2021年2月号掲載
正月、フェイスブックを開いたら、知らない人から友達リクエストが来ていた。投稿を見てみると、指揮者、小澤征爾さんの映像が出てきた。ベートーベンの第九だった。闘病のせいか第三、第四楽章だけを指揮している。調べてみると、2017年10月に水戸室内管弦楽団を指揮したものだった。第九は高校生の頃、レコードで繰り返し聞いたが、その後はあまり聞かなかった。でも、老いて座ったまま指揮をする小澤さんを正面から撮った映像に最後まで見入り、高校生のとき、第九について少し触れた作文を思い出した。
捨てようか迷った末、棚に詰め込んでおいた作文の束を探ると、高校1年、16歳の冬に書いた作文「ジャン・クリストフとその人生」が出てきた。音楽家の主人公にベートーベンとの類似を見いだし、その中で第九の「歓喜の歌」に触れていた。
私が通っていた都立上野高校には当時、校則、試験、成績表がなく、現代国語や社会などは1年かけて長文のリポートを1本出せば良かった。この作文はそのうちの一つだ。
表紙も含めB5のリポート用紙で13枚、6章におよぶ作文はざっと8万字、400字詰の原稿用紙で20枚分もある。おそるおそる読み始めると、これが意外にいい。若さがみなぎっているだけでなく、テンポよく書き手の考えが流れていき、表現や感想が素直で、ときにユーモアもある。
ロマン・ロランの小説『ジャン・クリストフ』の主人公の失恋を書いた「恋愛論」の章にこんなくだりがある。初恋の相手ミンナから引き離されたクリストフの様子だ。
「やはりどこの国でも貧富の差というものは恐ろしいものである。二人の愛に気づくまでは、無作法で粗野なクリストフに対し(ミンナの母)ケーンリッヒ夫人はやさしい気持ちで色々世話をしており、自分の息子のようにかわいがっていた。それが単なる階級のちがいという理由で二人の間を引き裂いてしまったのである。
その後、クリストフは出世してドイツに帰りミンナに再会した。しかし、そこには、ただ太った女がいるだけで、あの小さなミンナのおもかげはどこにもなかった。初恋というものはそんなものだと思う。その当時の姿だけを心の中におさめ、その後は二度と会うべからず」
こんな結びは高校1年じゃないと書けない。私は思わず笑ってしまった。
なるほどと思ったのは「ゴットフリート」の章だ。
「クリストフの人生で、彼にまつわる人物はかなりでてくるが、その中で僕が最も好きなのはゴットフリートである。クリストフの母ルイザの兄にあたる善良で素朴な詩人的魂をもつゴットフリートは、まるで漫画『ムーミン』に出てくる旅人スナフキンのような存在である。いつの間にか現われ、何げなく教訓めいた事を言い、誰にも知られず旅に出て行ってしまう」
ゴットフリートはクリストフに「音楽というものはこしらえるものじゃない」とその思想を伝える。「月が野原のかなたに円く輝いていた。銀色のもやが地面すれすれに、またきらきら光る水の面に漂っていた。蛙がおしゃべりしていた。牧場では、がまの声が旋律的なフルートの音のように聞こえていた。こおろぎの鋭いトレモロは、星のまたたきに応えるようだった」
「おまえが家の中でつくっているのは音楽じゃない。音楽は太陽の下に、星の下に、そして神さまの貴いさわやかな空気を吸っているときにある」
私はゴットフリートによほど入れあげたのだろう。生き方についてのこんな言葉を引用している。
「一日一日に対し信心を持ち、一日一日を愛し、一日一日を尊敬するんだ。そして、自分が弱くてもそれなりに幸福になり、それ以上は出来ないのだから強い大地のように辛抱強くし、自分のなし得る限りをしなければいけない」
この「それなりに幸福」という言葉は今の私にもよく響く。
「ゴットフリート、すばらしい人だ。一生旅をし続け、その諸地域で貧民をなぐさめ、全く目立たない形で人々に彼の思想をつぶやく。そして疲れはて、誰にも知られずに死んでゆく。彼のような人間が僕は本当に好きだ。
ゴットフリートの言葉は、クリストフにとっても、いや全人類にとって、その一字一字が人生を歩むのに必要なものであろう」と、私はずいぶん感化されている。そして、死ぬまで音楽を追い求めたクリストフについて、「人間として最高の喜びにちがいない」と書き、こう結んでいる。「ただ大学を出て本当に好きでもないのに地位や名誉や富のためにあらゆる仕事につき定年になり一生を終える。これは男として、いや人間としてあまりにむなしすぎることじゃないか。どうせ生きるのなら、どんな苦悩やどん底に落ちても、クリストフの精神で自分の好きな事、やりたい事に一生を投じたいものだ。一つのことに打ち込める人生ほどすばらしいものはない」こんなことを書いていたんだと、過去の自分に驚いた。
「定年になり一生を終える」と書いた私は今年まさにその年になる。その後もバイトのような形で会社に関わることはできるので、即仕事が終わりとはならないが、収入は半減するため、一つの節目にはなる。
43年前の文章はもはや今の自分ではない。ずっとかなたの他人のようであり、それでいて、ずっと残っている核のようでもある。「自分の好きな事、やりたい事」に一生を投じたいと叫んでいた16歳の私がリポート用紙の間から立ちあがってくる。
私はそうしてきただろうか。かなりそれに近いことをしたかもしれない。でも、しきっただろうか。いや、きっとこれからだろう。そんなことを考えた。
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