自分が変わること

月刊「点字ジャーナル」連載コラム

信じる人にひかれて(その1)

2010年5月号掲載

毎日新聞ローマ支局長/藤原章生(当時)

 

 キリスト教の知人、ダニエレは2週間に一度のペースでうちに来る。バチカンを取材するため聖書を読んでいたときに知り合い、訪ねて来るようになった。彼の教科書的な話に私が問いをぶつけ、彼が「それはこの章に書いてあって」と聖書の言葉を指し示すというのがいつものパターンだ。イタリア人なので母国語より英語を話したがる。ペンキ屋の仕事の合間に訪ねて来るのは、英語の勉強もあるが、やはり、私にキリスト教徒になってもらいたいという思いがある。「キリスト、イスラム、仏教、どの宗教クラブにも自分は入らないと思う」と言っても、「わかっている。僕はただここに来るのが楽しいんだ」と答える。

 そんな様子を見ていた高校3年の長男が私に聞いた。「お父さん、クリスチャンになるの」。聖書を読んでいるだけだ、と答えると、「そう。ならいいけど、今からなるの、無理だと思うよ」と言う。「どうして」「うーん、どう言うのか、お父さんは50歳近いでしょ。年だし、マチュアー な(成熟した)プロフェッショナル(職業人)でしょ。難しいと思うよ」

 海外の学校ですごしてきた長男は日本語に英語が混じる。話はそこで途切れたが、図星に思えた。そして残念な気もした。やはり、今さら信仰で心を安らげるなんて無理なのかと。

 後日、真意を聞いたら、長男は少し遠慮気味にこう答えた。「生物のクラスに強いビリーバー(信仰者)の女の子がいるんだけど、彼女なんかダーウィニズム(進化論)を信じないし、恐竜がいた事も嘘と言うんだ。人にもよるけど、無理でしょ、今からそんなふうに思うの。僕だってなれないよ」。ましてや、自分より頭の固そうな父親が突然、信仰に走るなんて考えられない、ということだった。進化論の真偽の話ではない。要は、集団が信じる共同信仰には馴染めないだろうと、言いたかったのだ。

 札幌の学生時代、雪の中を幼女を連れた主婦が訪ねてきた。夜中にひとりで来ることもあった。聖書を読みませんかという話だった。私はあばら家の一軒家に住んでいた。「住んでいいですか」と大家に頼み月5000円で空き家に住まわせてもらっていた。

 部屋の炬燵でその女性や、彼女の友達とお茶を飲んだ。私は好きだったボブ・ディランのレコードアルバム「ストリート・リーガル」の曲、「イズ・ユア・ラブ・イン・ベイン?(あなたの愛は空しいものですか?)」をかけ、「これはクリスチャンの話だと思うんですが」と聞いてみた。そして英語の歌詞を訳して聞かせた。

 <私を愛してるのですか/それとも、好意の手を差し伸べているだけですか/あなたは、自分が語る半分位、私を必要としていますか/それともただ、罪の意識ですか/だから私の不平を聞かないのですか/あなたを信じていいのですか/それとも、あなたの愛は空しいものなのですか

 あなたは急ぎすぎて、私が孤独にあるかもしれないと気づかないのですか/私が暗闇にいるとき、どうして邪魔をするのですか/私の世界がわかりますか、私がどういう人間だか/それとも話さなくてはなりませんか/放っておいてくれませんか/それとも、あなたの愛は空しいものなのですか

 そう、山にもいたし、風の中にもいました/幸せの外にずっといました/王様たちと食事をし 羽をもらいました/でも、それほど心を打たれませんでした

 (中略)私の痛みがわかりますか/すべてをかける気がありますか/それとも、あなたの愛は空しいものなのですか>(藤原訳)

 炬燵で歌の意味を聞いたが、彼女たちは狡さ一つない透明な笑みを向けるだけで、何も答えなかった。何度目かの訪問を最後に雪のように消え、もう訪ねて来なかった。

 1980年当時、私がいた山岳部の真面目な3人が相次いで新興宗教に入った。同期ばかりだった。セミナーから戻ってくると、みな人が変わったようになった。彼らの下宿で明け方まで話し込み「山を続けよう」と説き伏せたが、彼らは涙を流しながら、「お前は自分のことしか考えていない」「もっとやることがあるはずだ」と私を非難し去っていった。彼らも、その仲間たちも私を誘おうとはしなかった。

 それから15年ほどがすぎた90年代末。アフリカで暮らす私の周りは、クリスチャンばかりだった。ルワンダの民族対立の根を探り、奥へ分け入った。そして最後にたどり着いた老人は、カトリックだった。別の女性にインタビューしたとき、たまたま彼が玄関の土間に現われた。彼はその家で下働きをしていた、小柄な老人の風貌に引きつけられ、話を聞かせてほしいと頼んだ。彼と対するうちに、独身の大人しい私の兄を思い出した。そのときの私が、すでに何十年も経ち老人となった兄と話している気分になり、妙に心が和んだ。そんな錯覚に陥ったのは何年も日本に帰っていなかったからだろうか。

 話を終えても老人と別れがたく、彼が暮らす土でできた穴倉のような小屋を見せてもらった。人がようやく入れる空間に身を置くと、なぜか心が洗われたような気がした。自分が中から解放されていくような感覚。

 「一人で淋しくないですか」。思わず言葉をぶつけると彼は、「いいえ」と言い「あの方がいますから」と私の頭の後ろの壁を指差した。振り返ると、そこに、手の平より小さな額に収まったキリストとマリアの像があった。

 大虐殺を生き延びた被差別側の老人。そんな意味づけが効いたのかも知れないが、その人が指差す行為と、その小さな額、繰り返し見つめられてきた額に心を動かされた。これは何だろう、と思った。単に心理的なものだろうかと。

 それを機に、私は少しずつ宗教的なものに引かれていった。=この項つづく

 

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