自分が変わること

月刊「点字ジャーナル」連載コラム

ささのは さらさら

2011年7月号掲載

毎日新聞ローマ支局長/藤原章生(当時)


 この5月、リビアでちょっと困ったことがあった。東部にあるベンガジという町で知り合い、しばらくともに行動した30歳前後の男たちに、歌でも詩でもいいから日本語のフレーズをおしえてほしいと頼まれたのだ。
 同じことが過去にもあった。南米コロンビアでともに旅をした3人の男たちに、日本語の歌をこわれた。あちこちと危ないところを回ったあとだったからかもしれない。40代前半の男たちは「いつか日本の歌を口ずさみ、このときをふり返りたい」と言った。
 私の限られた経験にすぎないが、こういうことを言いだすのは大体が男だ。歌を歌ってと頼む女性はいても、それをローマ字で紙に書きだし、自分のものにしようという例はあまりない。よく言われるように、思い出については男の方がロマンチストなのかもしれない。

 7月だったので、私は小学校唱歌の「たなばたさま」をおしえた。
 <ささの は、さらさら のきばに ゆれる おほしさま きらきら きんぎんすなご
 という慣れ親しんだ曲だ。この曲を聞くと、私は東京、上板橋の住宅街や商店街を思い出す。物ごころついた昭和40年ころ、七夕の季節になると、それぞれの家では軒下や玄関に竹を刺し、短冊を吊るしていた。この曲を聞くたびに、高いところにある笹の枝と、ピンク色の短冊、その奥にある夕空が浮かぶ。
 そんな話をしながら身ぶり手ぶり、絵をまじえて教えると、コロンビアの男たちはいたく気に入り、彼らのたまり場に人が訪ねてくるたびに合唱を披露した。
 悪くない選曲だと思うのは、「さらさら」「きらきら」という音がスペイン語圏の彼らにも、リアルに通じたからだ。そして、「きんぎん、すなーご」だとか、二番の「ごーしきの たーんざく」などGの音が彼らの耳にも心地よくひびくようだった。先日もその一人から、いまもよく歌うし、友人の女性の結婚式で披露したとの便りが届いた。
 そんなこともあり、リビアの男たちにもこの曲を教えてみた。するとみな最初の旋律が気に入り、翌日になっても思いだしては歌っていた。しかし、彼らは実は、もう少し勇ましいスローガンのような言葉を求めていた。
 英語を話すタハという27歳の男が車を運転しながら、「ささのはもいいけど、闘いとか、解放の歌とか、英語なら、We shall over come みたいな曲はないの」と注文してきた。
 1969年以来、42年間も独裁を続けてきたカダフィ大佐と闘う彼らとしては、日本語でも自分たちを勇気づけるようなフレーズがほしいのだ。銃撃戦の中で彼らが仕切りに叫ぶのは「アッラー、アクバル(神は偉大なり)」だ。では、日本人が死線をさまようときには何と叫ぶだろう。「天皇陛下ばんざい」とはもはやだれも言わないだろうし、「おかあさーん」というのもちょっと気恥ずかしい。
 車からぼんやり砂漠をみながら私は考えこんだ。バックにはアラビア語のラップや演歌風の曲が流れ、彼らは「僕はここから離れない、痛みが消えるまで」といったフレーズを口ずさんでいる。最近はその曲を携帯電話の呼び出し音にするのもはやっている。
 歌のちょっとしたフレーズがどうしても出てこない。戦前なら「欲しがりません、勝つまでは」「守も攻めるもクロガネの」「ここはお国の何百里」といった言葉があったのだが、私の時代とはまるっきり違う。
 「僕らはみんな生きている」「手のひらを太陽に」「上を向いて歩こう」と言っても、だから何なんだと言われそうだ。
 「砦の上に我らが世界を」という全共闘のスローガンがあったが、どうも翻訳の匂いがして日本人になじまない。吉田拓郎はどうだろう。「あしたに向かって走れ」「わたしはきょうまで生きてきました」「ああー、せいしゅんはー、もえるー、かげろうかー」
 元気が出る感じはするが、ちょっと違う。闘争と言えば、岡林信康でどうだろう。「私たちの望むものは」「友よー、夜明け前のー、闇の中でー」「きょうのー、仕事はつらかったー、あとは焼酎を、あおるだけ」「わたしーのすーきいなー、みつるさんがー」
 なんだかうらさびしい歌が多いなあ、と考えているとタハは、「日本の解放運動のときの歌でいいんだけどさあ」と言い募る。
 「でも、俺、解放運動なんか知らないよ。特に俺の世代にはないね」と答えると、タハは目を丸くして、「え? ないの。戦争終わってからずっと?」「まあ一部ではあったけど、どうも違うんだよな。いまのリビアの闘いとは」「へーえ、そうなんだ。じゃあ、独裁はなかったのか」「ないねえ」
 タハはちょっと鼻白んだようだった。
 「そうか……、じゃあやっぱりあれでいいや、ささのはで。神様の歌みたいだし、詩が哲学的だよな」、そういうと、覚えたてのフレーズをうたいはじめた。後ろに乗っていた2人もうれしそうにゆったりと歌いだす。
 「さーさーのはー、さーらさらー、のーきーばーに ゆーれるー」
 サハラを走る車の中に男たちに太い声が響き渡った。

 

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