自分が変わること

月刊「点字ジャーナル」連載コラム

戦場報道、死の地帯と大義

2012年10月号掲載

毎日新聞夕刊編集部記者/藤原章生(当時)

 

 先日、フリージャーナリストの山本美香さんがシリアで銃撃され亡くなった。どこかですれ違っているのかもしれないが、面識はない。第一報を朝方、毎日新聞の編集局で同僚から聞かされたが、特段の感慨は湧いてこなかった。というのも紛争地に行き続け、運が悪ければ弾に当たらずとも、暴動に巻き込まれたり、投石が当たったり、あるいは無謀な運転による交通事故に巻き込まれることはよくある。

 ごく普通の人々、特に外交官やビジネスマンが去るのとは逆方向に、危険地帯に入っていくのが記者の仕事であれば、命を落とす人がいてもおかしくはない。自分はアフリカ、中南米イラクリビアなどの戦場に累計すればかなり入ったが、いくつかの場面で辛くも助かり、たまたま運よく生きているにすぎない 。

 南アフリカに暮らしたころ、仲の良かったカメラマンにジョアン・シルバという男がいた。小柄なポルトガル南アフリカ人の彼はアドレナリン中毒のようなところがあり、戦場が大好きだった。普段はどこにいても「ボアリング(退屈だなあ)」と言っている子供みたいなところのある男だったが、スーダンコンゴの戦場に入ると、途端に生きいきとした顔になり、ハイパーアクティブ、つまり多動性が現れてくる。

 私にも少なからず恐怖や危機を楽しむ、あるいはそこでしか本当に生きていることを実感できない感覚はあるが、彼は極端だった。私がアフリカにいた90年代、彼のカメラマン仲間の3人か死んでいるが、戦場で死んだのはただ1人。残り2人は麻薬を吸いすぎた末の自殺だった。そこに因果関係があるとは言えないが、アフリカの戦場の奥の奥、最前線に向かう者たちには、麻薬を好む者が多かった。平穏な日常から戦場に入っていくのと、麻薬を体に入れるのはどこか似ている。いずれも「戦場の悲惨さを伝えたい」といったお題目とは別のところで、ごく個人的な、脳の中の化学反応が彼らをかきたてているように私には思えた。

 戦場に行くジャーナリストと、ヒマラヤの8000㍍峰を目指すアルピニストでは後者の死亡率の方がはるかに高い。山によって難しさは違うが、エベレストが約9%、世界第二の高峰、K2が約27%、アンナプルナは約41%とその山を目指す10人のうち4人が死んでいる。

 酸素濃度が地上の3分の1以下となる8000メートル以上を、イタリアの登山家、ラインホルト・メスナーは「死の地帯」と呼んだ。だが戦場での記者たちの死亡率はせいぜい1%程度で極めて低い。

 ただし、高所登山と戦場報道では死に近づく状況が違う。山の場合、自ら死に一歩一歩近づき、緻密な戦略、判断をもとに、主体的に死に近づいていく。雪崩やアイスフォールの崩壊など不可抗力もかなりの部分を占めるが、どちらかと言えば、自分のほんの一瞬の迷い、疲れ、小さなミスが重なり死に至るケースが多い。頂上に登りたいという欲望が冷静な判断を奪ってしまうことも少なくない。

 戦場報道も当然ながら危険の高い地点へと近づくわけだが、そこでは山よりも不可抗力が占める割合が高い。どんなに準備し武装しても、運が悪ければ前線のはるか手前で友軍、つまり自分の陣地の側にいるゲリラや政府軍の流れ弾に当たることもある。どこかの戦場では従軍兵士の3割が友軍に撃たれ負傷したという記録がある。戦場が危ないのは、敵と味方の銃撃戦もさることながら、どこからやってくるとも知れない無秩序、混乱が人を死に至らせることだ。私の経験から言えば、その混乱の最たる場所がアフリカの紛争地で、よそ者の記者たちにとっても最も危険な場所だと思う。自分をエスコートしてくれていた政府軍兵士が突然パニックとなり銃を乱射したり、ゲリラの到来や大統領の葬儀に興奮したごく普通の市民が一瞬にして暴徒に変わり外国人を袋叩きにしたり……。つまり、自分ではどうしても制御できない偶然性、運不運に左右される部分が多い。

 ジョアン・シルバに、なぜ戦場が好きなのかと聞いたら、こんなふうに答えた。「人がすごい表情になったり、逃げる際にとんでもない動きをしたり。そこに人間の混乱、人間の本来の姿があるからだ」

 しかし、それはどちらかと言えばお題目に近い。彼自身が派手なジェスチャーを交えよく語ったのは、砲弾がすぐ脇に落ちた瞬間や、銃撃戦の真っただ中で運よく弾が当たらない好位置につき、写真を撮りまくった話など、自身が興奮した、「生きている」と実感できる瞬間の話ばかりだった。単に「死の地帯」にひかれていたという面がかなりある。

 2003年にバグダッドの死体置き場で会ってからしばらく音沙汰がなかったが、一昨年、ついにアフガニスタンで地雷を踏みぬき、一命をとりとめたものの、下半身のほとんどを失った。ニューヨークタイムズの契約カメラマンだった彼は、その後リハビリをしながら、いまは義足でゆっくり歩きながら日常の会見写真などを撮る仕事についている。「退屈だあ」と言っている顔が目に浮かぶ。

 彼の悲運を聞いたときも、私は驚かなかった。知り合いが山で死んだのを知ったときと同じ感慨、「やはりそうなったか」という言葉だけが出てきた。彼には「大丈夫か」といったメッセージと金を送ったが、彼のしてきた偉業に、あえて、「戦場を伝える意義」といった大義名分をつける気にはなれないのだ。

 

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