自分が変わること

月刊「点字ジャーナル」連載コラム

よくわからない仙人とお化け(その4)

2011年11月号掲載

毎日新聞ローマ支局長/藤原章生(当時)

 

 孫俊清さんの言う通り、あの土方焼けのオヤジたちが本当に仙人なら、なぜあのとき私の前に現れたのか。天川村の座敷には私のほかに3人いたのに、どうして、私にだけ見えたのか。何か理由があるはずだ。
 孫さんも「仙人は普段は姿を現さないけど、相手を選んで、自分を見せたり見せなかったりする。多分、そのときはあなたに見せたかったんでしょ」と言う。
 思いつくのは、「仙人」と呼ばれる山口先生にインタビューしにきた私の前に現れ、「俺たちが本物だ」という彼らの自己主張だ。録音の中で彼らは、山口先生が「神さん」「社長」と言ったり、大きな力について語るときに激しく笑う。孫さんはそれについて、「自分たちのことを言われて嬉しくて笑っているんだ」と説明するが、自己主張だとしたらその説ともうまくかみ合う。ぶらっと人間たちの会話を聞きにきて、「あ、俺のこと話してる」とはしゃぐのは、ずいぶん軽い感じだが、その軽さ、ひょうきんさもフォスコ・マライーニの本の仙人の説明によくなじむ。
 仙人とは「人間の生の法則を理解した者、穏やかで善良な魔術師で、単純な、日常的な物事に喜び、矛盾することを平気で思ったり、口に出す子どものよう」で、「馬鹿者のようにおしゃべりしはじめ、しまいには聴いている者が賢くなる」ような存在だ。
 好感のもてるキャラクターで、特に後半がいい。冗談で周りを笑わせ、気安く軽そうだが、みなが大笑いして別れたあとに深い印象を残し、聴いている者にいつの間に何かを考えさせている。変におそれられ、弟子たちに取り囲まれる「先生」とは逆で、重々しくも神々しくもない。「アメニモマケズ」ではないが、私もできればそんな人間になりたいものだ。

 クイズ「本物は誰だ」ではないが、「本物は俺だ」と言いたくて、姿を見せたなら、あれから5年がすぎたいま、ようやく彼らのことを書いているわけだから、それで満足なのかもしれないが、そんなにせこい話だろうか。
 5月にリビアに行ったとき、通訳をしてくれたベンガジ出身で米国帰りのタハという青年に仙人の話をしたら、こう返ってきた。「俺、それ、ぜったい本物だと思う。アメリカの森でもよく似た話を聞いたことがある。リビアやエジプトでも。でもそうい場合、彼らは必ずメッセージを残していくはずだ」。しかし、笑い声以外の部分は、登場する際の「○○○ナイセイザデッショ」くらいしか聞き取れないので、これが伝言かどうかは謎のままだ。
 言葉というより、彼らは私の前に姿を見せることで何かを伝えたかったのではないだろうか。例えば孫さんに彼らのことを伝えるとか。だが、彼らは孫さんの問いかけに、今回応えなかったため、どうもそうではないらしい。
 では、この先会う誰かと関係してくるのか。だとすると、機会があればこの話を人に伝えていった方がいいのだろう。あの録音の言葉を聞き取れる人が現れるかもしれない。
 そう言えば、2003年9月にイラクに行ったとき、サダム・フセインに14年間も仕えた予言者のジャマールという、当時29歳の男に会った。いろいろと占いのような話をしたり、私の過去のことを言い当てたあと、ジャマールはそのころ逃走していたフセインの居場所を私に語った。数カ月のち、実際にフセインが逮捕されると、まさに彼の言うとおりだったため、私は驚いた。
 年の割に老けこんで見えるジャマールは別れ際に私にこう言った。「俺はなあ、お前にまた会うことになるよ」「え? どこで」「お前の国で」「いつ?」「かなり近いうちに」
 当時、私はメキシコで暮らしており、すぐに日本に帰る予定はなかった。そんな私の疑問をさとっとのか、ジャマールはこうつけ加えた。
 「俺はお前に必ず会う。数年以内に会う。嘘だと思っているだろ。でも幸か不幸か、きょう、俺はお前とつながった。だから、俺にしたって会わざるを得ないということだ。わかるか? でも一応言っておくけど、俺が次にお前に会うときは、今の俺じゃない、別の形で会うことになる」
 もしかしたら、あの仙人がジャマールだったのでは? とも思えるが、果たしてどうか。
 一連の経験で私も少し変わった。孫さんに習って毎日、気功の体操をするようになった。それまで15年ほど空手をやっていたが、ちょっとしたきっかけでイタリア北部にいる師匠と折り合いが悪くなり、それを機にすぱっとやめてしまった。「空手で使う気と、養生気功の気は種類が違う。同じ水でも氷とお湯のようなもの。氷とお湯は一緒にはいられないよ」と孫さんに言われたのも影響したのかもしれない。
 そして2000年に南アフリカで出会って以来、私をいろいろと不思議な世界に誘い、仙人に会わせるために天川村に連れて行ってくれた書道の先生も、孫さんの登場の直後からなぜか連絡してこなくなった。
 スペイン、イタリアを周りながら治療を続ける孫さんは「何年か気功を続けていればわかってくるから。そしたら、今度はそれを人に教えたらいいよ」と言うので、とりあえずは、日々40分の体操を実行している。
 そうすれば、いつか仙人の謎が解ける日が来るかもしれない。この連載が続いている間ならいいのだが。

(この項おわり)

 

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