自分が変わること

月刊「点字ジャーナル」連載コラム

女性ゲリラとの出会い(その1)

2009年11月号掲載

毎日新聞ローマ支局長/藤原章生(当時)

 

 その通りは記憶とずいぶん違っていた。発展して変わったわけでもない。むしろ、さびれている。ただ、空気というのか、人の雰囲気、そして、光が違う。

 2005年、中米、エルサルバドルにある小さな町を19年ぶりに訪ねた。初めて訪れたのは1986年の夏だった。

 ベリーズという国の宿で土砂降りの晩、ひどく落ち込んだ私は、次の晩、夜行のローカルバスでグアテマラに向かった。バスはひどい混みようで、寝ている私の首の上に先住民の幼児が寝ていたほどだ。赤い民族衣装の人々が埋め尽くす首都に心惹かれたが、私は先を急いだ。

 当時、中米は内戦国が多く、危ない土地だった。できれば、5カ国を1週間で通り抜け、南米に飛び、一気にペルーに行きたいと思っていた。そもそも、陸路で南米に向かったのは、アンデスの登山が目的だった。

 さっさと長距離バスで南米に入ればよかったのだが、湿った空気が絡みついてくるようなラテンアメリカの人々、スペイン語の心地よさに魅せられ、わざわざローカルバスで移動していた。すでに2カ月近くを無駄にし、当初持っていた1500ドルほどの現金は半分になっていた。

 人々は「エルサルバドルに気をつけろ」と同じことを口にした。内戦が続き、旅行者がよく殺されていたからだ。

 国境には自動小銃を構えた兵隊がうろうろしていた。コロンという名の現地通貨は、紙幣がドル札よりも一回り小さく、どれも使い古され、汚れていた。

 国境から適当なバスで最初に入ったのが、その町だった。一年中、人々がぼろぼろのシャツとバミューダパンツで歩いているような土地だった。

 農民や漁民のヤシの家が広がる中心に、幅10mほどの赤土の通りがあった。ゆるやかに降りていく坂道は高台の教会から海辺まで500mもなく、5分も歩けば通り過ぎてしまう。昼は暑さで死んだように眠っている通りは、夕暮れになると生まれ変わる。クリスマスツリーにつけるような豆電球で飾ったダンスホールや食堂、町に一軒だけの映画館の前を人々がそぞろ歩き、子供の目に映る縁日の夜店のように輝いた。

 私はその坂を下り、ボロボロに朽ちた古い洋館のホテルに入った。ホテルと言っても、町に一つしかない一泊3ドルほどの安宿だった。受付の女性は、この国の多くの女性がそうであるように、あけすけなところがないものの、愛きょうがあり、片言の英語で応じてくれた。

 宿に荷物を置くと、通りに出てププーサと呼ばれる庶民料理を食べた。トウモロコシの粉を水で溶かし丸くこね、ひき肉やチーズ、豚の皮の揚げものを挟みこみ、それを油で揚げ、酢漬けの野菜と一緒に食べる。

 当時、エルサルバドルの歌謡曲に「ア・ミ・メ・グスタン・ラス・ププーサス」という歌があった。男のグループが、軽快なダンス曲のさびの部分で、「おいらはやっぱりププーサが好きなんだ」と高らかに歌う。町に流れる曲のほとんどはメキシコのポップスだったが、時折この曲がかかると、その場に何となく愛国のムードが漂う。内戦で二分した国を元気づける国威発揚だった。

 宿に戻ると部屋の様子が違っていた。二階だったが、窓の格子が壊れていた。泥棒は屋根を伝い、窓から入ったようだ。リュックを調べると、盗られたのは安いカメラと、土産に買っていた小物類、トラベラーズチェックだった。私は、ポケットのわずかな現金を残し、一文無しになった。

 受付に言うと、その女性は驚き、ひどく同情してくれたが、被害妄想に陥った私は当初、その女性を疑った。だが、その晩から彼女が私を連れて警察に通い、数日後に盗難証明書を手に入れてくれた。警察ではらちが明かないと、地元のボスのような中年男を通じ、軍にかけあい、せかしてくれたのだ。

 その間、彼女は私の宿と食事の面倒をみてくれた。考え込んでいる私を、「くよくよしないの」と海や市場、映画に連れ出してくれた。

 彼女は私とほぼ同年代、20代の半ばだったが、生い立ちは全く違うものだった。夫はいなかったが、3歳と1歳半の娘がおり、私よりもはるかに大人だった。

 彼女が語る生い立ちはこんなふうだった。エルサルバドルの古都、サンタアナに生まれ、10代のころ母を失くした。父親は「どうしようもない男」というだけで、多くは語らなかった。国が内戦に突入すると、彼女は10代後半で左翼ゲリラに加わった。

 自動小銃を抱えて疾走する軍服姿の彼女を、真横やや上方からとらえた写真を見せてくれた。子供をしかるときの怒声、細身で素早く腕立て伏せをする敏捷さから、たぶん本当だったのだろう。密林に潜入していたころ、上官の「どうしようもない男」との間に長女が生まれた。アマリアという名の金髪の美しい娘で、勘の鋭い子だった。

 組織を離れ、その子とともにこの町に流れてきた彼女は、近くの貧しい大家族の下に居候し、ホテルの受付の仕事を始めた。そんな折、別の「好きだった男」と親しくなり、ガブリエラという名の女の子が生まれた。その男もどこかに行ってしまったという。

 ゲリラだったのは、私と出会うほんの3、4年前の事だが、私が思い浮かべる彼女のゲリラ姿はずいぶんとリアルで、それでいてはるか昔のことのように思えた。たぶん、私たちが20代だったからだろう。若者にとって、3、4年前のことなど、大昔の話だ。

 私は宿賃がないため、彼女が暮らす大所帯の一軒家のハンモックに寝泊まりした。夕暮れを待つ亜熱帯の日々、闇とともに輝きだす町の淡い光が心地よかった。そんなこと、できるはずもないのに、そのまま沈澱していくもう一人の自分がそこにいた。そんな思いは、その直前、突然落ち込んだことと無縁ではなかった。

 すぐに帰ってくる。そう思って出たその町を、再び訪ねるまで長い年月が過ぎていた。