自分が変わること

月刊「点字ジャーナル」連載コラム

信じる人にひかれて(その7)

                               2010年11月号掲載

                        毎日新聞ローマ支局長/藤原章生

 

 「人生で起きることはすべて、偶然ではない」(飯田亮介訳)。最近読んだことばだ。宗教関係の人ではない。2004年にがんで亡くなったイタリアのジャーナリスト、ティツィアーノ・テルツァーニがそう書いていた。30年以上、アジアに暮らした彼が死の間際に書いたものだ。晩年、インドに暮らした彼は01年の米同時多発テロで執筆欲がよみがえり、非暴力を唱えた。最後に行きついた言葉がこれだった。
 私もいろいろな人に会う中で、この出会いは偶然ではない、と思うことがある。用意されていたのではないかと。理詰めではない。出会いの高ぶりや輝き、会った瞬間に感じる懐かしさ。そして、その出会いが結果的に自分を変えるきっかけになったり、実は自分自身を知る鍵になったりとあとで気づく。そんなとき、偶然ではないと感じる。何かを知らせるために現れたと。
 アメリカの友人、ジムともそんな出会いだ。会ったのは一度きり。2004年の秋、私はブッシュが再選を決める米大統領選の取材でフロリダにいた。取材旅行の終盤、内陸にあるナルクレストという町に寄った。郵便関係の人が引退後に暮らすこの町を私は月刊誌「ナショナル・ジオグラフィック」で知った。仕事が片づいたら寄ってみようと思っていた。
 小さな池の周りを巨木と芝生が取り囲み、家がぽつんぽつんと建つ、ゆったりとした町だ。教会と集会所、雑貨店がある一画で、通りかかる人に大統領選について話を聞いていた。そのとき揃いのTシャツを着たカップルが歩いてきた。シャツの胸には「私たちの町、国を美しく」と書かれていた。
 「こんにちは」。声をかけると、いきなり顔を近づけてきたのがジムだった。「君は誰だい、ここで何をしているの」。少し首を傾けながら、探るようにこちらを見る。事情を話すと、「君自身はどう思うんだい」というフレーズを繰り返した。選挙、ブッシュ、そしてイラク戦争について。
 視線が合わないので、変だなと思ったら、それを察知したのか、「僕は目が見えないんだ。20歳のとき、事故で失明してね。それから30年、郵便局で働いて、最近引退したんだ」と話した。53歳だという。寄り添うジーンという女性は少し年上だった。
 10分のつもりが、結局日が暮れるまで3時間も話し込んだ。同行してくれていた運転手がわりの米国のカメラマンが車と私を何度も往復し、「まだ話してるのか」とあきれ、しまいには怒りだした。「選挙取材じゃないか。相手は一般人だろ。なんでそんなに時間をかけるんだ。わけがわからん」。仕方なく帰ろうとすると、ジムは「まあ、せっかくだから…。もう二度と会わないかもしれないし」と家に招いてくれた。運転手がいなければ、私はそこに泊っていたかもしれない。
 彼との対話は心地よく穏やかだった。だが私たちの意見は正反対だった。彼は親ブッシュで私は反ブッシュ。彼はアメリカが世界を救うと信じ、私はそれを疑っていた。彼は南部に多い福音派、つまりキリスト教右派のボーン・アゲイン・クリスチャンで、私は無宗教だが、神や祈りについて関心を持ち始めていたころだ。
 私はその前の2003年秋から3度、イラクに通った。戦争の取材だ。かつてバビロンと呼ばれた町で、爆弾が家の近所に落ち、13歳から乳児まで6人の子全員を失った夫婦に会った。その乳児の遺体の写真をたままた新聞で目にし、寝ているような安らかな表情に引きつけられのだ。その写真を手にヒッラという名の旧バビロンの町を歩き回り夫婦を探し当てた。
 米軍が私の頭上に爆弾を落としたわけではない。私の子が殺されたのでもない。それでも、彼ら夫婦との短い時間を私は決して忘れないと確信した。そして、そのとき、言葉にはできない彼らの感情が私自身に染み込んだような感じがした。ただの怒りとは違う。半ば放心に近い。延々と続く放心、虚脱の中から言葉が現れる。
 なぜ。どうして、自分だけがこんな目に遭わねばならないのか。
 子供6人を一瞬にして失った30代の母親は私が帰ろうとすると、土間の奥から姿を現した。イラクで妻が男性客に顔を見せるのは珍しい。黒装束、青白い顔で出てきた彼女を夫が押しとどめようとしたが、その形相に圧倒され何もできなかった。私は彼女の視線に引き込まれるように沈黙を破り、こんなことを口走った。「何と言っていいのか……。あなたの子供たち……、子供たちの魂はいまどこにいるのですか」
 すると彼女は私の方を見すえ、こう言った。「私たちには家具も何もない。だから逃げるとき、みんな一番いい服に着替え、一番いい靴をはいて、リュックサックに自分の物を詰めて、家を出たんです。そして走ったんです。ピクニックに行くみたいに……。私は魂を信じています。だから、みな、きっとジャナ(楽園)にいるはずです。ジャナでピクニックをしているんです。あんなに喜んでたんです。みんな走って、笑ってたんです。ジャナにいないなんて、誰が言えるんです。いるに決まってます」
 なぜ米軍は子供の上に焼夷弾をばら撒いたのか。なぜ、田舎に暮らす、ごく普通の市民を虫けらのように殺したのか。
 フロリダの町で私は、そんなふうな言葉を使い、イラクの夫婦の問いを代弁しようとしたのではない。ただ、ジムの考えを少しくらい変えられるかもしれないと考えた。ブッシュの戦争を全面的に支持する彼に、イラクで見たことの一部始終を話せば、彼自身が少しは変わるのではないかと。だが、ジムは変わらなかった。

=この項つづく

 

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2023年3月22日(水)18:30~20:00 新著について講演します。東京・神保町の会場とYoutubeで同時配信しますので、ぜひお聞きください(藤原)。

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