2021年8月号掲載
老子の言葉を8年ぶりに読んだ。最近、ある勉強会の講師が親鸞を語る際、老子の言う「無為」に触れた。この無為という考えが仏教家の親鸞から哲学者スピノザ、そして親鸞を書いた評論家、吉本隆明にまで大きな影響を与えたのではないか、と説いていた。
講師が引用したのは、ちくま新書から2018年8月に出た「現代語訳 老子」という本だった。老子の言葉を訳した歴史学者、保立道久さんは「無為」についてこう書いている。
<『老子』の人生訓は、この「無為」の心術(しんじゅつ)をどのように身につけるかということなのだが、本章は、その基本をまず、「欲せざるを欲する」ことだという。つまり「無欲」を生きる目標とし、欲望によって動かされない。(略)次は「学ばざるを学ぶ」ことであって、これは「不学」、つまりもう学ばなくてよいという思い切りを生き方の目標とすることである。そうやって一度「学び」をやめてこそ、人々が見逃したことがわかるのだ>
何も求めず、学ばず。つまり、新たなことに挑戦せず、静かな心であれ、ということだが、そう割り切れないのが人情である。
私は金銭欲はさほどないが、表現への欲望がなかなか消えない。書いたことで、人に褒められたいという名誉欲も絡んでいる。何かいい物を書きたいという思いが常にある。まだ見ぬテーマをいつも追い求めている。これは明らかに欲だ。
冒険家の友人がお寺の掃除につとめていたある日、人と自分を一切比較しなくなり、気持ちがすっと楽になった。ところが、同時に長年準備してきた冒険の旅にも出られなくなった。やる気が失せたのだ。
欲があるから人と自分を比べる。欲がなくなれば情熱、つまり学びたいという思いも消えてしまうのだ。これが、老子の言う「無為」だとすれば、私はその境地に至っていない。
そんなことを考えていたら、マドリードから私の気功の先生、鍼灸医の孫俊清(そん・しゅんせい)さんが来日し8年ぶりに再会した。
孫さんに会うことで心洗われた私は、家に帰ると孫さんの本を読み直した。偶然というのか、これも老子だった。
「明解 道徳経 人生を善く生きる81章」(孫俊清訳著、元就(げんしゅう)出版社)という本で、2010年10月の出版時、イタリアで孫さんから頂いたものだ。「道徳経」は、紀元前6世紀から5世紀に生きた老子が書き残した81章、5000語の言葉とみなされている。
孫さんは子供の頃から「道徳経」の現代語訳や解説本を読んできたが、読めば読むほど謎は深まった。長じて、スペインに暮らしていた12年前、48歳の年、ある直感を得た。「老子は多くの人が思っているような哲学書としてではなく、心身をより良くして生きるための助言として言葉を残したのではないか」。すると、言葉がするする入ってきたそうだ。老子は中国のあらゆる武道、健康法の源でもある気功を最初に始めた人物とも言われており、欧州の弟子のためにスペイン語に訳した。私の手元にあるのはその日本語版だ。
老子は人の理想的なあり方、「道(タオ)」にどう近づくかを説いているが、先ほどの「無為」のくだりを、孫さんはこう説いている。以下はその概要だ。
「習慣が正しいとは言えない。人々には見た目の美しさを求める習慣があるが、そのせいで内面の美しさを忘れがちです。良い人柄や穏やかな性格、慈悲の心、健康な体のことです。
また好きなことばかりするのも良くない習慣です。好き嫌いは自分のどこかが調和していないからです。内臓が調和していれば食べ物の好き嫌いはなくなり、心が調和していれば人の好き嫌いもなくなる。美も醜も、低きも高きも、邪悪も真実も(その違いは)なくなります。
聖人はそれがわかっているから、何に対しても無為、つまり流れのままという態度をとるようになりました」
無為、流れのまま、というのがわかりにくいが、老子は具体例を挙げている。
「言葉ではなく、自らの行動で人に教えること、万物の成長を手伝いながら休まないこと、ものを生んでもそれを自分の所有物にしないこと、業績について『やった』という気持ちを持たないこと、成功しても成功者の座に座らないこと」
「無為が全てを治める」という次の章には、こうある。
「欲を満たそうと思わなければ、自分の心はより静かに、乱れることがなくなる。体と心を良くするには、自慢をせず、謙虚なままで、頭で何も考えないようにし、イメージとして、胸の中を青空のように軽く空っぽにすることです。余計なことを考えず、食べられれば満足する。夢や志を減らし、欲望を持たないようにします」
先ほどのちくま新書版とほぼ一致する、欲せず、学ばずという姿勢だ。
それは何も考えず、何もなさず、ぼーっと生きるのではないようだ。「万物の成長を手伝いながら休まない」「成功しても成功者の座に座るな」と言うように、遮二無二仕事をすることを否定しているわけではない。そう思えるが、欲も学ぶ姿勢もないまま、遮二無二なれるのだろうか。
孫さんは人が抱えている問題や病、人の内面を瞬時に見抜ける人だが、相手を不安にさせるようなことは言わない。そんな孫さんが今回、私についてちらっと言ってくれたことがあった。「いろいろ考えすぎるから、自信がなくなるんだよな」
たったそれだけだが、全てを言い切っている気がした。
落ち着いた気持ちになれないのは、自分が書くもの、それが人にどう受け入れられるかを考えすぎるからだ。表現欲というと聞こえはいいが、夢にまで出てうなされるくらいだから、なかなか楽ではない。書きたいという思いが完全に消えてくれたら、どんなに楽か。
「人類が良いように変わっていくような、そういうものを書いていけばいいんだよ」
孫さんはそんなことも言ってくれた。はたっと気持ちが一瞬上に上がったが、では、それはどんなテーマだろう。いつかやってくるのか。と、また私はその考えにとらわれてしまう。
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