「藤原君、君は才能があるよ。脚本家、いや演出家を目指したらいいよ」と言われた。そして、その5年生の最後、6年生を送る卒業式のあとの謝恩会で、皆を率いた芝居をやってくれと頼まれた。ところが、その秋 、先生は突然、他の学校に転勤してしまった。
先生のはがきの文面はこう続いていた。「確か六年生の時の担任はS先生ではなかったでしょうか。私は来年で八十になります。身体の衰えは年相応にありますが認知症にならず生きています」
実はこのS先生と私は微妙な関係にあった。私がクラス中から何カ月か無視されたとき、「作文を書いてこい」と言われ、それを読み上げることで救ってくれた人だが 、何か私のことを面白くないと思っていたのか、「ふん」という感じで邪見に扱われることが何度かあった。あるとき、「あの、N先生に頼まれていた、謝恩会の芝居のことなんですが…」と切り出すと、「ふん、芝居? 知らないなあ」といった反応で私はひどくショックを受けた。
なんだかやる気が失せ、それを機にコントもやらなくなり、ひとりで映画を見る子供になった。演出なんて言葉も、自分とは関係ないと思うようになった。
何もかも、子供の思い込みだったのかもしれない。今度、N先生に会いに行こう 。そして、先生があえて触れたS先生のことも聞き出してみようと思った。
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