自分が変わること

月刊「点字ジャーナル」連載コラム

よくわからない仙人とお化け(その1)

2011年8月号掲載

毎日新聞ローマ支局長/藤原章生(当時)

 

 夏なので、少しお化けの話を。私は一度だけ、お化けを見たことがある。それは白い修験者の恰好をした3人の中年で、はっきりと現れた。錯覚だろうと、普通ならすぐに忘れるところだが、そのときは証拠が残ったので、いまのいままで尾を引いている。
 いまからちょうど5年前、2006年の7月18日のことだった。私は前にこの欄で紹介した女性、書道の先生に「仙人に会いに行きませんか」と誘われ、奈良県天川村に行った。その仙人は、書道の先生が原因不明の心臓病で苦しんでいるときに「パワー」を入れてくれた修験者で、それまでも何度か「会ってみてください」と誘われていたのだ。
 せっかくだから、面白ものの記事に仕立てようと思った私は、こうしたことに全く関心のない京都出身の友人を伴い、村に入った。まずは天河(てんかわ)神社で祝詞(のりと)を上げてもらった。弁財天が祀られる祠の下で祝詞を気持ちよく聞いているとき、足元に紫色っぽい粒子状のものが流れていくのを目にしたが、それは単なる錯覚か暗示だろうと思った。
 神社を出て、次に行ったのが、仙人が暮らす洞川(どろかわ)という地区にある修験道場だった。大きな屋敷に通され、仙人を紹介された。長く白い髭を生やした小柄でやせた老人がそこにいた。「あるときは小さくなったり、さっと消えたり、急に現れたり。とにかくすごい人なんですよ」と書道の先生はそれまでさんざん前宣伝をしていたが、私の目には謙虚な好好爺にしか見えなかった。
 奥さんと弟子の女性がお茶とお菓子を持ってきて、挨拶が終わったところでインタビューが始まった。私はバッグからICレコーダーを取りだし、それを座布団のわきに置いて録音を始めた。
 山口神直(しんちょく)さんという昭和4年生まれの「仙人」は、私が特に質問をしなくても、自分の生い立ちを語り始めた。書道の先生はすっかり舞い上がり、仕切りに相槌と笑いで答え、私と友人は少し緊張しながら、彼の話に耳を傾けていた。山口さんは予科練のときに終戦を迎え、帰郷する列車の窓から空を見たときに啓示を受け、秩父瑞牆山を目指したという。その話に差し掛かったとき、後ろの障子が開いて、男たちが部屋に入ってきた。
 私は慌てた。どうしてだか、録音をとがめられると思ったのだ。すかさず、ICレコーダーを座布団の下にわずかに押しこんだ。男たちは挨拶するでもなく、「仙人」のうしろを通り、書道の先生の奥の方にどどっという感じで腰を下ろした。
 ちゃぶ台の一辺に私と友人、私から見て左の一辺、上座に「仙人」がいて、私の正面に書道の先生がいた。奥さん方は茶を入れると障子を閉めて部屋を出て行ったので、そこにいたのは計4人である。そこに突然入ってきた3人の男たちがなんの挨拶もしないので、私はちょっと不快になった。前にいた一人を見ると、笑みはたたえているが、うかがうような顔でこちらを見ている。
 彼らはみな「土方焼け」というのか、いい色に日焼けしていた。20代のころ私が鹿児島の金鉱山で働いていたときの地元の親方によく似ていると思った。豪放磊落という言葉が似合う、坊主頭の男らしい男だった。
 仙人は気にも留めず話を続けるので、私もまあいいかと、彼の話に耳を傾けた。戦後、どうやって修行を積み、のちに笹川良一氏や政治家たちが意見を聞くため、彼のもとにやってきたという興味深い話が続いた。
 1時間半ほとで話が終わったとき、彼らの姿はそこにはなく、私はすっかり男たちのことを忘れていた。
 数日後、東京に戻り、記事にするため、録音を聞いていると、10分ほどがすぎたとき、「クイーン」とやや低音の電子音のような音が入り、どどどどという人の足音が聞こえてきた。続いて、ガサガサというマイクをこするような音が録音されていた。私が座布団にレコーダーを隠したときの音だ。
 それを聞いて私は、男たちを思い出した。録音には、計10カ所ほど、笑い袋のような笑い声が入っていた。仙人が真面目な話をしているのに、「ファッファッファッファッー」とか「ウッフフッフ」「イッヒッヒッヒー」という下卑た笑い声が入り、エコーがかかっている。
 これは普通じゃない。そう覚った私はすぐに書道の先生に電話した。「あのときの男たちは何ですか?」「男たちって?」「インタビューのとき、2、3人入ってきたでしょ、部屋に」「まさか。誰も来ませんよ。先生が話しているときに、そんな、他に人が入るもんですか」
 友人にも電話した。「ずっと僕ら4人だけでしたよ。なんですか、それ」
 仕方なく仙人の山口さんにも電話を入れた。「ああ、あのときですか。男の笑い声ですか。たぶん、それは、ここで、死んだ修験者さんたちですよ。よくいたずらするんです。私が電気を消すと点けたり。点けると消したり。追いかけっこ、やってますわ」
 幽霊ということか。だとすると、私はずいぶんはっきりとその姿を目にしたことになる。
 さすが「仙人」、お化けを辺りに飼っているのか、とそのときはそれで収まった。だが、最近になって新たなことがわかってきた。実は彼らはお化けではなく、別のものだという人が現れたのだ。

(この項つづく)

 

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