自分が変わること

月刊「点字ジャーナル」連載コラム

女性ゲリラとの出会い(その2)

2009年12月号掲載

毎日新聞ローマ支局長/藤原章生(当時)

 

 20年は長いのか短いのか。今、この原稿を書いているベルリンでは、ちょうど壁崩壊20年の式典をやっている。自分の年齢もあるのだろうが、ずいぶん前のようでいて、実はつい昨日のことのように思える。

 冷戦末期、核戦争が起きるかも知れないという、半ば絵空事、半ば現実のような不安がかすかにあったものの、その重しがあったからこそ、日々の生活が今よりも生き生きとしていたように思う。ベルリンにも、そんな感覚を抱く人が意外に多かった。

 私がエルサルバドルの町を再び訪れたのも、ほぼ20年後の2005年のことだった。首都からバスで町外れの停留所に着いた。坂の上から、かつて何度も往復した通りを見下ろすと、そこは、晴れているのに、記憶よりずいぶん暗かった。

 どうしてだろうと一瞬思ったが、案の定とも思った。古くなったスライド写真のように、忘れがたい記憶は脱色し白茶けていくのかもしれない。幼いころの記憶もそうだ。家の前で、母親のエプロンの中に出入りして遊んだときの光は、真っ白に近いほど明るい。

 「どこに行くんだい」。坂の上にいると、男が声をかけてきた。悪そうではない。知り合いを探しに来た、というと、男は私についてきた。「男、女かい?、名前は?」。元女性ゲリラだ、とは言わず、名前だけ言うと、30代半ばの男は、「難しいかもな」と、わかったふうな顔をした。

 彼女が働いていたホテルは火事に遭ったらしく、レンガの館は廃墟になっていた。露店に座り、2人でコーラを飲んだ。私が黙っていると、男は何を勘違いしたのか一人で話し始めた。「女なんて信用できない。良いことだけ言って消えちまうんだ。ろくなもんじゃない」。そして自分にもこんなことがあった、あんなことがあったと言いながら、「いつ頃の話だ?」と聞いてきた。「1986年の夏だ」と言うと、虚をつかれたのか、黙った。

 もういい。何しに来たんだろうと、再び坂を上った。いないのを確かめに来ただけだ、仮にいたとして、どうしようというのでもない。

 停留所に着く前、辺りの様子で思い出した。彼女が世話になっていた一軒家がこの辺りにあった。それは、私が歩を止めたすぐ目の前だった。

 当時40代の夫婦の下に20歳から3歳くらいまでの子供が6人ほどいた。前庭で週に一度、七面鳥と野菜の酢漬けをパンに挟んで売っていた。貧しいその家に、あのとき、私は何日か泊めてもらった。

 前庭の奥、かまどの前に女主人の後ろ姿が見える。入口に立つと、先ほどの男がさっと前庭に入り、彼女に声をかけた。女性がこちらを見た。インディオのたくましさに、かすかにスペイン系の入った顔は、当時のままだった。もう60代だろう。老けてはいるが、面影はそのままだ。ハンモックに寝そべっていた太った主人の姿はない。

 男は彼女に近寄り、私を指した。

 「あんた、あの男を覚えてるかい?」

 傍に来た私を見上げると、女性の目に光が宿り、感慨深げに、「コーモ、ノー(もちろん)」と答え、しがみついてきた。かまどの脇の水場で、当時子供だった娘が赤ん坊を背負い、手で洗濯をしていた。

 20年が過ぎ、家は、少しずつ少しずつ貧しくなったようだ。

 しばらく話をした。主人は何年か前に亡くなり、子供たちの多くはよその町に出て行ったという。

 私が探していた元ゲリラの女性は、あれから10年余り、そこで静かに暮らしていた。だが、娘2人が10代の半ばを過ぎたころ、突然、姿を消したという。借金を抱えていたらしいが、真相はわからない。娘のどちらかに、ちょっかいを出す男もいたらしい。

 「ある朝、起きたら、いなくなっててね。私はあの子たちを赤ん坊のころから面倒みてきたから、娘のように思っていた。ずいぶん探した。ある町にいると言われ、訪ねたこともあるし、人をやって探してもらったこともあった。でも見つからなかった」

 意外なことがわかった。女主人によれば、彼女はもともとエルサルバドル人ではなく、隣のグアテマラ人だった。

 グアテマラの元ゲリラだとしたら、内戦が終わり自国に帰る機会をうかがっていたのかもしれない。グアテマラ人だと言わなかったのは、おそらく隣国で静かに暮らす自衛だったのだろう。

 私はしばらく黙りこんでいた。女主人が何度か溜息をついた。「もし、見つかったら、絶対に連絡しておくれ」。そう言われても、探す手立てはなかった。

 帰り際、ドル紙幣を手渡すと、彼女は、「ああ、神よ」と声を上げ、涙ぐんだ。そして紙幣を大事そうに両手にはさみエプロンのポケットに入れた。内戦後、エルサルバドルは米軍の拠点となり、通貨は米ドルに代わった。彼女が紙幣を手にすることなど滅多になかったのだろう。

 町を初めて訪れたのは、ジャーナリストになるなど考えもしないころだった。私は日本に帰りエンジニアとして就職し、2年後、急に思い立って新聞記者になった。宙ぶらりんの状態のほんの束の間、元ゲリラ女性の世話になり、その町にいた。

 それを原稿にするとか、記憶にとどめるといったことは考えず、ただ日々、目の前で起きることを眺めていた。貧しさとか、暮らしといったことも考えなかった。そこから何かをつかみ取ろうという欲など何一つなかったから、町は輝いていたのかもしれない。

 取材者が何かを得る分、何かを失うとすれば、きっとそういうことなのだ。

 

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