自分が変わること

月刊「点字ジャーナル」連載コラム

アフリカ本を読む 田中真知さんの本大当たり

2023年10月号掲載

毎日新聞契約記者/藤原章生

 

 この夏は前よりも時間ができたので、仕事以外の本を結構読んだ。コロナで入院したちょうどその日、2021年5月1日に60歳になり、毎日新聞社を定年退職したのだが、年金がもらえるまで、パートのような形で働ける仕組みになっている。社内ではそれをキャリアスタッフと呼んでいるが、なんのことかわからないので、私は「契約記者」と名乗っている。現役時代の3分の1の給料で、9時から5時まで働くという奉仕的な条件だが、現役時代のように必死に働かなくてもいい、ほどほどでいいという暗黙の了解がある。

 それでも、同僚たちの口ぶり、日々の紙面には、できるだけ働いてほしいという圧が潜んでいる。 契約記者になる際、上役と相談し条件をつけてもらった。一つは、自費で海外取材旅行に行っても構わない。もう一つは、私の欠員は社内で埋めるというものだ。2022年3月から7月の南米旅行や、この11月からスペイン経由でアフリカ大陸に行くのも、その条件あってのことだ。

 長い特派員時代、あちこち回り、何か面白いものはないかと探っていた。そんな貪欲な目で旅して回るのにうんざりしていた。いま考えている理想の旅行は、ひたすら受け身のまま、透明人間のように薄い存在として周囲を眺めているといったものだ。そこに人間関係ができれば、それに越したことはない。

 前置きが長くなったが、契約記者なのに、今年は『毎日新聞』にずっと記事を書いてきたため、連載が終わった夏に1カ月ほど休んで読書に専念した。いろいろと読み漁ったが結局、眼の前の目標であるアフリカものへと流れていった。最初は、南アフリカ滞在時に買い溜めておいた英文の本やレリスの『幻のアフリカ』など分厚い日記本を読み進めていたが、最近の本に興味が向かった。私がアフリカ不在の20年間に、日本語ではどんな本が出ているのかと、図書館で検索し新しい順に読み始めた。

 まず学者が全体像を網羅する「アフリカ学」的なものは実体験が描かれないため惹かれない。

 次は、アフリカ経済の勃興やビジネスチャンスをうたうものだが、これは統計表と同じで一度事実を知ったらそれで十分というものだ。 アフリカのどこかの国でビジネスをやって成功したといった本も意外に多い。私が暮らした90年代も、アフリカ各地でいろいろなビジネスをする人はいたが、それを本にしようという意思も需要もさほどなかった。結構、奥深く入り込んでいる鉱山投資家やブローカーもいたが、いま、本として出ているのはフェアトレードSDGsがキーワードのようで、文章の問題なのか、まだ引き込まれる作品に出会えていない。

 残るは結局、いい感性を備えた人の体験記となる。中でも圧巻だったのは作家、田中真知さんの『たまたまザイール、またコンゴ』(偕成社)という本だ。

 これは当時のザイール、現在のコンゴ民主共和国を流れる大河、コンゴ川を1991年と2012年の二度にわたって下る記録だ。中でも圧巻なのは91年の方で、欧州しか行ったことのない若い妻を無理に連れ出し、コンゴ人がすし詰めの定期船に乗り込む。

 チケットは特等から三等まであるが、著者はお金をけちって二等を買う。キャビンに行ってみると、天井の低い三畳ほどの部屋には窓も電球もない。おまけに、先客が5人ほどいて大量の荷物を詰め込んでいた。

 「ベッドにはラジオ、扇風機、椅子、電熱器などが散乱し、床にはキャッサバや豆の入った袋で足の踏み場もない。わずかな隙間で女が七輪で煮炊きしている。下のベッドにはおやじと子供が何人か寝ていて、上のベッドでは若い娘が聖書を大声で朗読している」

 呆然と立っていると、寝ていたおやじが起きてきて、二人のチケットを見ると、にっこりして、「まあ入れ」と言う。 人のキャビンを占領していて「まあ入れ」というおやじは、1カ月かけて上流と下流を往復しキャッサバなどを売って生活している。

 「ふだんはどこに住んでいるのか。『ここだよ』おやじはこともなげにいった。『このキャビンが私の家みたいなものだ。もう五年になる』」彼らが乗った定期船が「浮かぶ村」と呼ばれるのは、このおやじのように船に住み着いている人がかなりの数いるためだ。 著者は仕方なく一等のドイツ人の部屋に荷物を置かせてもらうが、一等が快適かと思うとドイツ人は「そうでもないんだ」と言う。エンジンルームの真上でうるさい上、熱気が立ち上り蒸し風呂のよう。著者はそこにもいられず、船内をうろうろして一人旅のカナダ人の老人から特等の話を聞く。そこはエアコンつきだと言うが、壊れている上、窓がまったく開かず、熱くて部屋にはいられないそうだ。

 「いやはや、なんと特等でさえ安住の地ではないのだ。それでも、あとで聞いたところによると、ザイール人の間では、特等と一等は『ヨーロッパ』、二等は『中国』、三等は『ザイール』と呼びならわされているのだという」(一部略)。

 書き方のうまさもあるが、実際に体験した者にしかわからない実感が随所に出てくる。私はこうした文章が好きなのだ。小説だって、著者が体験していないことはすぐにわかる。すると途端にしらけてしまうのだ。あと、受けを狙うようなあざとさ、薄い経験なのに大風呂敷を広げているようなものもだめだ。 アフリカ本も何冊も読んでいけば、田中真知さんのコンゴ本のような大当たりにときに出会える。

 

●近著

『差別の教室』(2023年5月17日発売、税込1,100円、集英社新書)

 

((((ここに脚注を書き大当たり大当たり))