自分が変わること

月刊「点字ジャーナル」連載コラム

オリンピックと絶叫

2021年9月号掲載

毎日新聞契約記者(当時)/藤原章生

 

 ゴルフって意外に面白いな。日曜日の午後、テレビをつけたらNHKで東京オリピックの男子ゴルフを放送していた。埼玉県の霞ヶ関カンツリー倶楽部を会場に、日米欧やラテンアメリカのプレイヤーたちが18ホールを順番に回りながら、金銀銅のメダルを競い合っていた。

 私はゴルフをやったことがないが、父親が好きだったので、バーディーやボギーという言葉くらいは知っている。機械屋の父は脱サラして独立したが、40代後半の頃、招かれる形で中小企業の工場長、重役として働きだした。その頃、日商岩井や丸紅など商社とのつき合いからゴルフを始め、頻度は減ったものの引退後も70歳くらいまで続けていた。

 「10トントラックに一杯分くらいのボールを打たなきゃ上手くはならないんだ」「ハンディが一ケタだとシングルプレイヤーって言うんだけど、相当やらないとなれないね」といった言葉をよく覚えている。ハンディとはハンディキャップのことで、1ラウンド18ホールを回る際、「パー」と呼ばれる規定打数の総数72をどれほど上回るかという数字だ。例えば初心者の場合、「36」あたりから始まり、父の場合、伸びた時で15くらいだった。だから、9以下のシングルプレイヤーに憧れていたようだ。

 プロは当然、ハンディはゼロで、五輪でも皆規定打数よりも大幅に少ない、例えば銅メダルの場合、「15アンダー」で勝敗を決していた。

 私は中学時代から山登りをしていたので、はなから興味がなかったが、親孝行だと思い、父のゴルフ練習に1、2度つき合ったことがある。その後も鉱山会社や新聞社の同僚に誘われたが、コースに出ることは一度もなかった。だから、ゴルフに思い入れはないし、大の大人が玉入れにこだわってと半ばバカにしていたが、今回、何気なく見ていたら、これが結構面白かった。

 当人たちには当たり前のことなのだろうが、いい音で打った玉をはるか遠方のグリーンにうまく乗せることだけでも大したことだし、打った途端に「オーマイゴッド」などと言っているので、その時点で玉がどの辺りに着地するかがわかることに感心した。トラック一杯分どころか、これまでものすごい数の玉を打ち続けてきたのかと思うと、「いやあ、暇なんだなあ」と冗談半分で思ったりもする。

 長時間にわたってNHKがずっと第一放送でゴルフをやっているのは、どうやら松山英樹選手が出ているからだと気づいた。共に回っている1位の米国のシャウフェレや英国のケーシーばかりでなく、合間合間に他の選手も見せるので、全体像がわかり、その顔や仕草などから他の選手に愛着が湧いてくる。それに、紳士のスポーツだけあって、参加者のマナーがいい。他の人が打つ時にはみだりに動かず、音も立てない。とにかく人の邪魔をしたり、裏をかいたり、だましたりを競う他の球技とは違うので、見ていて気持ちがいい。自分まで上品な人になった気分になれる。勝者が決まった時点で、他のプレイヤーが祝福し抱擁をするのも微笑ましい。

 最終的に3位の人が松山選手も含め7人もおり、プレイオフと言って、誰かが抜きん出るまでホールを回り続ける段になった。7人から1人を決めるのは相当時間がかかるのではと思いながらも、面白いと思って見ていたら、松山選手がパターを外し脱落した瞬間、中継が終わってしまった。スタジオのゲストらゴルフとは関係ない人々のコメントに変わり、「何やってんだ!。続きを見せろ」と一人怒っていると、今度は日本の女性が出ているボクシングの中継に切り替わり、プレイオフは結局、放送されないままだった。夜の五輪番組を見ても、台湾の選手がプレイオフを制したと伝えるだけで、画面は松山選手が脱落しガッカリするシーンだけを繰り返していた。

 また、騙された。これだから五輪は見る気がしないのだと、過去の苦い思いが蘇った。そう、五輪中継はスポーツを見る場ではなく、「ニッポンすごい」「ニッポンやった」という騒ぎを見る場なのだ。すっかり忘れていた私はついゴルフというスポーツを楽しんでいたが、間違った見方なのだ。日本のスポーツ中継は大方そうで、イチローにしても八村にしても大谷さんにしても、日本人の活躍を虫の目で伝えるだけで、ゲームを鳥の目で眺めることはなく、全体像はどうでもいいのだ。

 松山がメダル逃しました。あとは誰が勝とうが、プレイオフでどんなにハラハラする展開になろうが、小島よしおではないが「そんな関係ねえ」のである。

 「ニッポン、ニッポン、金メダル!」という、実は本人はそんなに感激していないのに、絶叫しないとクレームがつくかもしれないという配慮で叫んでいるのが明らかなアナウンサーの雄叫びが私は嫌いだ。さらには柔道や卓球でも元選手に解説させるものだから、解説になっておらず、ただの応援になっている。「そこだ、よし、いけ、攻めろ!」「いいですよ、相手、疲れが出てますね、その調子」などと一方的に日本選手を贔屓するのが耳障りである。

 そうは言っても、私も子供時代、11歳の時のミュンヘン大会の体操の塚原光男選手の「月面宙がえり」や田口信教(のぶたか)選手の平泳ぎ優勝などに興奮し、自分で平泳ぎをしながら「田口、頑張れ、田口、頑張れ」とアナウンサーの口真似をしたりしていた。

 だが、ここ最近の五輪の記憶はほとんどない。五輪中継をあまりやらない外国に暮らしていたのもあるだろうが、日本に帰国後の12年のロンドン大会や16年のリオデジャネイロ大会などは開会式を含め、ニュースでちらっと見た程度だ。テレビの絶叫、新聞のどでかい写真扱いに辟易して、いつのまにか見ない習わしになっていたのだ。

 今回は五輪についての原稿を頼まれたので見たが、私は11歳の私ではなくなっていた。日本贔屓にどうしても慣れることができない。それでも私は日本の選手であれ、外国選手であれ柔道を見るのがかなり好きな方なので、音を限りなく小さくして見ていた。

 

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