自分が変わること

月刊「点字ジャーナル」連載コラム

信じる人にひかれて(その2)

2010年6月号掲載

毎日新聞ローマ支局長/藤原章生(当時)

 

 「わっ、何、これ……。お化け」ーー。その写真を妻に見せると、彼女の反応ははっきりしていた。「お化け?」「だって緑色じゃない」「緑色だからって、お化け?」「でも、絶対、これは何か変よ。普通じゃないもの」

 それは2000年の5月のことだった。当時、私は家族とともに南アフリカの都市ヨハネスブルクの郊外に暮らしていた。まだデジタルカメラが広まる前で、私はニコン一眼レフカメラを使っていた。たまったフィルムを何本か、ショッピングモールの店で焼いてもらい、家に持ち帰り開いたら、記念撮影をした3枚の写真のうち最初の1枚に、サインカーブが幾重にも波打つような緑白色の光が映っていた。

 それは1週間ほど前に撮ったものだ。ヨハネスブルクで個展を開いた大阪の書道家、小林芙蓉さんとその弟子の女性、そして私の妻と子供3人を並べた記念撮影だ。一番右に法被姿の小林さん、その左に直立して笑う巫女さんをしていたという美しい着物女性が立ち、その左に私の妻、そして、小学校低学年以下の子供たちがばらっと散らばっていた。展覧会場のため、後方には龍を描いた書画作品が壁にかけられ、人々の右側は全面、窓ガラスになっている。

 問題の一枚では、小林さんが子供たちに声をかけたのか、「あっちを見て」と言うように左手の人差し指で撮影者の私の方を指している。彼女の胸のあたりは、線のように細い白い光が振幅10㌢ほど、波長が極めて細かな波を小刻みに立て、異様に明るい。そして、そこから発したのか、彼女からカメラの方に向かって波は次第に大きくなり、部屋を突き抜ける振幅2㍍ほどの大きな軌跡となっている。実際、その緑の光はレンガ色の床のタイルにぶち当たり、光の何%かは床にのめり込み穴のような跡を残している。4つほどできた黒い穴と穴の間隔は、定規で測ったほど均等だ。

 この光を最初に見たとき、私も、これはフラッシュや光漏れではないと直感した。ただ、何だかわからなかった。何かと怖がりの妻は、それをすぐに「お化け」と言った。しかし、私はお化けの存在など信じたことがないのでうなづかず、写真をスキャナーにかけコンピューターで解析してみた

 画面を拡大していくと、光の具合がよくわかった。まず、光の強さ、エネルギーが異常に強い。フラッシュなど比べ物にならない。画面を暗くしていくと、最初に光から遠くにいる子供の姿が消え、次に妻、そして弟子の女性、最後に小林さんが消えた。ところが人物の姿が消えたあとも光はその形をより鮮明にさせ、右側の窓の外の明りが消えても、その光は七色のきれいなカーブとして残った。特に、より強い小幅の波の光は画面をかなり暗くしても残っていた。

 こうしてみると、この光はフラッシュでも窓からの光でもない。そのきれいな波の打ち方、そして、他の物はすべてが正確に写っていることを考えると、カメラに光が差し込んだとも考えにくい。36枚フィルムの他の写真は全て普通に映っている。

 その光は、60分の1秒ほどのシャッタースピードの時間、その場にカメラとは関係なく独自に発生した正体不明のもの、と私は考えてみた。そして、どちらから発生したか、あるいは出発点があるのかどうかも不明だが、光の波は明らかに、小林さんと撮影者の私の間を往復していた。

 その後、カメラマンらプロたちに写真を見せたが、「何だろうね。初めて見た」「何かのアクシデントだろう。説明はできないけど」という反応で、明確な答えはなかった。

 私はすぐさま写真を大阪の小林さんに送った。すると2週間ほどして返事が届いた。「よく映るようです、ああいう光が。でもあれほど強いのは初めてです」と触れていた。

 こういう文言に騙されてはいけない、と私は身構えた。こんな光を撮ったのは初めてだし、昔見た心霊写真集にもこういうものはなかった。本来なら驚くべきところを、「よく映るんです」とあっさり言ってのけるのが、自然ではない。そこには彼女が意識しているにせよ、そうでないにせよ何か意図が隠されていると思った。

 その前年、私は南アフリカプレトリアで書を披露した小林さんにたまたま出会った。そして翌年、ヨハネスブルクで再会するまでの2度の手紙のやりとりで、彼女はさりげなくだが、神秘的な世界に触れていた。私はそういう世界に大いに抵抗があった。

 英語教師の英国系南ア人、ジャッキー・シネクに見せると、これはどこで?、どうやって? と興味を示した。説明すると、ジャッキーは慎重に言葉を選び、私にこう説いた。

 「その人はとても素晴らしい人で、善意でいろいろなことをしているのだと思う。でも、その人のそういう力や才能が、別の何かに動かされているとしたら? その正体はすぐにはわからない。だから聖書は、そういうことをしてはいけない、霊的なものを操ってはいけないと言っている」

 そして私に幾つかの聖書の文言を見せた。端的に言えば、こうだ。霊的なものを操れるのはイエスだけ。他の者たちは手を出してはならない。異教徒の呪術に惑わされてはならない。彼らはサタンに操られているからだ。

 他のクリスチャンの知人たちも同じことを言った。私は少し怖くなり、それ以来、小林さんに連絡しなくなった。それから3年が過ぎた2003年の夏、私は突如、小林さんに電話を入れた。また、おかしな写真が撮れたのだ。それは南米の中心、ボリビアの低地、サンタクルスでのことだった。今度はオリンパスの小型デジタルカメラで撮った4枚続きの写真だった。=この項つづく

 

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