自分が変わること

月刊「点字ジャーナル」連載コラム

大家族は差別しない人を育てるか

2021年3月号掲載

毎日新聞夕刊報道グループ記者(当時)/藤原章生

 

 先日、書店のトークイベントでギニア人のタレント、オスマン・サンコンさんと「アフリカの豊かさ」についておしゃべりする機会があった。お会いするのは3度目だが、初めて聞く話がいろいろあった。

 サンコンさんがフランスのソルボンヌ大学を出て外交官として初来日したのは1972年のこと。ギニア大使館を開く前で、大使だった上司と二人で帝国ホテルに泊まっていたとき、昭和天皇と皇后に謁見することになった。そのとき宮内庁は帝国ホテルに黒塗りの馬車で迎えに来た。ギニアの民族衣装を着たサンコンさんら二人はびっくりしてそれに乗り込んだ。昭和天皇から何か言われたかと聞くと、「うん、『東京だけじゃなくて、地方を見たらいいよ』って言われたね」という。その助言に従ったのか、サンコンさんはこれまでに都道府県をすべて回り、それぞれの地に今も友達がいるという。

 日本に8年滞在し、当初はその「チュチュチュチュ」という異様な音から絶対に覚えられないと思った日本語もきっちりマスターした。日本の外交官は年に2度、一時帰国できるが、ギニアには一度も帰らせてもらえなかった。ようやく帰れるかと思ったら、今度はワシントンに行かされ、まる2年暮らした。ちょうどレーガン政権の頃で、81年3月30日午後、サンドイッチを買って大使館に戻ろうとしたとき、レーガン大統領の暗殺未遂事件に遭遇した。

 米国では暗殺された黒人牧師、マーチン・ルーサー・キングの妻、コレットさんにも会うことができた。そんなくだりでアメリカの黒人差別の話に触れこう話した。「僕もそうだけど、コレットさんも全然、差別のことになんて関心がなかった。白人もアジア人も黒人もいろんな友達がいたけど、自分にコンプレックスがないから、差別だとかなんとか全然感じなかった。自分に自信があれば、そんなこと感じないよ」

 なぜ、サンコンさんはそんなふうになれたのかを聞いてみると、「お母さんのお陰だね。お母さんは厳しかったけど、大事に大事にしてくれたからね」と言った。サンコンさんは22人兄弟の12番目ですぐ上に姉が、すぐ下に妹がいて、女の子に挟まれていた。「お父さんは一人だけど、お母さんは三人ね。僕のお母さんは第一夫人で子供が5人。二番目のお母さんは9人、三番目のお母さんが8人、で全部で22人兄弟。だから、食事のときは、『せーの』で一斉に食べるの」。ギニアの食事は今でこそ米が主流になったが、当時はキャッサバやヤムイモなどを粉にしたものを熱々にふかして、シチューにつけて食べることが多かった。「だから、みんな指先が熱くて熱くて」

 お母さんが3人とはどんな感じなのか。私が子供の頃は日本のテレビドラマでよくまま子いじめが題材になった。「実のお母さんが、こっちにおいでと、物陰で一人だけにお菓子をくれたりすること、なかった?」と聞くと、サンコンさんは「それ、全然ないの」と笑った。「みんな同じ、みんな平等。どのお母さんも厳しいけど優しい。僕ら、よくけんかしたから、いつも怒られてたけど、自分の子とか他の子とか関係ない。みんな一緒」

 

 サンコンさんは明るい人で、そばにいる人まで明るい気持ちにさせる。気質かもしれないが、卑屈なところがみじんもないところはやはり育った環境が大きいのだろう。

 何せ、子供にとって最初の出会いは家族である。家族こそが世界のすべてだ。家族は祖父母、おじ、おば、いとこなどを合わせれば総勢数十人はいる。大人たちは分け隔てなく、目の前の子供をしかり、褒める。

 「人類はアフリカで始まったでしょ。だけど、多分、アフリカで終わると思うよ」

 アフリカの魅力を語った末にサンコンさんはそうぽつりと言った。考えてみれば、家族の歴史という点で言えば、アフリカは人類の大先輩なのだ。国家としての歴史がいくら浅くても、家族、人間集団の歴史は欧州よりもアジアよりもはるかに深い。

 サンコンさんは「でも、アフリカにはいろんな帝国がずっとあったんだよ。欧州人はそれをなかったことにしたかっただけなんだよね」と応じた。ヘーゲルは「アフリカ的段階」という言葉で近代以前の人類を描いた。産業革命を起点とすれば、アフリカは未開で野蛮な地となるが、人間関係のあり方という点を見れば人類の初期から何十万年にわたり融和と争いを繰り返し現在に至っている。そんな地を「遅れている」の一言では片付けられないと私は思う。

 サンコンさんの家に家庭内差別がなかったのは、たまたま父母たちが優しかったからではないだろう。そういう決まりごとが一種の知恵として当たり前のようにあったからではないだろうか。それが、ごく自然にサンコンさんのような、差別をしない人を育んだ。そして、少年時代、サッカーでアキレス腱を切り、障害者になっても、家族みなの支えでフランスに留学し、外交官になることができた。

 何も大家族でなくてはいけないというのではない。お母さんが三人いなくては、という話ではない。でも、一人っ子が当たり前の今の日本はどうだろう。そんなことをちらっと考えていたら、青い帽子をかぶった子供たちが家の前を手をつないで、ゆっくりと歩いて行った。

 保育園の子供たちだ。あそこにいれば、自分と同じくらいの子が30人ほどいて、「お母さん」「お父さん」が4、5人いて、きっと大家族と似た疑似体験ができるのだろう。保育園が大好きと子供が言うのも、さもありなんである。

 

 

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