自分が変わること

月刊「点字ジャーナル」連載コラム

信じる人にひかれて(その8)

                    2010年12月号掲載

                    毎日新聞ローマ支局長/藤原章生(当時)
 

 フロリダの田舎町で、私はイラクで目にした惨事をジムに話した。夕日が当たり、芝生をオレンジに染めていた。砂塵まみれのイラクとはまったく違う理想郷のような風景だった。でも考えてみたら、全盲のジムには、オレンジの光を見ることができないのだ。
 文章で伝わらないことが、短い会話で通じるはずがない。米軍の空爆で6人の子を亡くした母親が暗がりから出てきたときの空気、そのときの私の気分をどうしたら伝えられるのか。
 以前、新聞社の宴席で聞いた言葉をよく思い出す。中東や欧米で特派員をつとめた人が途上国へ向かう記者へのはなむけとしてこう言った。「特派員として出るなら第三世界がいい。紛争地や戦場の取材がどれだけ大変か、経験しなければ絶対にわからないから」
 言葉はじかに響いた。そして、私が見たものを彼も見たと瞬時にわかった。でも、本当に体験しなければわからないのか。極論を言えば、殺人者のことは人を殺さなければわからない、子を殺された親の感情は自分の子が殺されるまではわからないと言えるのか。
 ベトナム戦争で瀕死の体験をした作家、開高健は講演でこう語った。

 戦場の感覚をどうしたら伝えられるか。ギリギリまでは言葉にできても、怒りや恐怖がないまぜとなった極限状態の自分にどうしても近づけない。それを書ききれないからこそ、戦場報道は繰り返され、戦争も繰り返される。もし戦場を書ききれば、ジャーナリズムも戦争もなくなる。

 

 私はイラクの話をしながら、「現場を見なければ決してわからない」と一瞬思った。そのすきを突くように、ジムは私にこう言い返した。
 「で、君は、その母親に会った足で、サダムに両手を切られた人に会いに行ったのか。米軍が来て自由になったイラク人を取材したのか」。そして、自国を賛美しはじめた。「アメリカは世界一すばらしい国だ。だから君も含め世界中の人が住みたがる。それはここが神に最も近い土地だからだ」
 神とは? 神は「平面体の地球」の一点を見下ろしているのか? そんなちっぽけなものなのか?
 ジムと同じキリスト教右派と呼ばれる人々には、ブッシュ演説に見られる十字軍的な世界観がある。異教徒を改宗させなければ、平和は来ない。そのための犠牲はやむを得ないという、暴力の正当化だ。

 のちにジムはメールでこう言ってきた。インドネシア津波で多くの人が死んだときのことだ。「終わりは近い。アジアの人々は、キリストが救世主だとも知らず、死んでいった。私たちの生はいつ終わるともしれない。いろんなことが起き、世界は悪くなっている。聖書は『その日』に向け、地震が増えると伝えている。その日が来れば、キリストが神の子たちを天国に連れて行く。君にも一緒に来てほしい。君の子供たちにも」
 どうしてもうなづけないことがある。キリストは終わりを前にした身構えをこう語っているからだ。「『荒らす憎むべき者』が、聖なる所に立つのを見たならば、そのときは、ユダヤにいる人々は山へ逃げなさい」(マタイの福音書24-15)
 キリストの言葉のどこを探しても、異教徒を殺せとも、力づくで改宗させよとも書いていない。一貫しているのは、おかしな者が現れたら、許すか、逃げるか、無視するか、愛で包み込むか、だ。
 いまは断言できる。私はあらゆる暴力に反対なのだ。空爆であれ、メキシコの農民蜂起であれ、若者の反乱であれ、暴力は暴力だ。それで何かが達成されても、その過程で犬死にした軍人や警察官に心が傾く。サッカー選手を「サムライ」と呼ぶのも好きではない。侍は人を殺す。武道は自衛であっても、それは暴力だ。
 私はイラクやアフリカでの戦場で感じた、暴力に対する嫌悪をジムに伝えたかった。米同時多発テロを東京のテレビで見たときも同じだった。もう、いい加減にしてくれ。やめよう、人を殺すのは。報復などしないでいい。


 ジムは唐突に失明した20歳のときのこと、30数年前のことを語りだした。
 「それまでは見えてたんだ。それが突然、何も見えなくなった。ひどい気分だった。自殺しようとも思った。でも、長いときがすぎて、キリストのことがわかったんだ。そうだ。彼がこうしたんだ。目が見えなくなったのも彼の導きだったとわかった。彼に従えばいいんだと。すると、気分が楽になった。自分は天国に行けるとわかったから」
 光を失った経験のない私には、彼の言う神を、彼と同じ感覚では多分わからない。でも、本当に永遠にわからないのだろうか。
 彼は一度こんなことを書いてきた。「毎朝、君の名を呼び、君と君の家族のことを思い祈っている。光がないと永遠はとても長いからね」
 これを読んだ11月の早朝、私はローマのテスタッチョと呼ばれる、食肉市場があった街にいた。人に会う前、少し時間があったので私はカフェでコーヒーを飲み、空を見上げた。雨まじりの厚い雲の奥を見たとき、ジムの言葉を思い出した。
 「光がないと永遠はとても長いからね」「君がクリスチャンになろうがなるまいが関係ない。僕と同じように、キリストは君の名を何度も呼んでいる。僕だって長いこと気づかなかったけど、本当なんだ」
 彼は自分のためというより、何か大きな力に押されて祈っている……。そのときになって初めてそう思った。すると、ジムが急に身近に思えた。私はその晩、家に帰り、その朝の出来事を彼に伝えた。すると、とても嬉しそうな返事が返って来た。
 「君、曇り空ことに触れてたろ。すぐにLord(神)を思ったよ。神はいつも雲とともに来るんだ。聖書にも必ず神とともに雲が出てくる。例えばね……」
 そして、いつものように聖書のくだりを紹介しはじめた。

=この項つづく

 

お知らせ:

2023年3月22日(水)18:30~20:00 新著について講演します。東京・神保町の会場とYoutubeで同時配信しますので、ぜひお聞きください。

www.yamakei-online.com