自分が変わること

月刊「点字ジャーナル」連載コラム

死を前にした感覚(その4)

2010年4月号掲載

毎日新聞ローマ支局長/藤原章生(当時)

 

 2009年11月、初めてベルリンに行った。ベルリンの壁崩壊から20年がたち、何か書いてくれという話が職場から入り、ローマから向かった。行く前のイメージとはずいぶん違う、とてもいい感じの町だった。人も親切でまじめだ。冗談話から入るというイタリアの習慣からすれば、気候も重なり、暗い印象があるが、近くで話してみるとみないい人ばかりだった。
 ドイツのことは勉強したことがないが、過去にいろいろなところで関わってきた。私は1986年の映画、「ベルリン 天使の詩」を学生から社会人になる間に何度も観ていた。だから、それと絡める記事を書いた。その際、まず本屋に入りベルリンが関わる小説を探した。「ブリキの太鼓」も映画は観ているが原作は読んでいない。そのとき、ついでにビクトル・E・フランクルの「夜と霧」の英語版「Man's Search for Meaning」(Washington Squre Press)を買った。この本はあまりに著名すぎて、あえて読んでこなかったが、すぐに吸い込まれた。
 冒頭近くで筆者は、なぜ自分はアウシュビッツで生き残ったのか、という問いを自分に向ける。やはり生き残った知人が、当時の彼について、実に淡々と現実を受け入れているふうに見えた、と振り返っているが、彼の中ではさまざまな葛藤、問いかけがあった。
 こんなにまでして、生きている意味があるのか。
 だが生きる意味、自分が生かされている意味を探し求めるのが人間だと、彼は結論づけた。
 本当に素晴らしい人々は皆死んだ。残った我々は悪人ではないが、彼らほど良くはなかった。生存率は28分の1。なぜ自分は生き残ったのかと、フランクルは自問する。そのとき、好奇心という言葉が浮かぶ。そう、好奇心があれば生き残れる。次に自分はどうなるのか、死に向かうとき、自分はどんな感情に襲われるのか。怖い、だが、どうなるのか、どうやって自分が死ぬのかを最後まで見届けたい、と同時に助かりたい、という好奇心。
 そして、なぜ自分はこんな目に遭うのか、その意味は何か。こんな迫害を受けてまで生きている意味があるのか。そう問いながら自分が生きる意味を最後まで探ろうとする好奇心。
 筆者のフランクルは若いころ、登山で死にかけている。彼はそのとき、自分が生き残った理由をもとに、死に向かうときの人の内面を考察していく。
 この本を読んだとき、私は自分が死にかけたことを思い出した。
 あの経験で自分は変わっただろうか。ただ、一つあるとすれば、あのあと、いつ死んでもいいと思えるようになった。もちろん死ぬのは怖いが、前ほどではなくなった。私は子供のころから臆病だが、少しは強くなった気がする。でも、それだけだ。

 それにしても、なぜ、あの時、「お母さん」と言ってしまったのか、これはやはり少し恥ずかしい。
 そう思っていたら、まど・みちおさんの詩にこんなのがあると知った。

 <生きものが 立っているとき/その頭は きっと/宇宙の果てをゆびさしています(略)めいめいに はなればなれに/宇宙のはての ほうぼうを…/けれども そのときにも/足だけは/みんな 地球の おなじ中心を/ゆびさしています/おかあさん…/と 声かぎり よんで(後略)>(「頭と足」)

 この詩に感銘を受けた私は、まどさんにインタビューした際、聞いてみた。
 私は自分の死にかけた体験を手短に語り、最後に「お母さん」と言ってしまった。そして、すぐに恥ずかしくなった、と伝えた。
 すると、まどさんは表情を緩め、涙を浮かべた目でこちらを見つめ、
 「ごく自然に出ることであって、すばらしいことですね。それを覚えているということは。そうでしょうね。すごくいい話で、恥ずかしいということもすばらしくて本当にいい話ですね、人間ってそういうもんだと思います。ありがとうございます。すごくうれしいです。人間ってみんな同じだなと思うのは、本当、うれしいですね」
 私はそれまで、まどさんと仲々言葉がかみ合わなかった。お年のため、少し耳が遠い上、最初の約束場所のデパート内の喫茶店が、中年女性たちの声で共鳴しており、何だか落ち着かなかった。私たちは場所を変えた。新百合ケ丘の高層住宅が建ち並ぶ谷底のような空間にベンチを見つけ、そこで話を続けた。そこは図書館の前だった。
 しばらくして、言葉がかみ合わないのは周りというより、私のせいだとわかった。色々読んで、勉強した上でお会いした。質問も用意していたが、所詮は人の受け売り、自分の言葉ではなかった。
 インタビューの途中で、もう自分のことを話そうと思った。そうすれば、まどさんに直接響くと思ったからだ。そして、その話をしたら、まどさんは涙を浮かべて喜んでくれた。
 みな同じ、お母さんと叫びながら地球の中心へ落ちて行く。

 でも、こうした死に触れる経験をしたあと、人は変わるだろうか。確かに前ほど怖がらなくなった所はあるが、人格は変わらない。その前後を知っている妻に聞いてみても「変わんないんじゃない。同じじゃない」と言われた。

 そう。簡単には変わらないのだ。

 ベルリンに行く前、私は映画「ベルリン 天使の詩」をビデオで見た。チェロを基調とした音は良かったが、映像、物語はすでに知っていることもあり、それに大画面ではないため、86年当時、25歳の年に見た感動はなかった。
 あの映画にひかれ何度も見たのは、87年から88年のころだ。黒いコートを着た天使、という設定が面白かったし、現生に降りて来ると、天使の見ていた映像がそれまでの白黒から一瞬にしてカラーに変わるという瞬間も良かった。
 そして、自殺や事故で人が死に至るまで、傍に寄り添って見ている天使の場面も、印象深い。
 ベルリンに行ったのはたまたまだった。でも、ベルリンに行ったことで、冷戦末期の80年代後半を思い出し、「夜と霧」に出会ったことで同じ時代に死にかけた屋久島での経験が蘇った。
 それをつぶさに書き起こしたいという衝動にかられた。
 死に至る経験でわかったのは、人により千差万別だが、極度な恐怖の状況に追い込まれても、人の頭は完全にはパニックにはならず、かなり冷静に生き残る選択肢を計算するということだ。そして、もう駄目だとは思いつつも、最後まで諦めの判断がつかないまま、生き残る可能性を探り続ける。
 だから死の2カ月前に父が病院で「これも天命だよ」と私に言った言葉にはどこか詩的なニュアンスがある気がした。人の感情が入り込んでいる。でも、もっと動物的に、あるいは本能として、人間は最後まで生き残ろうとする。私はそう思う。

=この項、終わり